結界

 僕は泉から上がると、適温の熱風を起こし、体表に付着した水滴を吹き飛ばした。最も大きいテーブル岩に足を進め、虚空から「救急箱」を取り出した。

 美体のあちこちに生じたキズに、軟膏を塗り込み、包帯を巻いた。自分で自分の治療を行うのは、なかなか大変な作業だが、サイコキネシス(念動力)の達人でもある僕にとっては、それほど難しいことではなかった。


 僕は救急箱を消しざまに、絵画用チョークを取り出し、それを使って、岩面にペンタクルを描き込んだ。この島に危険な動物が棲息しているとは考え難いが、邪神の版図であることを忘れてはならない。念のため、警報機能付きの結界を張っておくことにしたのだ。このあたりの用心深さは、さすがに戦闘天使だと思う。

「うん、完璧」

 結界の出来映えに満足した僕は、チョークを消し、岩の上に美体を横たえた。治療を終えた頃から、眠気を感じていた。それもかなり強烈なやつである。さしもの戦闘天使も、永久に戦い続けることは不可能である。時には補給や休息が必要だ。

 闇塚の本陣に再び斬り込むにしても、美翼の半分を失った状態では、充分な活躍はできない。又、適度な睡眠は、怪我の治りや肉体の再生を早める効果がある。捲土重来を実現するため、今は眠ろう。

 目蓋を閉じると、濃厚な眠りが僕を待っていた。最後の意識は「もし叶うなら、僕もルシファーの寝顔を愛でたい…」というものであった。


 気がつくと、夜になっていた。島の上空に浮かんだ月が、天使と泉の周辺を幻想的に照らし出していた。いつの間にか、僕の体に毛布がかけられていた。食欲を刺激する匂いが、僕の形の良い鼻をくすぐっていた。ん?この匂いには憶えがあるぞ。確かこれは……

「あっ!」

 僕が休んでいるテーブル岩から、少し離れた岩の上で「誰か」が、熱心に調理を行っていた。マイメロディを連想させる着ぐるみ風の衣装を着用した年齢不詳の美女。スーパー家政婦のゆきのさんであった!彼女の得意料理、西洋おでん(ポトフ)が出来上りつつあった。そして、焚火と鍋の傍らに、もう一人、極めて印象的な人物が佇んでいた。

 その人物は、ゆきのさんが差し出した小皿を受け取ると、口の近くに運び、ポトフの味見を始めた。何気ない動作だが、自然に「絵」になってしまうのだった。それは、生来の貴族たる証しであり、天性の才能とも云える。僕は別格として、そんな人物は滅多に存在しない。


 例えば、魔宮遊太。


 その瞬間、消滅させられた筈の親友の姿を僕は視野に捉えていた。

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