接触

 異様な胸騒ぎを感じていた。横断歩道を渡った僕は、マンガ図書館のビルの前で足を止めた。いや、止めさせられたと云うべきか。得体の知れない瘴気のようなものが、このビルの中(奥)から流れ出していた。

 研ぎ澄まされた戦士の勘が、僕にそれを伝えていた。休館中の図書館に「何か」が潜んでいる。スライムではない。まったく別のモンスターの気配だ。化物の正体を把握することは、ヒーローに与えられた任務のひとつである。だが、この時の僕は、使命感よりも、好奇心の方が勝っていたように思う。なんとしても「そいつ」に会いたいと考えた。

「……」

 僕は一旦ビルから離れると、歩行者や地域住民の邪魔にならない場所まで移動し、そこで、戦闘態勢を整えた。ヘルメットをかぶり、透明素材で作られた面頬(眼を守る部分)をおろした。次に右のホルスターから、対スライム銃を抜き取った。小型で軽量だが、抜群の威力を有している。


 射撃に関しては、多少自信があった。養成所時代、ビッグ・ファイブの草宮先生が「眠っていた才能」を表に引き出してくれたのだった。百発百中…とまではいかないが、それに迫る腕前に達している。僕の急速な上達振りに、さしもの先生も驚いていたものである。


 僕はビルの入口に足を進めた。依然、瘴気の流出が続いていた。僕はなめらかな動作で、銃の安全装置を解除した。そして、慎重な足取りで、階段を登り始めた。マンガ図書館はこのビルの二階にある。図書館に近づけば近づくほど、瘴気の濃度が濃くなるのだった。

「……」

 僕は踊り場で足を止め、深呼吸をした。額や頬に汗が滲んでいた。濃厚な瘴気が僕を苦しめていた。それはもう「物理的レベル」に到達していたのだ。僕ほどに気丈でなければ、耐えられない濃度になっていた。

 大抵の者…例えば、もぐりハンター程度なら、ここで、尻尾を巻いて逃げ出すだろう。だが、僕は違う。僕には恐怖に打ち勝つ勇気がある。それを失った瞬間、僕はスーパーヒーローを名乗る資格をも失うのである。


 僕は見えない壁を見えないハンマーで砕きながら、強引に階段を登り続けた。図書館の玄関に着く頃には、相当な疲労感を覚えていた。僕はハンマーを投げ捨てると、左手でドアを押した。鍵はかかっていなかった。

「!!」

 ドアの向こうに踏み込んだ瞬間、崖の上から、虚空に突き落とされるような感覚に襲われた。絶叫を上げなかったのは、ヒーローのたしなみというやつである。加えて、先ほど、喫茶店で演じた醜態を繰り返したくないという意思が働いていた。


 気がつくと、僕の体は「深海と宇宙が融合した」かのような無限の空間を漂っていた。船酔いに似た軽い嘔吐感を感じたが、無論、ヒーローたる僕がそんなものに負ける筈がない。

 間もなくして、無限空間の主人(あるじ)が、僕の視界に現れた。クジラ級の巨体を誇る魚類が、僕を見下ろしていた。外形はデボン紀の帝王、ダンクレオステウスに酷似していた。その名は、闇塚鍋太郎。

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