図書館
「そろそろ行こうか、シオール」
そう云うと、遊太は伝票に指先を伸ばした。
「今日は僕が御馳走するよ」
「えっ。それはいけない」
「まあ、いいじゃない。かわりに、今度案内してよ。この前、テレビ局の楽屋で話していた居酒屋さんに」
「ああ、ふ*ろね」
「芸術劇場の近くだよね。稽古の帰りに寄ってもいい」
「そうだね。その時は僕が驕る…いや、奢るよ」
「池袋屈指の大衆酒場とスーパーアイドルか……。なかなか面白い組み合わせだね。短篇映画の舞台になりそうだ」
「遊太はこれからも役者一筋なのかい」
「ん?どういうこと?」
「例えば、監督業に進出するとか」
遊太は形の良い唇に苦笑を浮かべた。
「それはないなあ。君と違って、僕は不器用な人間だからね。俳優だけで精一杯。演技と演出の両方なんて、そんな才能ないですよ」
喫茶店の前で僕たちは別れた。次の打ち合わせは一週間後の同じ時間。場所も同じ、この店である。遊太は江戸川橋駅の方角に、僕は明治通りの方角に向かって歩き始めた。
遊太と過ごす時間は本当に楽しい。彼と話していると、心が和むし、得るものも多い。僕が女子なら、とっくに交際を申し込んでいるだろう。
芸能ジャーナリズム(の一部)では、遊太と僕を「犬猿関係」ということにして、あちこちで、盛んに騒ぎ立てているけれど、どうしてああいうウソが平然とつけるのか、神経と感覚がわからない。
この業界に魔物が潜んでいるのは確かだ。彼らはスライムと同等か、それ以上のモンスターと云っていい。スライムの方が、まだ「人間的」だと思うことさえある。だが、今の僕に「それ」について、詳しく述べている暇(いとま)はない。別の場に譲ろう。
信号が青になった。鶴巻の横断歩道を渡ると、そこにマンガ図書館のビルが建っている。ちょっと寄ってみたいが、残念ながら今日は休館日なのだった。二年前、図書館を出た僕は、池袋まで徒歩で移動していた。
その途上にスライムの襲撃を受けたのだ。あの時、セーコさんが駆けつけてくれなかったら、僕は怪物の栄養になっていた。セーコさんは、源シオールの命の恩人である。同時に「芸能界の大恩人」でもあるのだった。遊太も云っていたように、百年に一人の逸材を失わずに済んだのだから。
「……」
あの日と同じコースを歩いてみようと僕は考えていた。僕は変わった。身の守り方も知らなかったアイドルは、ハンター免許を取得し、まぎれもないスーパーアイドルに進化した。救われる側から、救う側になった僕の眼に、あの日の風景がどのように映るのか、興味を覚えたのである。
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