仮面

 第一回の打ち合わせが終わった。互いに三十分ほど余裕がある。僕たちはテーブルの上を片づけてから、マスターを呼び、軽食と新しい飲みものを注文した。遊太はミックスサンドを僕は小倉トーストを頼んだ。飲みものは同店自慢のスペシャルブレンド。


「時にシオール」

 遊太はコーヒーカップを皿の上に置くと、

「蛇頭の聖女(マドンナ)はまだ帰らないのかい」

「えっ」

「かの地におもむいてから、半年近く経っている。ロンドンの戦況はよくわからないが、一旦戻ってもいい頃じゃないかな。恋人の顔を見に」

 僕は首を横に振った。美しい前髪が同時に揺れた。

「残念だけど、僕はセーコさんの恋人とは云えない」

「えっ。そうなのかい」

「僕が一人で騒いでいるだけさ。ほとんど相手にされてないよ」

「これは驚いたな。源シオールに愛されて、嬉しくない女子がこの世に存在するとはね!」

「僕がセーコさんに抱いている気持ちは、もしかすると、恋心とは違うのかも知れない。子供がウ*トラ*ンや仮*ライ*ーに抱くもの…憧憬の念なのかも知れない」

 僕は自分に云い聞かせるかのように、そう云った。

「彼女は君の命の恩人だからね」

「僕はセーコさんに二度救われている」

「二度?」

「よちよち歩きの時分、川に落ちて溺れかけたところを助けてもらったことがあるんだ」

「なんだって?彼女は鎌倉に住んでいたのか?」

 僕は頷くと、

「武道家として身を立てることを決めたセーコさんは、武者修行を兼ねた日本一周の旅に出ていた。その際、鎌倉に滞在していた時期があるんだ。もっともこれは、かなり後になってわかったことだけどね」

「おかげで日本の芸能界は、未来のスーパーアイドルを失わずに済んだわけだ。まるで彼女は君の守護神(ガーディアン)だね」

 僕は再度頷くと、

「蛇将軍セーコの活躍談をいくつか耳にして、僕は思い始めた。セーコさんこそが、あの日の『蛇面のおねえさん』ではないか…とね。無性に会いたいと思った。もし機会に恵まれたら、あの日のお礼を正式に云いたいと思った。なにしろ彼女は、助けざまに、交番のお巡りさんに僕をあずけると、名前も告げずに疾風のように去ってしまったというからね」

「彼女らしいな」

 そう云うと、遊太はコーヒーを一口飲んだ。

「今、蛇面と云ったね。将軍はその頃から仮面をつけていたんだな」

「修業時代はコブラではなく、ハブだったけどね」

「蛇面の奥にどんな顔が隠されているのか、非常に気になりますね。俗人の意見、野次馬的発想ではずかしいけれど」

「そんなことはないよ。僕も見たいもの。セーコさんの本当の顔を」

「その内、見せてくれるさ」

「そうかな」

「だって愛し合う男女が、仮面越しのキスというわけにもゆかないじゃないか」

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