養成所

 最初の出会いから、二年が過ぎた。この二年間は「激動の日々」と呼ぶに相応しい内容であったと思う。体力の限界に挑戦するような苛烈な毎日だった。実際、幾度か倒れかけたが、その度に自分でも驚くほどの精神力を発揮して、それらのピンチを乗り切った。気がつくと、僕は二十歳の誕生日を迎えていた。

 きっかけはセーコさんの「私は(私より)弱い男には興味がない」という意味の台詞であった。今の僕は知り合いの一人に過ぎない。先の段階に進むためには、彼女に認められる「強い男」に進化しなくてはならない。


 自分なりに熟考した結果、セーコさんの同業者になるという結論に達した。そう。ビッグ・ファイブ級のスライムハンターを目指すのだ!と云っても、転職ではない。今後も芸能活動は続ける。日本…いや、世界初のアイドル兼ハンターが僕の目標となったのである。

 仮にそれが実現したとしても、彼女の愛が得られるとは限らない。子供の発想と云う他はないが、その時の僕には、至上のアイディアに思われたのだ。そして、実行した。事務所におもむき、残業中の社長に相談した。明日から、スライムハンターの養成所に通わせてください。と。


「おまえのようなバカは初めてだ」


 社長は叫びざまに、その場で頭を抱えてしまったが、最大の稼ぎ手である僕に事務所を去られても困るので、渋々承認してくれた。但し、期限付きである。二年やっても見込みがないようなら、潔く諦め、芸能活動に専念するという誓約書に署名を求められた。

 僕に異存はなかった。最低条件である資格試験に苦労するような者がA級ハンターになれる筈がないからだ。


 翌日から、二足の草鞋生活が始まった。仕事と並行して、ハンター養成所に通うのだ。スケジュール調整は困難を極め、僕のマネージャーでもある社長が、絶望の悲鳴を発したのは一度や二度ではない。だが、そんな状況を楽しんでいるようにも見えたのは、僕の錯覚であろうか。

 養成所にカメラを持ち込み、授業や訓練に臨む僕の表情や動作を捉え、商売の道具として活用したのはさすがであった。これぐらいのしたたかさは、むしろ当然と云えた。

 小舟同然の弱小プロダクションが、芸能界の荒波に揉み潰されることなく、現在も存続している理由は、ひとえに社長の才覚であり、野生動物めいた鋭い勘であった。綺麗事だけでは生き残れない厳しい世界なのだ。


 ハンター養成のプログラムは、軍隊並にハードなものだったが、必死に頑張った。この程度で弱音を吐いていては、セーコさんに軽蔑されてしまう。そしてそれは、僕にとって、死ぬより辛い展開であった。

 スライムハンターの中には、養成所を敬遠し、資格を持たずに営業している者が少なからずいる。いわゆる「もぐりハンター」である。

 もぐりの代表と云えば、伝説的ダメハンター、コガネマンの名前が即座に頭に浮かぶ。彼のやった珍行奇行の数々は最早語り草で、休憩室の話題になることもしばしばであった。

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