第39話 怨念
◆
知っていたか、とマサエイが呟く。
「リイ殿から」舌が少しもつれる。「聞いていましたが、マサエイ様は知らないかと」
昔の話だ、と脇息に体を預けて、うつむく。いやに白い頭頂部が見えた。
「タキとの間に子が出来ぬことを認め、私はタキを放り出した。代わりに、イトを迎えたが、イトにはすでに子がいることは、知っていた。だがイトはその子を捨てて、オリカミ家に全てを捧げると決めているようだった」
畳を扇子で等間隔で叩きながら、マサエイが語る。
「しかし、いくら願っても子が出来ぬ私には、そのような不幸な子が不憫で仕方がなかった。そこで、リイを助けることにした。親族や寺に口を聞き、銭を渡した。リイは成長し、一方でイトはマサジを生んだものの、病で死んだ。だからリイを招いたのだ」
「わかりません」
マサエイが何を企図したのか、想像が及ばなかった。
リイはイトと血は繋がっているが、マサエイとは縁もゆかりもない男との間に生まれた子だ。それを屋敷において、厚遇する以上のことをすれば、おかしなことになる。
オリカミ家の血筋が、すり替わってしまう。
簡単なこと、とマサエイの口調に笑いが混ざる。
嘲るような表情だった。
「マサジが成長するにしたがって、あいつが何事にも劣る、愚か者だとはわかっていた。しかしあいつが、私の血を引き、またイトの血をも引いている、唯一の存在だった。血筋の上では、マサジだけが唯一、オリカミ家を継ぐ権利を持つ」
「それがもしもの時、リイ殿を立てるつもり、だったのですか?」
「リイをイトの血筋とするべきかは、決断していなかったがな。まだ先のことになるはずだった。イトが狂っていく様を、間近で見た。タキと同じ血を持っているものが、幾人も死ぬことにもなった。仮に、マサジがいるにも関わらず、リイを後継者とすれば、オリカミ家は分裂しよう。聡明な兄と愚かな弟。一党のものがオリカミの血に忠誠を尽くすことは、マサジに流れるイトの血、狂人の血筋を盛り立てることになる。それが正しいのか、ということも、また、家を割り、余計な混乱を生んだはずだ」
マサエイの中にある葛藤が、少しだけ理解できた気がした。
全ては家、権勢、それをいかにして守るかの、それだけのことから発しているのだ。
それなのに、その家とは、何なのかを誰も定義できない。
「リイを身近に起き、マサジが失態を犯すのを待つはずが、こうなっては元も子もない、といったところだな」
マサエイが低い声で、引きつるように笑った。
「なぜ、イト様の乱行をお止めにならなかったのですか?」
笑いがピタリと止み、俯かせていた顔をマサエイがさっと上げる。
どこか呆然とした、言葉が理解できていないような面持ちがそこにある。
その顔に、もう一度、問いかける。
「以前もお聞きしました。しかしマサエイ様が本当にご自身や、それに連なるもののことをお考えなら、イト様をお諫し、止めることができたはずです」
しばらくの沈黙の後、何故だろうな、とマサエイが小さな声で言った。
「こうなってしまうと、自分が何を本当に恐れていたかが、わかる気がするよ」
「何でございましようか?」
「簡単なこと。自分の存在が、後の世に欠片も残らないことよ」
それは血筋のことだろうか。
それとも家のこと、領地のことか。
あるいは、記憶か、記録か。
「私というものが作ったものを、誰かが引き継ぎ、守っていく。そんな幻を、本気で信じてしまったのだな。イトの行動は、私の何かを後世に残す一助のはずだった。それが今になってみれば、憎悪の種であり、その種は芽吹き、立派な花を咲かせたわけだ」
ギラリとマサエイの瞳が光る。
「スマ、お前もまた、怨念の種を蒔いているのではないか?」
蒔いているだろう。
大勢を切ってここまで来た。
彼らには親がいて、兄弟がいて、子がいて、友人がいて、恋人がいて、どこかで必ず誰かと繋がっているのだ。そして誰も彼もが、同じ世界に生きている。
この狭苦しい世界に。
誰かを殺された誰かは、誰かを殺したものを、憎悪するだろう。
憎悪なんて、望んでいない。
それなのに、これまで、剣を取り、剣を振るい続けてきた。
「スマ、怨念に絡みつかれて、死ぬでないぞ。良いな?」
無言で頭を下げると、マサエイがすっと立ち上がった。
横をすり抜けていく時、小さな声が投げかけられた。
「強い剣になれ」
頭を深く下げると、そのままマサエイは部屋を出て行った。
しばらく面を伏せたままでいて、屋敷の主人の気配が少しも残らず消えてから、顔を上げた。
ずっしりと疲れている。まるで斬り合いそのもののような消耗を伴う、そんな会話だった。
立ち上がって、どこへ帰ればいいのだろう、とふと思った。
そこへ女中がやってくる。
「玄関までご案内するようにと仰せつかりました」
そう言われて、頷いてから、疑問が解決されていないことに気づいた。
「この屋敷には、地下牢がありますか?」
女中は目を丸くし、小さく首を横に振った。
「地下牢など、聞いたこともありません。どなたからそのようなことを?」
「いえ、たまたま耳にしたのですが。タキ殿のことはご存知ですか?」
「いえ、私がお屋敷に上がった時には、すでにタキ様はお屋敷にはおられませんでした」
どう言葉にすればいいか、しばし考えた。
「タキ殿は、ご存命でしょうか」
「さあ、私は、そんな話はとんと聞いておりませんが」
「イト殿が手にかけた可能性は?」
どうでしょう、と女中がまた首を振った。
「イト殿は残酷な方ではないのですか?」
「それは恐ろしい方でしたが、マサジ様への可愛がり方を少しでも見れば、また違うものでございます。タキ様に対しては、その、優越感のようなものをお持ちだったのではと存じます」
優越感か。
それがあって、タキを見逃したのではないか、と言いたいらしい。
黙っていると、「よろしゅうございますか?」と言葉を向けられ、頷いて、案内されるがままに玄関へ向かった。
そういえば、シユの遺体はどうなるのだろう。巻き添えになった遊女たちも、被害者のようなものだ。
しかし女中に質問ばかり向けても、不愉快だろうか。
「遺体はどうするのかな」
それでも最後にそう確認すると、存じません、という返事だった。
草履を失ってしまったので、新しいものをもらい、履き慣れないのを感じながら屋敷の表門を抜けると、門衛が睨みつけてくるが、それだけだった。
すでに明け方が近いはずだが、空はのっぺりとした濃紺で、星が散っていた。
(続く)
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