第38話 表情

     ◆


 屋敷の中を進み、錯乱状態にあるらしい剣士が何人か向かってくるのを、容赦なく切り捨てた。

 敵襲などと叫ぶものがいるが、敵などいないだろう。

 記憶を頼りに、以前、マサジが狂宴に興じていた広間に近づくと、血の匂いが濃くなる。廊下の角を曲がると、すぐそこに女が倒れている。シユではない。

 しかしその遊女に男が刀を突き出そうとする。滑るように近づき、一撃で首を切り裂くと、血飛沫を撒き散らして倒れこむ。その様に遊女が悲鳴をあげ、這いずる様に逃げていく。

 広間に踏み込むと、三人の遊女が倒れているのが見えた。それもシユではなかった。

 刀を抜いた男が五人、立っており、何かを囲んでいる。そのうちの三人がこちらに気づいて振り向いた。

 その動きにより、誰を囲んでいるかがわかった。

 シユとマサジだ。二人ともが倒れていて動かないように見える。

 三人がこちらとの間合いを支配しようと、立ち位置を変える。三対一でどれだけ凌げるだろう。きわどい勝負だが、もはや後へ引くことはできない。

「やめよ」

 静かな声が、広間に染み通るように広がった。

 三人の剣士がうろたえ、一歩、二歩と後退した。

「スマも剣を納めよ」

 声は、知っている。

 マサエイだ。

 振り返ることもできずにいると、すぐ背後で足音がする。一つだけ。横へ進み出て、皺だらけの手が剣を握ったままの手元に触れた。

 息を吐き、剣を鞘に戻した。目の前の男たちもそれぞれに鞘に刀を戻した。

 マサエイが進み出るのに続くように広間の奥へ行くと、男たちが両脇に下がり、膝をつく。一人が震える声で、申し訳ございません、と口にしたが、マサエイは無反応のまま倒れているマサジのすぐ横に立った。

 鬼気迫る形相で、マサジの表情は停止している。息もしていない。

 そのマサジに覆いかぶさるように倒れているシユの身体を足でひっくり返すと、そのシユの体の下で、短刀がマサジに突き立っているのが露わになった。

 しかしそれはどうでもいいこと。すでにマサジは死んでいる。

 シユが仰向けになる時、マサジの手がシユの首から離れたのだが、それでもシユの首には締め付けられた跡がはっきりと残っていた。

 おそらくマサジが全力で締め上げたせいで、シユの首は骨が折れたのだろう。

 その割に、シユの表情は穏やかそのものだ。マサジとは対照的である。

「いきなり」剣士の一人が声を張って言う。「その遊女がマサジ様に襲いかかり、止める間もなく、一突きにしました。一瞬のことでございました」

 何も答えることなく、マサエイは息子の遺体を前にして佇んでいるが、呼吸が荒くなるようでも、肩が震えるようでもないのが、逆に不穏だった。

「部屋を片付けよ。それ以後に関しては、追って指示する」

 やっとそれだけ言うと、マサエイが振り返った。

 その顔が目の前にあるせいで、感情がよく読み取れた。

 やや驚いたのは、マサエイの顔には悔恨や悲痛さは少しもなく、むしろどこか解放されたような、肩の荷を降ろしたような顔になっていることによる。

「スマ、ついてきなさい」

 すれ違う時、静かな声がかけられたので、一礼し、老人の後についていった。

 屋敷の喧騒は徐々に静まり、しかし立ち込める血と死の気配は如何ともしがたい。暴力の気配もまだ、空気に立ち込めていた。

 屋敷の奥まで進むと、そんな粗暴な要素は退いていき、マサエイが落ち着いた部屋は、まるで平穏しかないような静けさだった。

「リイを切ったな?」

 座布団に座り、脇息を体の前に持ってくると、マサエイはそれに寄りかかった。

「なぜ、リイを切った?」

「簡単な理屈ではありません」

「話せ。ぜひ、聞きたい」

 一度、息を吸って、ゆっくり吐く。

「先ほどのマサジ殿を殺し、マサジ殿に殺された遊女は、シユと言います。私は事前に、シユがマサジ様を殺すつもりでいることを聞いていました。ですから、シユ殿の邪魔をさせないためにリイ殿とぶつかりました」

「それではわからん。わかるように話せ」

「シユ殿はノヤ殿の妹です。そして兄妹は、マサエイ様の奥方のイト様の指図により、両親を失ったと聞いています。その復讐として、マサジ様を殺害し、オリカミ家を潰えさせる、そのような意図かと存じます」

 パチンと扇子が閉じられ、開かれ、閉じられた。

「結局は、怨念か」

「シユ殿は、女子をマサジ様から救うとも言っていました」

「女子とは?」

「この屋敷にいる、意識を失っているミツという娘です。ご存じないのですか?」

 知らないな、と呟くと、マサエイが脇息により深く体を預け、うな垂れた。

「マサジの愚かさが、全てを招いたのだな。それは私の愚かさだろうか」

「オリカミ家が潰えたわけではありません」

 ゆっくりとマサエイが顔を上げる。その表情の、さっきとは一転した狼狽している様に、真剣に言葉を向けるのが今、できることのうちの一つだった。

「公正で、優れた領主をご指名なさいませ。そうしてマサエイ様は身を引かれれば良いかと存じます」

「誇りも意地も、捨てるよりない。そう言いたいのだな」

「生きていることが、何よりも正しいことにございますれば」

 脳裏にシユの顔が浮かんだ。

 彼女は死んでしまった。もう話すことはできないのだ。彼女が笑うこともやっぱり、もう二度とない。

 危うく溜息を吐きそうになるのを、ぐっとこらえた。

 こうやって、全てが終わった後に、ただ嘆くだけの存在が勝者にして生者だとすれば、なんて救いのないことだろう。

「考えていることはあった」

 扇子で畳を軽く叩き、マサエイが天井を見上げるそぶりをした。

「リイのことだ」

「リイ殿、ですか?」

 そうだ、とマサエイが顔を下げる。

 俯く形の表情には今までとやや異なる、奇妙な悲痛さがあった。

 マサジの死を前にした時とは違う、悲痛さだ。

「リイは、イトの血を引いている」

 言葉を理解して、無意識に目を細めてしまった。

 その様子を、マサエイはじっと観察している。



(続く)

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