彼女たちの流儀

 自宅に着いたらすぐにPCを起動させた。勝義先輩に言われたことは頭に残っている。

 僕はこどもなのだろう。これは仕事だ、僕に与えられた役割だ。だったら僕が好き勝手していい理由などなく、一定のクオリティを要求されるのは当たり前だ。

 自分の好き勝手に書けるわけが無く、書いたものがクオリティを満たしているとは限らない。頑張った、なんて言葉は通用しない。必要なのは結果だけだ。

 指摘されたシーンをドラッグで指定し、バックスペースで全消去した。これは失敗作だ。未練など残すな。

 いいだろう。努力してやる。成功するまでやってやる。キーボードが削れるまで文章を書いてやる。


「上等だ……! やってやる!」


 ぼろくそに非難されたからといって、そこで膝を付くのは甘えだ。そんなことをしたら僕は何者でもなくなってしまう。僕は携帯電話を取り出し、電話帳のとある人物を探す。


「頼む! AVをあるだけ貸してくれ! あとエロ本だ! とにかくお前が持っているR18的な存在を全てくれ!」

「お前は一体何を言っているんだ!?」


 高校時代の友達に電話をかけ、資料を貸してくれるよう頼み続ける。とにかく今必要なのはありったけのAVとエロ本だ。


「どうしても必要なんだ! 勉強に! とにかくAVだ!」

「どんな勉強だ!? お前文学部だろ!?」


 何か言葉の取捨選択を間違えたような気がする。


「一体何に使うんだ……。いや、使い道なんて一つだけどさ」

「えーと……」


 エロゲ作りに必要とは言えない。どうにかこうにか誤魔化すための言葉を探す。エロとかそういった物とは程遠い言葉……となると。


「PDCAサイクルに……」

「男のアレをそんな言葉で表したのは世界でお前しかいない」


 心なしか友人の声は寂しげだった。違う、そうじゃないんだ。もっとこう、芸術的な部分に使うんだ。お前が思っていることの数百倍意味のあることなんだ。


「こう、自分磨きっていうか。ステップアップ。僕がエロを通して表現したい物がある。それを吐き出すための手段なんだ」

「……………………そっか」


 駄目だ! なおさら友人の声が遠くに行っている。この感覚は僕との交友関係を切るかどうかで迷っているトーンだ。一刻も早く誤解を解かなくては!


「僕は成長しなくちゃいけない。AVを見ることで自分の世界を広げ、表現を豊かにするんだ」


 あ、もう軌道修正不可能だわ。僕の友人というカテゴリの人間が一人、消失した瞬間である。


「分かった。もはや何も言わん。住所教えろ。お前の下宿先までバイクを飛ばしてやる」

「え? いや僕が取りに行くって。明日電車乗って」

「安心しろ、男の約束だ。女には分からない世界だ。それぐらいの価値はある」


 どういうわけだかAVを借りるだけのはずが、男と男の約束にされてしまった。一体どういうことだ。何? 僕は何を間違えた?


「……ってそんなこと言ってる場合じゃない」


 アパートの駐輪場まで下りる。この時間なら近所の本屋も開いているはずだ。その後はレンタルビデオ屋に行かねば。


「エロ漫画とエロ小説も買ってこなきゃ。くそ、なんでこんなもんに金使わなきゃいけないんだよまったく!」


 ああ我が父母よ、お許しください。貴方がたの息子は仕送りをエロに使います。しかしこれも勉強なのです。ここから学ぶこともあるのです。

 心の中で言い訳をしながら、近所の本屋目掛けて自転車を走らせた。




「ふわぁ……」


 欠伸が漏れる。時計を見るととうに一日は終わり、午前に突入していた。テレビではAV女優が喘ぎ声を上げている。


『ドキドキエロテキストの書き方勉強feat橋上友樹』が開始されて約二時間ほど。正直そろそろ辛くなってきた。性欲はとうに失せ、睡眠欲との戦いになってきた。

 僕とて男だ。こういった物に触れた経験はある。しかし、こんな風に勉強感覚でメモを取りながら見たことは一度も無い。やろうと思ったことすらない。


「……『ここでパンツを脱がす』っと」


 つくづく自分は何をやっているのか分からなくなってきた。深夜に一ミリたりとも興奮せず延々AVを見続ける。そして役に立ちそうな技術や描写を観察するのだ。

 テレビにAVを写しながら、気になった部分やポイントになる部分をメモする作業を始めて早二時間。そろそろ疲れてきた。というか作業が虚しい。机の上にはエロ本を積み、気に入った構図やプレイをメモする。

 大学一年生であることをここまで恨んだことはない。酒の一つでも入れればこの作業は楽しくなるのだろうか。残念ながら自動販売機で買ったコーラでは酔えそうにない。ぬるくなったコーラを喉に注ぎ込みながら、次のDVDケースを開く。

 店で借りてきた物と、友達から借りた物。その二つ合わさってもはやDVDケースは塔のごとく積み重なっていた。ピンクと肌色とモザイクによってできた世界最低の塔である。こんなバベルの塔は崩されてしまえ。

 その横にはエロ漫画も大きく積まれ、DVDケースより分厚い分、さらに高くなっている。今地震が起きれば、間違いなく僕は押し潰されるだろう。


「エロマンガ島ならぬエロ漫画塔ってか……」


 ふっ、と息を吐く。まったく、僕ってやつは実に――。


「――絶対あの部活には染まらないと思ってたのに……! 言動がぁ……! 知らないうちに僕の脳にインプットされてる……!」


 自己嫌悪でのたうち回る。あそこはバイオハザード地帯だ。あの部室にいるといつの間にか脳が菌に感染する。最悪の病だ。僕の頭の中ではデフォルメされた文芸部の四人がタップダンスしていた。死んでしまえ。


「…………ふぅ。さて次の作品は……っと」


 落ち着いたところで新たにDVDを再生する。これはナンパ物か。AVはタイトルを見ただけで大体の中身が想像できるから助かる。心構えというか、あらかじめある程度予知できるので非常に見やすい。ネット小説に通じるところがあるな。


「何が素人をナンパだ……。さっきこの女優見たぞ」


 いやまあ、本当に素人の一般人なわけがないのだが。フィクションとしての夢は見させてほしい物である。


「仕方がない。エロ小説に切り替えていくか」


 僕には表現力も語彙力も無い。読者を興奮させるだけの力が無い。ならばどうにかして身に着けるしかない。僕にできるのはとにかくインプットを続けることだ。


『何か趣味とかある?』

『最近はぁー旅行とかしててぇ……』

「とっとと本番やれよ。いや、ここも僕が書くべきシナリオの部分だったなぁ……」


 このインタビューにどれほどの価値があるのか分からないが、少なくとも十本も見ていると飽きてくる。とっとと早送りでもして本番を研究したいのだが、もはや早送りボタンを押すやる気も出ず、BGM代わりに聞き流す。


「女体に飽きてきた……。いや、だからといって男優のケツを映すなカメラマン」


 というか肌色全体に慣れてきた。つくづく人間とは慣れる生き物である。最初の一枚目を再生した時は、羞恥心と嫌悪感とやるせなさを混ぜ合わせた感情を抱いたが、今や抱くのは眼精疲労だけである。


「でもここで諦めるわけにはいかない」


 あそこまで言われて黙っている僕ではない。負けず嫌いで有名なのが僕だ。自分の作品を貶されてへらへら笑っているほどプライドがないわけでない。

 目薬を差しつつ、目頭を揉んで次の映像に備える。一本見るたびに自分の描写がレベルアップするならこの程度なんてことはない。

 先輩の家で見た擦り切れた教本を思い出す。僕が何気なく馬鹿にしていたあのエロ絵を描くのに、彼は一体どれだけの時間を使ったのだろう。何冊の本を読み、何枚の紙に試してきたのだろう。


「だったら僕も……」


 このAV、ディスクがすり減るまで見てやろう。まだまだ角の立った大学ノートが、黒く汚れるまで使ってやろう。


「おい、もう一つ持ってきたからこれ、も……」

「好きなもののために努力できずして何が努力だ! 僕は書くぞ! 理想のエロを! もっと嘗め回すように映してくれカメラマン! そう、女優と男優を絡みをだ!」


 ガタッ、と僕の後方で音がした。慌てて振り返ると、何かを悟ったような表情で僕を見ている彼がいた。


「お前、そんなにAVが好きなんだな……」

「待て! 誤解しないでくれ!」

「いや、だってお前……。メモまで取って……」

「違う! これはただ研究のために!」

「分かった! 俺も男だ! 秘蔵のAVも出そう! 親父が棚に仕舞っている奴も持ってくる! 好きに使え!」

「人の話を聞けーッ!」


 一人の友達を失う代わりに、僕は大量のアダルト作品を手に入れ、無事自分の作品のクオリティを上げることに成功した。この代償を大きいと思うかどうかは人によるだろうが、少なくともその日僕は、涙で枕を濡らすこととなった。

 

「ふむ、これならOKだ」

「よっしゃー! やっと通った!」


 友樹は強くガッツポーズをした。友情を生贄に捧げてまで書いたのだ。これでだめだったなら大損である。


「なかなか描写が上手くなったね。特にこのキスシーンからの男女の絡みはグッドだ。男が蛇のように絡み、互いに結合している様がよく見えるよ。相当研究したんだね」

「うわぁ……」

「歌子さんお願いだから僕をそんな目で見ないでください」


 やれと言われたからやっただけだ。やらなくていいならやらなかったということだけは伝えておきたい。ということを僕の半径三メートルに入ろうとしない歌子に主張した。そんな雑菌のような扱いはやめてほしい。心が死んでしまう。


「いいじゃないか歌子。これでまた資料も見ずにつまらない作品を書いて来たらそれこそ失望だ。AVすら見れないチキン野郎と罵倒しながら蹴り飛ばさずに済んだ」

「それもそうですね。言われたこともできないのかこの猿と叫びながら殴らずに済みました」


 叱責の仕方が斜め上だ。文芸部のくせに運動部の鬼顧問みたいなことをしてくる。


「怖いのはそこの女傑たちだけでござる。拙者たちは優しいでござる」

「……そうだそうだ」


 男二人が肩を組んでサムズアップしている。確かにこの二人が声を荒げているところは見たことないかもしれない。


「先輩たちは優しいんですか?」

「そりゃもう菩薩でござるよ。決して怒ったり、声を荒げたりしないでござる」

「……地元では菩薩の次郎ちゃんと呼ばれていたぐらいだ。そのうち道徳の教科書にも載る自信がある。俺を怒らせたら大したものだ」


 そう言ってわざとらしげにニコニコと微笑む次郎先輩と勝義先輩。


「次回作はロリ巨乳ミニスカメイドものにしたいんですけど」

「ああん!? ぶっ殺すでござるよ!? 何がミニスカでござるか間抜け! 脳味噌にはスポンジでも詰まっているでござるか!? しまいには頭かち割るでござるよ無能!」

「……冗談も大概にしろクソ後輩。今すぐその不快なペラペラ回る舌を噛み切るか、もしくは一生黙るか選べ。さもなくば俺がお前の舌を掻き切るぞ……」


 先輩たちの地元では菩薩の意味が世間一般とは違うらしい。彼らにとって菩薩とは修羅とか殺人鬼とかと同じ意味なのだろう。


「そこのロリコンとメイド好きは黙ってろ。今忙しいんだ。菩薩なら菩薩らしく寺にでも行け」

「寺ゲーは見ないでござるなぁ。神社には巫女さんがいるでござるが、寺には何もいないでござるからなぁ」

「……日本神話は多彩なキャラクターがいるが、仏教はそうもいかないからな。いや、世界観などはなんとか転用できるか……?」


 もうこの人たち一生黙っててほしい。


「ま、よくやった。言われた通りそれなりに研究したんだろ?」

「ええまあ……。もうAVはしばらく見たくないですね。少なくとも半年はパッケージすら視界に収めたいとは思いません。もう見飽きました」

「それはよかった」


 何もよくないです。作家志望としてはよいかもしれないが、健全な男子大学生としては何もよくない。


「部長も昔、こういう風に勉強したんですか?」

「ノーコメントで。君に情欲を向けられたくないんだ」

「セクハラ親父扱いしないで下さいよ。純粋な興味です。そもそもこの部活にセクハラなんて概念ないでしょ」


 ちんこだのなんだのという言葉が飛び交い、机の上にエロ本が積まれたこの部活にセクシャルハラスメントという概念が存在するわけがない。この部活で羞恥心を見つけることは北極で花壇を捜すより困難だ。


「ま、強いていうならレンタルビデオ屋の店員に顔と名前を憶えられたね。ボクが店の裏でどういう仇名を付けられていたか知りたいものだ」

「よく平然としてられますね」

「よくあることだ。なあエロ忍者」

「なぜ拙者の近所の本屋での仇名を!?」

「そりゃ君につける仇名なんてそれ以外ないだろう」


 そりゃ語尾にござるを付ける人がエロ本を何度も買いに来ればそんな仇名にもなる。僕が店員だったら間違いなくそう名付ける。エロ忍者。凄い仇名だ。これ以上無く勝義先輩を表している。


「よし、じゃあ台本を書いていくぞ。文章だけで作者の意志を百パーセント伝えるのは不可能だ。なぜなら作者の思考は何かに転写された時点で劣化し、それを読み手が受け取る際にさらに劣化するからだよ。これは文章力がどうとか読解力がどうとかいう話ではなく、空気抵抗のように自然にあるものなんだ。だからせめてライターと声優の間に齟齬が生まれないよう、シナリオの横で演技指導をするんだよ。大御所にはできないね。小さいボクらのようなサークルだからの技だ」


 まあそれもそうだろう。書いた事が百パーセント読者に伝わるのならこの世は名作だらけだろうし。僕の作品が……一次落ちはしないだろうし。


「例えば君の文章のここ、『彼女は俺の前で泣いていた』というところだが、具体的にどう泣いているんだ? すすり泣き、号泣、声を殺して、泣き叫ぶ。他にもまあ、色々とあるが、どうする?」

「それは地の文で……」

「それを無駄というんだ。歌子が声を入れれば一文字も使わず分かることを、一々説明する理由はない。シナリオと小説は違うんだ」


 確かに。歌子が喋れば全て片付く。歌子が大声で泣いてくれれば、僕は無駄な文章など書かなくていい。多くの部分を削れる。


「せっかく音声と絵が付いているのに、そういった描写にテキストを使うのはテンポが悪くなる。ということを考えて続きを書いてくれ。よろしく!」

「分かりました」

「君には徹底的に教えてあげよう。ボクが大学生活の中で身に着けたエロスのなんたるかを」


 そんなものを大学生活の中で身に着けるな。


「さて、今回は上手くいきますかねー。せめて完成までは持って行きたいんですけど」

「ま、延期はともかく頓挫はごめんでござるなー」


 先輩たちが僕らの横でそう言って笑っていた。何を言っているのだろう?


「いやいや、完成はするでしょ。これだけ人がいるんですから。初心者の集まりでもないし」


 僕は半笑いで手を横に振った。僕はともかく、それ以外は皆ベテランなのだ。頓挫など有り得ないだろう。


「いや、頓挫しない方が珍しいでござるよ」


 キョトンとした顔で皆は僕を見ていた。まるで僕が言っていることが不思議でならないと言わんばかりに。


「……いいか。同人業界というのは広い。敷居も低いし、今やオタクという概念も広く浸透したしな。しかし同人業界において十個のチームのうち九個は頓挫すると考えていい」

「なんでですか!?」

「……これが同人ゲームだからだ」

「これはあくまで趣味の延長線上です。いくらそこに料金が発生するにしろ、職業にはできません。つまるところ学業なり仕事なりの合間で行っていくしかないんです」

「いつでもやめられるんだよ。ナイチンゲールが無償奉仕はいつか破たんすると論じたように、給料が発生しない、発生しても仕事量に釣り合わないから熱意以外で動けない。だからその熱意が尽きたら……」


 終わり、ということだ。やりがいだけで動いている人間がやりがいを失ったら計画が止まるのは当たり前だ。給料が出ないのならしがみつく必要もない。


「……お前もやってみて分かっただろう。本一冊分書いて、そこに細かい指示も載せる。しかも最初から最後まで自分の書きたい物書かせてくれるわけでもない。それだけやって赤字になる可能性だってある。こんなの熱意がなければできない。……お前だけじゃない。俺はスクリプトと演出を作り続け、イラストレーターは授業の合間を縫って半日かけて一枚の絵を描き、声優は本一冊の分量をOKが出るまで撮り直し、ディレクターは各自の動きを見ながらスケジュールを調整し、手が薄い所の手助けに入る。これだけやってどこか一つこけたら中止だ」


 そう考えるととても非効率で、コケる原因はあちこちにある。失敗する可能性が高い計画に熱意だけで挑むというのがどれだけ無謀だろうか。


「素人たちが集まって金にもならないものを作ろうというプロジェクトに参加する奇特な人間の集まりだ。奇特じゃなくなった奴から抜けていくのは当たり前だ」


 香苗部長がそう言った。その言葉は当然のことだ。僕が今書いているシナリオだって、完成しなければただの落書きだ。商品にならなければただの紙束だ。


「奇特ですね。間違いなく」


 この部室の人間ほど奇特という言葉が似合う人たちもいないだろう。それは自分を含めて、だけれども。奇特な部室、奇特な部員、奇特な活動。全部奇特だ。


「そうだ。話は変わるんだが、ここのちんこのモザイク、微妙にずれてる奴があった。これじゃあちんこが出てしまい規制対象だ」

「え、どのちんこでござるか。ちんこは全て処理したはずでござる」


 部長はストレージから一枚の画像を取り出すと、画面に映し出した。デカデカと映し出されるエロ絵に顔を背けたが、横を見ても似たような物しかないから諦めた。


「ここだここ。このちんこの縁の辺りが微妙にずれてる。これじゃあちんこの一部が見えてしまう」


 画像を拡大するとちんこの部分を指でなぞった。勝義先輩が画面に目を近づけて、縁の部分をじっくりと見た。


「あ、ほんとでござるな。ちんこの輪郭が塗れてないでござる。これじゃあちんこを隠せてないでござる」

「こっちでちんこを処理しておいても良かったけど、一応君にも話を通しておこうかと思って。このちんこ、こっちでモザイクかけ直しておくよ」

「よろしくでござる」

「僕を間に挟んで話すの止めてくれません?」


 両耳からちんこちんこと言葉が鼓膜を震わせて来る。非常に不愉快だからやめてほしい。児童漫画だってもう少し自嘲するだろう。せめて隠語でも何でもいいから隠そうという気概を持ってほしい。


「ちんこが嫌いでござるか?」

「どう答えてもろくなことになりそうにないのでノーコメントです」

「そうか……ちんこが嫌いか。じゃあ君がモザイクをかけてみてくれ」

「文章の前後が繋がってないッ!」


 相変わらずこの部活で行われる会話は理解できない。僕の予想を裏切って話題が飛ぶことが頻繁にある。


「だって君を挟んで会話するのが嫌なんだろう? じゃあ君がやればいいじゃないか?」

「筋が通っているような通ってないような……」


 いや通ってないな。考えるまでもなかった。


「どうせ誰かがやらなくちゃいけないんだから、君がやってもおかしくないだろう」


 ここで問答を繰り返すより、とっとと終わらせた方が良いだろう。僕はペンタブを受け取り、指定のファイルを開く。すると画面いっぱいにシーンのエロイラストが表示された。普通の人間なら羞恥心の一つでも抱くだろうが、僕はもうそんな段階はとうに超えてしまった。

 該当部分を範囲指定として塗りつぶし、そこにモザイク効果をかけるだけ。簡単な作業だ。けれど部長は絵を見て、駄目だと首を振った。


「ここ、モザイクができていない」

「え? どこですか?」

「この部分、数ドット塗り潰せてない」


 マウスホイールを回して拡大すると、確かに数ドットがずれていた。身、というか本体が見えてしまっている。


「現実だったら回収物だぞ。きっちり塗るんだ」


 分かりましたと返事をしてぐりぐりとペンタブにペンを押し付ける。


「これでいいですか」

「これだと塗りつぶし過ぎだ。ヒロインの肌色まで潰してしまっている」


 部長がマウスを取り、その部分を拡大した。ちんこを持っているヒロインの手の指にまで侵食している。これはNGらしい。きっちりとちんこだけを塗り潰すことが大事なのだそうだ。


「塗り絵と一緒だ。まずはずれなく輪郭を塗り、それから中を塗るんだ」

「はい」


 言われた通り作業をやり直す。ゆっくりと丁寧にペン先で輪郭をなぞる。後は中を塗り潰せば完成だ。


「じゃ次だ。ほいこれ」


 次はちんこに対してヒロインの指が触れている。これもやり方は一緒だろう。指に対してモザイクがかからないように、丁寧に輪郭をとる。先ほどよりも時間はかかったが、難しい物ではない。


「よし、レベル二はオーケーだな」


 レベル一がちんこ単体、レベル二がちんこに指なり何なりが乗っている状態ということだ。


「ちなみにレベル三から九はない。そして十がこれだ! おののけ! 絶望しろ!」


 仰々しい物言いと共に画面に表示されたのはいわゆる髪コキと言われる場面だった。


「か、髪の毛……!」


 ヒロインの髪の毛がちんこに巻き付いてる。当然ではあるが髪の毛にはモザイクをかけてはいけない。この細い髪の毛の隙間の肌色だけを潰す必要がある。


「ほら、髪の毛には掠らせず、

ちんこだけを塗ってみるんだ」

「うげぇ……」

 数多の髪の毛の隙間を縫いながら塗り潰すが、注意しても気づいた時には暴発してはみ出るという行為を数回。それを見ていた部長は溜息を吐いた。


「下手だね、君」


「僕はこういうチマチマした作業が苦手なんです!」

「こういうチマチマした作業の塊が作品だ。我慢しろ」

「うぎぎ……」

「ほれ、どんどんやっていけ」


 次々と送られてくるエロ画像。中には明らかに今回の作品の絵でないものも混じっている。この人、僕に別作品の作業を押し付ける気だな……!


「作品によっては髪ごとモザイクをかけることもあるが、それはボク的にNGだ。一ドットの誤差も無くモザイクをかける。基本にして絶対だ。まあそもそもちんこに髪の毛を絡み付けるということ自体が、モザイクを使わずにちんこを映す方法だったらしいけれどね」


 言われた通りに針の穴を通すようにグリグリと塗り潰す。眼を見開きすぎて眼球が乾きそうだ。家でエロテキストを書き、学校ではモザイクをかける。僕の大学生活はどこに行こうとしているのだろう。考え始めると死にたくなるので思考を止める。


「これは創作……僕はクリエイター……芸術の創造……」


 脳に支障をきたしそうなので、催眠によって自分をごまかすことにする。大丈夫だ。僕が作っているのはルノワールの裸婦画みたいなもんである。何も恥じることはない。


「なんだ。まだエロゲ製作に嫌悪感を持っているのかい?」

「これは嫌悪感ではなく純粋な恥じらいです」

「恥じ……らい……?」

「部長の辞書には登録されてないんですね。不良品だから取り換えてもらうといいですよ」


 おそらく彼女の遺伝子には恥じらいという概念が織り込まれていないのだろう。かわりに文才と変態の才能を持って生まれてきたのだ。


「昔、規制が甘かった時代は特定の操作でモザイクが外れるなんて機能もあったらしいが、今はガチガチなのでしっかり塗ってくれ。じゃないと怒られてしまう」

「分かりました」

「あれだね、『一ペニスも多くなく、一ペニスも少なくなく』ってやつだよ」

「ぶははははッ! 座布団一枚でござる!」

「ちょっと黙っててくれません?」


 こっちは真剣に、繊細な作業をやっているんだ。横から茶化すのは止めてほしい。そう伝えても二人は何吹く風で猥談を始めた。

 この二人を殴り飛ばすのと、僕がパソコンごと移動するのはどっちが早いかと考え、そして後者を取ることにした。なぜなら殴ったぐらいでは止まりそうになかったからである。反作用で僕の拳が痛むだけ無駄だ。

 とりあえずPCを持って場所を探すと、歌子が手招きしていた。甘えてその隣に腰を下ろす。


「あ、さっきのギャグはね、ジェフリー・アーチャーの小説に出てくる……」

「いや、元ネタが分からないから逃げてきたんじゃなくて……」


 分からないのは分からないのだが、それ以上にとんでもなく下品なギャグが僕を挟んで飛び交っているから逃げてきたのだ。


「ほら、手が止まってますよ。きっちり一ドットのずれもなくちんこを範囲指定してください」

「…………」

「そう、いい感じです。きっちりと輪郭をなぞることが大事なんです。時には拡大、時には縮小。角度を変えたりしていい感じに塗ってください」


 慎重に、慎重に。少しずつ輪郭を塗り潰していく。髪の隙間を縫って確実に。時間はかかるが、そう難しい物ではない。焦らずゆっくりと手を動かすよう自分に言い聞かせる。

 画像拡大。ちんこを画面いっぱいに映し、じっくりと輪郭を見極める。ゆっくりとゆっくりと一ドットずつ塗り潰す。


「……お前、なんでちんこを拡大して凝視してるんだ?」


 画面をじっと見つめていた時、そこに最悪のタイミングで次郎先輩がやって来た。


「違います!」

「……何がだ」

「見たくて見ているわけじゃありません!」

「……見たくもないのに見ているのか。変わり者だな、お前」

「ぐぎぎ……」


 言い返せない。ちくしょう。この光景を他の人間が見た時の言い訳が思いつかない。何をどう言い繕おうと僕がちんこをパソコンで凝視していることに変わりはない。


「……ちんこ大好きなのかお前」

「ちんこが好きなわけないでしょ! 僕だって好きでちんこ見つめてるんじゃないです! ちんこなんて見なくていいなら見ませんよ! でも部長がちんこにモザイクかけろって言うから仕方なくちんこ見てるんです! ちんこ見ないで済む方法があるならぜひ知りたいですよ!」

「ちょっと友樹。ちんこちんこうるさい。こっちが恥ずかしくなるだろ」

「下品でござる。少しは羞恥心というものを持つでござるよ」


 ぶっ殺してえ。今すぐ椅子をこの二人の頭に振り下ろしたくなる。だけど頭を殴って余計に壊れたら困るので自重した。


「実際髪の毛でヤるっていうのはどうなんでござろうな。二次元だと興奮できるでござるが、三次元だと痛そうでござる」

「髪の毛なんてワイヤーみたいなものだからね。忍者がその丈夫さに目を付け、縄として編んでいたぐらいだ。硬くて巻き付けるのは大変だろう」

「ていうかいくらローション付けても動いたら切れるんじゃないですか? 髪の毛ぐらいの硬さと細さがあったらこうスパッと」

「僕を挟んで恐ろしい猥談をするな! ちょっと下がひゅんってしただろ!」

「どれどれ?」

「やめろ! 人の股間を揉むな! 確かめるな!」


 流れるようなセクハラ。これからの政府にはセクハラに対する法整備を整えてもらいたいものである。


「ほら、できましたよ!」


 僕はできあがった画像を見せつける。部長はそれをズームしたり回転したりしながら確かめた。


「よくやった。まあもっと簡単な方法はあるのだが、やはり苦痛を経験しておくべきだね」

「最初からそっちを教えてくださいよ!」


 楽な方法があるのに僕はこんなことをやらされたのか。ただただ時間を無駄に舌だけじゃないか。


「いや、毎年こうやって新入部員がモザイクをかけるところを見るのを楽しむのが伝統でね。我々も伝統を守ることを強いられているんだ」

「本音は?」

「ボクが負った苦しみを、他の人にも経験してもらいたい。でなければ不公平だ」


 クソがっ。まるで体育会系の部活だ。後輩に嫌な伝統ばかり伝えられていく。こういう人間がいるから新しい考えが受け入れられないのだ。

「来年部員が入ったら僕も同じことしてやる……!」


 こうして、我ら文芸部の伝統は存続していくのであった。

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