優しい感想の唱え方
風呂場、という場所が僕は好きだ。その場には自分しか存在しないから。裸という自分の姿を否応なしに見ることになる。狭い空間に逃げ場は無く、自分の身体が湯の中に沈む感覚をずっと味わい続ける。
「はぁ~」
アリストテレスは風呂に入っている途中に良いアイデアを思いついたらしいが、ギリシア人ではない僕は何も思いつかない。締切はもう一か月先に迫ってきている。
未だ全体の一割もプロットは進んでいない。締切が一か月先ということはその日に原稿は完全に上がっていなければならない。つまり推敲の時間や誤字脱字を考えると残り三週間という所だろう。
正直に言ってかなりキツイ。今までそんな速度で書き上げたことは無い。いつもは三か月以上かけることも珍しくない自分にとって、約二倍の速度で書かねばならない。
別にその日がデッドラインではなく、一日や二日は前後しても許されるだろう。しかしシナリオが上がらなければ他の人間は何もできない。
先に絵が必要なシーンだけ伝えてとっとと描いてもらうという方法もないことはないが。
『拙者に性格も行動原理も分からぬ女を描けと? ふざけないでいただきたい。そんなのただのドットの塊であってヒロインではないでござる』
「って言うらしいしな」
ていうか絶対に言う。これ以上無くこちらを見下し、汚いものでも見るような顔で言う。
「ヒロイン一人と主人公だけか……この条件が辛いな」
聞いた当初は簡単だと思ったが、実際にやるとかなりキツイ。家にある小説や漫画のどれも二人だけで成り立っている物など無い。ラブコメもアクションも登場人物の絡みがあってこそだ。
「二人以外出てこない作品の何が楽しいんだよクソッ!」
モブの使用を全面禁止されているわけではないが、モブを多用すればそれだけゲーム内では無言の時間が続く。ヒロイン以外声を発しない以上、それ以外の登場人物が増えればチープさが増してしまう。登場人物が十人いても、声が付くのはヒロインだけだ。
無言、静寂をあえて生かす手法もあるかもしれないが、僕にそんな技術は無い。
無機質な風呂場の天井を眺める。僕の脳内はそれと同じく真っ白だ。脳にある無数のアイデアとも言えない何かがぐるぐる回る。
「世界が滅亡して主人公とヒロインの二人だけに……いや、これだと起承転結が動かないか。じゃあ二人が狭い部屋に閉じ込められて脱出ゲームに……一か月で書ける気がしない。うーん、じゃあ幼馴染とのラブコメをモブを使わず……うーん」
モブを使用できない以上、無駄な登場人物は増やせない。普通の学園恋愛ものを書こうとするとそこで引っかかる。二人だけで世界を作ることの難易度は高くはないが、それが本一冊分続けられるかとなると話は別だ。
では話を広げやすいファンタジーにすれば、とすると登場人物が少なすぎて世界観が定まらない。もしくは地の文で多く説明することになりくどくなる。
「どうしたもんか」
湯で顔を洗う。ゲームと小説、似たようなものだと思っていたが全然違う。今までのラノベ作家志望としてのノウハウはあまり役に立たない。
頭の中で浮かんでは消えていくストーリー。このどれかを形作る必要がある。
「当たって砕けろとも言うし、とにかくやってみるか!」
とにかく書いてみることにしよう。失敗して初めて分かることもあるだろう。そもそも一発目から成功するなんて思うほど自惚れちゃいない。
風呂から上がって着替えるとすぐにPCのキーボードを叩く。なんにせよ、これからゲームを作れるんだ。楽しもう。
「これでどうですか?」
次の日、僕は意気揚々とプロットを見せた。先輩たちは少し考え込むようにそれを眺めた。
「つまらないでござる」
「……面白くない」
「次回作に期待します」
「はいじゃあまた明日」
「少しは後輩を褒めて伸ばそうという考えを抱け!」
最近は褒めて伸ばす教育法が主流だというのに、この四人はそれに従う気が一切ないらしい。印刷した僕の企画書をシュレッダーに放り込んだ。
「あ、ああ~!?」
「他人が持ってきた作品をシュレッダーに捻じ込むのはどうしてこう楽しいんだろうか」
「積み木を崩す楽しさがありますよねえ」
紙束は僕が止める間もなく裁断され、文字通り紙屑となった。僕に許されるのはさめざめと泣くことだけである。
「多数決を取るまでもない。このプロットは通さない」
「どうしてですか!」
「こんなものを面白いと思っている時点で駄目だ。プロットだけでここまで面白くなさそうなのは中々ない。逆に才能がある。喜ぶといいよ」
「……珍しい。部長がここまで褒めるとは」
褒めてないでしょ。これで褒められていたら僕の精神はぶっ壊れる。
「ボクら四人に面白そうだと、作ってみたいと思わせるのが君の仕事だ。これでは欠片も作ってみたいと思えない。紙面から面白さ、エロさが伝わってこない。こんなプレゼン能力じゃ社会ではやっていけないぞ!」
「急に真面目な方向から叱ってくるのやめてくれません?」
社会という言葉がこの世で最も似合わないこの部活に言われると非常に腹が立つ。だが、そう思うならとっとと社会に出ろ、と言い返しても仕方がないので素直に従う。僕のプロットが面白くないのが悪いのだから。
「言っておくがどれだけ締切が近づいてもボクらは妥協はしない。ボクらは自分が作りたいと思う物しか作らない。なんせ素人なんだから」
「やりたくないことはやらなくていいのが同人の利点ですので。給料分の働きだとか、会社への忠誠とか、職業倫理とかいったものは一切ありません」
二人ともにこにこと笑いながらお菓子を食べている。彼女らにとって僕の持ってきたプロットは、労力を割こうと思える作品ではないということだ。
「例えばだ。勝義に『ゴスロリメイドのヒロイン書きたいから絵を描いてほしい』と頼んだとしよう。彼は絶対に首を横に振るし、なんなら退部届を出してくるだろう。ここはそういう場所だ」
やりたいことは死んでも成し遂げるが、やりたくないことはやらない。それがこの部活の唯一のルール。目的地が一緒でなければ協力はしないのだ。
「仲間にしたければ、面白くてぜひ作りたいと思わせることだね」
「……見てろよ! 絶対面白いって言わせてやるからな!」
机に座り、再び次のプロットを書き始める。最初の一回で通るなどとは思っていない。こんな物は数撃てば当たるに決まっている。僕の無限のアイデア力を見せてやる。
次の日。
「面白かった。とても良かった。また読みたい」
「小学生みたいな感想はやめろ」
その次の日。
「ではまずストーリーの構成が甘いです。もっと起承転結を意識しましょう。世界観の作り込みはいいですが、キャラクターがそれに着いていけていません。キャラクターを深く作り込んでみてはいかがでしょうか。またのご応募をお待ちしております」
「当たり障りのない感想はやめろ」
さらに次の日。
「……つまんね」
「一番辛辣な言葉はやめろ」
さらにさらに次の日。
「これ面白いでござるか?」
「逆に訊いてくるのもやめろ」
全滅。その一言で僕の惨状は全て表せる。部室の隅に置いてあるシュレッダーは一週間もしないうちに満杯になっていた。
「もー……僕にどうしろって言うんだよ……」
下手な鉄砲は数撃っても当たらなかった。それどころか僕の脳と指が疲れただけで、プロットの弾丸は掠りもしなかった。
部室の隅っこで机に頭を擦りつけながら、自問自答する。思考の迷路に迷い込んで動けない。面白い物、つまらない物。頭の中がごちゃごちゃに絡まったケーブルのようにこんがらがっている。
ぶつぶつと机に向かって愚痴と文句を言っていると、部長が歩いてきて僕にデコピンしてきた。中々の威力に僕は潰れた蛙のような声を出した。
「ちんこが勃起しないんだよ」
「いや、あなた女でしょ」
「心のちんこだよ。人類は皆持ってるんだ」
「いや、多分ここの部員だけです」
当然であるがちんこは女性には付いていない。
「大事なのはシチュエーションだよ。ただ性欲を解消したいだけならエロ本でも買えばいい。エロゲである必要がないんだ君のストーリーは」
「はあ……」
「エロゲというのは非常に不安定な立ち位置にある。画集でいい、漫画でいい、アニメでいい、小説でいい。そんな言葉の向かい風に必死で持ちこたえている存在だ。気を抜くと簡単に滑落する」
「よく分かりません」
「そうだな、真面目にやろうか」
部長は椅子に深く座り込むと、ペンで僕のプロットにコメントを書き始めた。
「まずこの『過去のトラウマを持った主人公がヒロインに触れて心を取り戻す』という部分だけれど、具体的にどうするつもりだ。エロシーン以外に使える分量は決して多くないぞ?」
「うぐ……」
「それに君の作品を見たところ、君の作風はもっと明るい物だ。こんなしっとりとしたものができるのか? ゲームでは地の文はたいして使えないから大部分は台詞で表現するしかない。君の腕で行けるのか?」
「ぐおっ」
「それとこのラストだが胸に響かない。安易な奇跡ほどつまらないものはない。物語で奇跡を掴むのは主人公の仕事だが、ご都合主義だと思われないように積み重ねることだね。以上だ」
「ごほっ」
「……死亡確認」
僕はもう全身から力が抜けて動けなかった。言葉のナイフが僕の心臓をずたずたに切り裂いていった。もう立ち上がれない。
もうだめだ。今言われたこと全てに反論できない。というか全て薄々自分でも感じていながらも、無視して書いていたことだった。完全に見透かされている。
「いいんだ……どうせ僕なんか一生つまらないものを書くんだ……そして紙を無駄に使うだけなんだ……。地球環境に優しくなくてごめんなさい……」
僕は床に寝転がってしくしくと泣く。生まれてきてごめんなさい。恥の多い人生を送ってきてごめんなさい。
「お、動かなくなったでござる」
「作家志望に言ってはいけないこと、それは現実と正論ですから」
「だが言わねばならない。彼が一人で書いているなら、それは好きな物を好きなように書いてくれればいい。しかしチームでやっている以上、文句を言うのは義務であり権利だ。ほら、もう一度書き直してくるんだ」
容赦がない。実に残酷なまでに指摘してくる。僕は力なくプロットを受け取ることしかできない。どのあたりがどうつまらないかを事細かに書かれていた。死にたくなってくる。
「あ、ついでにこれ前に渡された小説だ。真っ赤に直しておいたから好きに使え。反省するもよし、無視するもよし。君の判断に任せるよ」
さらに手渡された原稿は本当に赤く染まっていた。行間は全て文字が書かれており、本文にはあちこち斜線が入っている。
「秤に載せたら絶対重くなっているでござるよ」
「さすが香苗さん。容赦ないですね」
「いやー、自分でも驚きだよ。あまりにつまらなかっ……直し甲斐があったもんで」
「言葉を変える優しさがあるなら、せめて口にしない優しさを見せてほしかった……」
強烈な二連撃は僕の精神をやすりで削る。もうラノベ作家になるという夢が掻き消えそうな感想に、僕はゾンビのように声にならない声を上げることしかできない。ガラスの心はとうに粉々だ。
「ま、人は日々成長するものだ。そのうち書けるようになるさ」
「早く成長してくださいねー。私たち、シナリオができるまで暇なんで」
「あ、そうだ。拙者実家から人生ゲーム持ってきたでござる。これをやろうでござる」
「ほれ、君は帰りたまえ。また明日プロットを持ってこいよ」
意気消沈して帰り支度をする僕を尻目に先輩たちは楽し気にボードゲームで遊んでいる。
くそう。僕だって本当は今頃そっちで遊んでいるはずだったんだ。悔しいやら情けないやらで溜息を吐く。
「先輩から一つアドバイスを上げよう。君は特撮ヒーローを見たことがあるかい? 光の巨人、仮面のヒーロー、五色の戦隊。なんでもいい」
「そりゃありますけど……小さい頃、ずっと見てました」
今とは違い、僕とて純真な子供時代はあった。朝早起きしてヒーローたちの活躍をテレビに張り付いて見ていた時代が。
「あのヒーローたち、本当にいると思わなかったかい? 自分の知らない場所で、現実に敵と戦っていると思わなかったかい?」
思っていた。僕の知らないところで敵と戦っているのだと。だから応援していた。毎週テレビの前でピンチの時にはハラハラしながら、敵を倒せば喜びながら拍手していた。
「なぜだと思う?」
「子供だからじゃないですか?」
子供の頃は誰しもが純真だ。ヒーローだって、サンタクロースだって、誠実な政治家だって信じていた時代は誰にでもある。大人になるにつれ、いつの間にか嘘を嘘だと知り、現実的なことだけを考えるようになる。
「違うよ。本気で騙しにきているからさ。子供だって馬鹿じゃない。着ぐるみであることなどその気になればいつでも分かる。けれども分からないのは、その気にさせないほど作り込んでいるからだ。大人が子供を騙すために全神経を注ぎ込んでいるからだよ。だから子供は安心して騙されるのさ」
大人たちが多大な資金と労力を使って作り上げた虚構の世界。それがフィクションであり、そして名作と呼ばれる作品の所以である。
「エロゲも同じだよ。本気でプレイヤーを騙せ。世界に没入させろ。人間の脳は高性能だ。足りない部分は勝手に補完する。想像して、思考して、世界が心を埋めてくれる。リアリティとはCGの美しさではなく、世界の美しささ」
だろう? と部長は鋭い笑みを浮かべた。
「そもそも女体を見たら興奮するのは当たり前なんだよ。本能に、遺伝子に刷り込まれてるんだから。アレやソレを見たら勃起するのは当然のことだ」
そんなことは保険の教科書にも載っていることなのだ。そして目の前の部長が、変態がそんな当たり前のことをいちいち言うわけがない。この部活の天辺はそんなに丸くない。
「当然のことを当然のようにやるだけでは意味がない。見せないようにして興奮させる。焦らすように、隠すように! ああチラリズム! 大っぴらに見せるよりは隠し秘めることに意味があるのだ! 文章という織物の中に、エロスの糸を隠すのだ! ロスタンの戯曲、シラノ・ド・ベルジュラックを読んだことはあるかい? そこにこんなセリフがある。「私に愛の言葉を囁いて」「あなたを愛しています」「それは主題。もっと言葉に綾を」なんてね。一緒だよ。エロゲにおいてエロはテーマでしかない。大事なのはそこに織り込む他の感情なんだ」
仰々しく、まるで演劇のように部長は語る。いや、戯曲からの引用なら正しいのだろうか。吟遊詩人が歌うが如く、彼女は声高にしゃべり続ける。
「だからだ、エロゲなのだから出てくるヒロインがエロいことをするのは当たり前なんだ。そんなのはラーメン屋に行ったらラーメンが出てくるのと同じ。つまりどれだけエロくないかで他との差をつける必要がある。つまりエロゲにおいて大事なのは、いかにエロくない部分がエロいかなんだ。知っているかい? 吉原の花魁たちが真っ先に教えられるのは箸の持ち方と字の書き方だったらしい。男の股座の掴み方より、箸の上げ下げの方が重要視されたんだよ」
肌色の多さがエロスではない。肌色の少なさがエロスなのだと部長は言い切った。
「いかにエロくない部分がエロいか……目から鱗だ」
考えてもいなかったことだ。空白が、何も無い場所が、エロの要素を構築する。
侘び寂びの概念とでもいうのだろうか。日本史の教科書で見たことがある。飾りつけではない。何もない空間が世界を演出するのだと。
「やってみるか……」
僕はネタを考えながら家まで自転車を漕いだ。
僕は気づかぬうちにエロをしやすい世界を書いていたのだろう。エロにどうやって持って行くかを考えながら書いていた。それは間違いではないのだが、正しくもない。
エロとは見せないものだ。性とは秘めるものだ。興奮を非興奮のなかに隠し、貞淑の中に娼婦を隠す。前面に押し出してはならない。エロゲであるが故に、エロさをおおっぴろげにする必要はないのだ。
エロゲだからエロくなければいけないと思っていた。固定観念だ。コンビニに並んでいるエロ本がそうであるように、エロを表紙に出すべきだと思い込んでいた。
それは違うのだ。間違いではないが、完全なる正解ではない。
「そうだよな、視界が狭すぎたよな」
もっと視野を広くすればいいのだ。映画でも、小説でも、ドラマでも、アニメでも、いくらでも参考にできるのだから。
「二人の登場人物、エロくなさ、世界の構築」
部長のアドバイスを思い出しながら文字を打ち込む。
だいぶ形にはなってきた。もやもやとした霧がどうにか型にはまって液体ぐらいにはなってきた。まだまだ液体で、せめてプリンぐらいにはなってほしいとは思う。
香苗部長のアドバイスは僕が考えてもいなかったことだ。世界の演出、本気の子供だまし、エロくないエロ。どれも僕の作品にはなかった。
「だったらここはこう……」
今まで分からなかった僕の作品と部長の作品の違い。その一端に気付けた。ならばそこを軸に動かせばいいだけ。指針、コンパスを手に入れた分、かなり方向性を定めることができた。
「今までずっと勘違いしてた。エロくなきゃ駄目なんだって、エロくしやすい設定が大事なんだって」
それは逆の考えなのだ。エロい設定からエロが生まれるのではない。エロくない設定からエロを見つけ出す。隠れたエロス、構築された世界の中にある真のエロス。
「だったら僕はここに隠そう」
最後の一文字をエンターキーで打ち込んだ。
「ふむ、ホームズとワトソンか。確かにこれなら二人で回せるし、依頼者と犯人をモブにしても違和感はないか。二人の会話を増やすのも苦ではない。しかしこれを一か月で書けるのか? ミステリーのトリックなどそうそう浮かばんだろう」
「恋愛要素を多く入れていきます。舞台は現代で、殺人事件などではなく日常の謎に迫っていくようにしたいと思います。全体的に明るい雰囲気で書いていくので雰囲気は崩れないかと」
「そうか……。二人ともどうだ」
「いいんじゃないですか。事前に出した条件はクリアしてますし、これなら演出に凝る必要もないですしね」
「同意見でござる。舞台が現代だから資料探しをする必要もないでござる。ミステリー系はエロゲでも当たれば人気になるジャンルでござる」
どうやら僕のプロットは好感触のようだ。とりあえずシュレッダーには捻じ込まれていない。採用かどうかはともかく、話し合いを行うぐらいのところまでは持って行けたようだ。
「しかし、如実にシナリオライターの実力を問われるジャンルでもある。明るい雰囲気なんて簡単に言うが、そうそうできることではないぞ。ギャグ方面にした結果、出来上がったのがうすら寒いだけのクソゲーを山ほど知っている」
「あああああ!」
「……やめてくれ」
ここの部員、クソゲーに対するトラウマ多くない? いったいどれだけ地雷を踏んで来たんだ。地雷踏み過ぎて全身粉々になってるんじゃないだろうか。
「――所詮エロゲは絵が豊富な小説に過ぎない。面白さの八割はシナリオ依存だ。特にこんな推理物ならな。分かっているな?」
それは僕の肩にこのゲームの出来がかかっているということと同義だ。今まではつまらない物を作っても困るのは僕一人だけだった。だが今回は、先輩たち四人分を背負わなくてはならない。
「怖気づいて辞めたいのならここが最後のチャンスだ。このボーダーラインを踏み越えたら最後、ボクらは君に一切の手加減をしない。同業者として君の作品に口を出す」
「今までも散々口は出してたと思うんですけど」
「これまでとは比にならない。今までは君には読者として、もしくは評論家気取りとして口を出していた。これからは仕事仲間として声を出す。遠慮も容赦も妥協もない」
今まで以上、これまで幾度となくシュレッダーに作品をぶちこまれてきたが、それを遥かに超えて手を出される。
あれは読者として口を出していたに過ぎなかったらしい。これからは仲間として、同じ作品を作る人間として評価されることになる。
「もう一度訊く。こちらの世界に踏み込んでくるか? 変態のろくでなしのエロゲ制作に参加するか? これといった報酬も名誉もない。達成感と熱意だけが手に入るのみ。ここがボーダーラインだよ。変態の境界線だ」
部長は僕をじっと見つめ、そして虚空に線を一本引いた。ここが絶対なる線だと部長は示している。今まではお客さんだ。ここからは仲間の一員、遠慮などしないのだろう。
「行きます。だから仲間に入れてください」
その言葉を聞いて部長はふっと笑った。
「よし、始めよう。歌子はこっちへ来てくれるかい。ホームページとSNSで新作発表と宣伝だ。前作の客をどれだけ引っ張れるかだね」
「何をどうします?」
「ミステリーだってことだけ大仰に書いておこう。ミステリーだから色々隠していても不審に思われない。発売日に近づくにつれ段々情報を開示していく。キャラのプロフィールとビジュアルだけでも完成させたら見せよう。こういうのは初動が大事だからね」
「原画だけでいいでござるか? 彩色は?」
「いらない。多少未完成の方が作成途中感が出ていい。当然随時完成させていく」
「分かったでござる。ついでにSNSで仲間に連絡とって応援イラスト描いてもらえるよう頼んでおくでござる」
「後、イラストを描いている過程も映像に残しておいてくれ。メイキングと言って公開しよう」
「……俺は?」
「前作、前前作から使えそうな物と使えなさそうな物を仕分けする作業だ」
「……了解。ま、俺が今の段階からすることはないか。背景ぐらいは組込んどくか」
部長はてきぱきと作業分担を決め、カレンダーとホワイトボードに予定を書きこんでいく。できる女社長、なんて言葉を思い浮かべるぐらいには効率的だ。
「その代り後半死ぬほど忙しいでござるが」
「……最初から最後まで忙しい原画兼グラフィッカーは黙ってろ」
「だったらグラフィック手伝うでござる」
「……じゃあお前はスクリプト手伝えよ!」
「嫌でござる」
「……ぶっ殺す」
勝義先輩と次郎先輩が取っ組み合いを始めた。お互いに胸倉を掴みあいながら睨みあっている。
「部長。先輩二人が喧嘩始めました」
「ほっとけ。どうせどっちも運動不足のエロゲオタだ。すぐに息が切れる。暑苦しいから冷房点けてくれ」
言われた通り冷房を点ける。やかましい風の音と共に二人がファイティングポーズを取る。
「へっ、デブだからといって防御力が高いと思うなでござる……!」
「……ふん、無口だからといって隠された力を持っていると思うなよ……!」
自慢にもならない謎の自己紹介と共に戦いの火蓋が切られた。片やデブのエロゲオタ、片やガリのエロゲオタ。どちらが勝つかではなく、どちらが負けるかの戦いだ。
「部長。この世で最も低レベルな争いが行われそうなんですけど」
「よーく見ておくといい。こんな戦い、テレビでも見られないぞ」
運動不足のエロゲオタ同士の戦いは開始十秒で泥沼と化し、お互い喘息患者のごとく息を荒げていた。部屋の中のPCを万が一にも壊さないためにも緩慢な動きとともに拳が飛ぶ。喧嘩の中にも気遣いを見せることを褒めるべきか責めるべきか。
「体育が無くなった留年大学生の末路だ。嫌なら常日頃から運動しておくことだね」
「肝に銘じます」
そんなことを話している内に、話題の二人は椅子に座り込んで息を整えていた。まるで十二ラウンドを戦った後のボクサーのようだが、実際はまだ一ラウンドも終わっていない時間である。
「さて友樹、キャラの外見ぐらい決まっているだろう。勝義にキャラの魅力を三時間ぐらいかけて話すんだ。じゃなきゃ描かないものでね」
「あ、その状態に入った勝義さんは死ぬほどめんどくさいので頑張ってください」
「はい?」
常にめんどくさいだろこの人、という言葉は口に出さなかった。勝義先輩はよろよろとした手つきでスケッチブックを取り出すと、僕の方に向き直った。
「立ち絵はヒロインだけでいいでござるな? 差分は何枚ぐらいで?」
「立ち絵は差分も入れて十枚は欲しいな。どういう表情がある?」
「えーと、普通の顔と笑い顔、泣き顔、ちょっと悲しそうな顔、怒った顔と後はえーと……」
他にも色々と要望を伝えていく。ヒロインの多彩な感情を表すためには表情差分は多ければ多いほどいい。だからといって無数に用意するわけにもいかない。話し合ってちょうどいい数を決めていく。
「それぞれに頬を染めた差分が欲しいかな。後なんかあるかい?」
「笑う顔にボリュームが欲しいでござるな。調整しておくでござる」
「イベントCGは何枚欲しい?」
「二十枚+差分ぐらいでござろう? それ以上は多分時間がないでござる」
「もう二、三枚描けないか? 前回よりも数が欲しい」
「差分抜きの一枚絵なら、まあ大丈夫でござる。まあテキストの上がり具合によるでござるが」
「その代わり背景は前作のを使い回そう。描いてる時間もない。まあ多少手は入れてくれるか?」
「うーむ、前作さまさま。卒業生さまさまでござるな」
「使えるものは親でも使う。うちの合言葉だ」
この部室には長く積み重ねてきた遺産がある。多分常識的に考えれば負の遺産なのだろうけど、クリエイターにとっての宝の山が。大量の資料に、作ったはいいが使わなかった音楽や背景画像、二度と手に入れることの叶わないゲームの束。そんなガラクタの山がTB単位で保存されている、らしい。
「じゃあ後はキャラデザでござるな」
勝義先輩がタブレットとペンを取ると、僕に様々な質問を始めた。
「さて、では色々質問していくでござる。まずは容姿についてでござる。髪の毛の色は?」
「えーと、茶色で行きたいと思ってます」
「背の高さはどれぐらいでござるか?」
「そうですね、ちょっと低めの方が良いと思います」
「服装は?」
「えーと……」
矢継ぎ早に繰り出される質問。息継ぎの暇すら無く、雪崩のように質問が繰り出される。
「ほう、パンストでござるか。具体的な薄さは何デニール?」
「デ、デニール?」
そこまで聞かれるの? というかデニールって何? 何ミリ? というかパンストは何ミリが正しいの?
そしてこの辺りから変な質問が増えてくる。
「人差し指と薬指はどっちが長いでござるか?」
「く、薬指ですかね」
「耳たぶの長さはどのぐらいでござる?」
「福耳……ってことで」
「ブックカバーは付ける? 付けないでござる?」
「付けます」
「このヒロインは納豆に何を入れるタイプでござるか?」
「……んなことまで考えてる訳ないだろッ!」
僕は机を叩いて立ち上がった。キャラの作り込みが大事とは言え、そこまで決めてはいない。いちゃもんのようなコメントには断固として反論する。
「考えるでござる! たとえ二次元の儚い存在であっても、生きているんでござるよ! 体温を持った温かい人間なんでござる!」
「その温かさはPCの熱です! 目を覚ましてください!」
僕はキャラ設定でそこまで決めたことなどないし、これから決めることもないだろう。決めたところで使い道がない。
「それでも人間でござるか! 冷血漢! 卑怯者! 一次落ち!」
「最後は関係ないでしょ!?」
なぜ唐突に作家志望としての僕を責めてくるんだ!?
「描写が下手くそ! キャラに魅力が無い! 伏線が露骨!」
「時系列が曖昧! キャラ付けが下手!」
「心理描写が簡素! テーマが伝わってこない!」
「なんで部員全員で僕を責め立てる流れになってるんですか!?」
しかもどれも心当たりがある分ダメージが大きい。いかんこのままではガラスのハートが粉々になってしまう。
「一次落ち! 一次落ち!」
「しつこいですよ勝義先輩!」
「だって事実でござる」
「ぶっ殺す!」
「やってみるでござるよ!」
ここに運動不足のエロゲオタと運動不足の作家志望の喧嘩が始まった。
「そこの二人、それ以上騒いだら窓から突き落とすよ」
「マジすいませんでした」
「へへぇ御屋形様。お靴が汚れているでござる。お拭きしましょうか?」
「無能共。ボクの足を拭く暇があったらとっとと仕事をしろ」
というわけで作業再開。意味の分からない質問を二時間ほど浴びせられ、へとへとになったころにようやくキャラクターが完成した。
「できたでござる!」
勝義先輩が見せてきたヒロインはとても可愛かった。僕の伝えた情報は、少なくとも外見においては完璧に反映されていた。この絵がゲームの箱に映っていても何ら遜色はないだろう。
お互い喉がカラカラになるまで意見をぶつけ合った結果だ。長い長い闘いだった。流石の僕もヒロインが納豆に何を入れるかまでを考えたのは初めてだった。もう二度とやりたくない。
「よし、これでいこう。じゃあ友樹!」
「はい!」
「シナリオ、頼んだよ」
「はい!」
「ホームページ用にサンプル絵を早く上げたい。だからプロローグを書き終わったら、エロシーンを先に書いてくれ。とりあえずシーンを五つ。その中から一番良いのを勝義に渡して描いてもらうからね」
「うっす。分かりました」
こうして僕らはゲーム作りのスタートを切った。だけど締切まで余裕があるわけではない。急がなければ。
「これで君もラノベ作家志望から同人シナリオライターへレベルアップだ」
「……レベルアップ?」
「ほぼ横ばいの気がするでござる」
うるさい。
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