ゲームを作る、3つの方法。
「トンネルを抜けると、そこは変態だった」
そう言うと大体の人は僕の頭を心配して、脳外科なり精神科なりを勧めてくるだろう。だが残念ながらこの部活においては、この僕こそが唯一正常な人間であることを理解してほしい。
僕は授業を終わらせると文芸部にやって来た。正直来たくなかったが、来なかったらひどいことをされそうだから渋々だ。
相も変わらず、というべきか。できれば変わって欲しいのだが、不幸なことにこの部屋の肌色面積は増えることはあっても減りはしない。諦めて天井を見るとR-18なポスターが貼られていた。寝ている間も興奮できる匠の設計である。
「川端康成はホモ小説も書いていたね。『少年』は何度も読み返した。ページが少ないからすぐに読めるし、何よりあの耽美さがいい。ボクのシナリオでも参考にさせてもらったよ。『僕はお前を恋していた。お前も僕を恋していた』なんて、実に美しい言葉だと思う」
表面的に見ればこの人も文学サークルの部長らしさを持っているのだ。手元に文庫本を持ち、窓際でそよ風を浴びながら髪を靡かせる姿は、まさしく文学少女の姿だろう。言っていることも、時々はまともなのだ。
だが手に持っているのはエロ漫画。それも触手物のどぎついやつである。こんなものを片手に語られる川端康成はたまったものではないだろう。こんな人に惚れかけた自分をぶん殴りたい。
「せっかくの美人なのに……」
「美人なんぞと言われても全く嬉しくない」
「素直に喜んだらいいじゃないですか」
「人はシンメトリーの物を美しいと思うようにできている。つまり美人というのは顔に何ら特徴のない平凡な顔だということだ」
「それはひねくれすぎでしょうよ……」
「ま、あまり美人と言われるのは慣れていないんだ。こう見えて恥ずかしがり屋なんだ」
恥ずかしがり屋は机の上に寝取られ同人誌を放置したりしない。それを見ながら「ビデオレターってもう古いのだろうか……」って呟かない。
「おーいす友くん。こっち来てお話ししましょうよ」
先に来ていた歌子が僕に向かって手招きする。彼女は手にペンを持っていて、勉強でもしているのかなと思ったら全く違った。
「何やってるんですか? クロスワード?」
「ええ、そうです。最近嵌まってるんですよ私」
机の上の雑誌にはクロスワードコーナーとでかでかと載っている。その半分ほどが既に埋まっていた。歌子は鉛筆を片手にうんうん唸っている。
「うーん、縦の四番なんだと思います? 六文字で」
「その質問で答えられる奴は超能力者だって」
せめてヒントをくれないと分からない。六文字の言葉など無数にあるのだから。
「部長は何だと思います?」
「さくらさくら」
「誰も六文字のエロゲのタイトルは聞いてないです」
何も聞かずともエロゲのタイトルだと分かるようになってしまったのは進歩と言っていいのだろうか。少なくとも僕がこの部活に慣れ始めたことの証明ではあった。
「はぁ……」
慣れる、というのは実に恐ろしい。入部して一か月もたたない間に馴染めたのは嬉しいのだが、いかんせん内容が内容である。僕は椅子に深く腰掛ける。
「うわ、このキーボード、文字が読めねえ」
「部に代々伝わるキーボードだからね。その上を数多のシナリオが通り過ぎて行ったのさ」
代々何をしているんだこの部活は。ビリケンさまの足の裏じゃないんだぞ。
「……おーす、こんにちんこ」
そこに我らがコミュ障ロリコンプログラマー、次郎先輩がやってきた。クソみたいな挨拶と共に。
「あ、次郎さん。こんにちんこ。今日は歯医者行くって言ってませんでした?」
「……それは明日だ」
「それよりも挨拶のひどさに付いて説明してくれません?」
今語尾にとんでもないものが付いていたぞ。どういうことだ。いつからこの国の挨拶は変わったんだ。
「こんにちんぽでござる。拙者のライター知らないでござるか?」
今度はメイドフェチのデブイラストレーター、勝義先輩だ。この部活ではろくでもない挨拶が流行っているのだろうか。
「こんにちんぽ。ライターか……。うーん、ないぞ? 少なくとも目に見えるところにはないし……ソファーにも落ちていないぞ。あの銀色のやつだろう?」
「あちゃー、じゃあ家でござるかなぁ。あれ結構気に入っていたから失くすと痛いでござる。百円ライターだと味気ないから困るでござる」
「だから挨拶!」
語尾に変な物を付けるな! この部活は挨拶すらまともじゃないのか!
「さっきから騒がしいな君は。生娘じゃないんだから一々騒がんでくれ」
「生娘云々関係ないでしょ! 問題は先ほどから行われているクソみたいな挨拶です!」
「はいはいわかった。改めるよ。ごめんごめん」
あくびをしながら欠片も反省の色を見せずに部長が頭を下げる。猿回しの反省よりも反省しているように見えないのは錯覚ではないだろう。
「さて、全員揃ったことだし、そろそろ制作についての話をしておこう。全員傾聴!」
部長が注目を集めるために手を鳴らす。その音を合図に全員が部長の方を注目し、しんと静まり返った。先ほどまでギャーギャー騒いでいたのに、一瞬で静かにさせるのは彼女のカリスマによるものだろうか。
「これより我々はエロゲ制作に突入する。今回新入生が入ったので彼を軸に作っていくぞ!」
「はい!」
前々から聞いてはいたが、改めて自覚するとかなりのプレッシャーだ。野球に例えるなら一年生がいきなりレギュラーを任されるようなものだ。それも素人なのに。部長が僕をサポートしてくれるとは聞いているが、それでも不安は大きい。
「最初はボクとの合作という形にして、ボクがメインストーリーを、君がサブストーリーをという形にしようと思っていたんだがな……。少々、重要な問題があってな……。君にメインをやってもらうことになった」
「え!? いきなりメインですか?」
ゲーム作り初心者。しかも書いたシナリオはボロクソ言われた僕がメインなんて、荷が重すぎるのではないだろうか。
「ああ……仕方がない。苦肉の策だ」
部長は苦々しく呟いた。重要な問題とは一体何なのだろうか。できれば僕が力になりたい。そう提案しようと思った瞬間、部長はゆっくりと口を開いた。
「……ああ、車の免許を取り始めなきゃいけないんだ」
「あれ? まさかのまともな理由?」
「クソ両親め! 免許なんてなくても電車とバスで一生生きていくから大丈夫だと言っているのに! どうせもう少しで自動運転も実用化だ!」
「いや、それは親御さんが正しいでしょ」
免許なんて暇な大学生のうちに取らない理由が無い。そりゃ親御さんだって勧める。当然のことだ。運転しなくても身分証明書として使えるんだから。
「教習所なんて行かなくても車の知識はばっちりだと言うのに……!」
「え? なんでですか?」
「私用地では免許が無くても運転できるでござる。部長のお家は田舎の大きな地主なんでござるよ。昔から庭という名の田んぼで走り回っていたらしいでござる」
「へぇ~」
想像ができるような、できないような。見た目だけはサナトリウムの令嬢である部長が、車を乗り回している様はいまいち思い浮かばない。どちらかといえばそれこそお付きの執事か何かが車を回すような感じがしっくりくる。
「ああ、だから車の知識はばっちりだ。例えばそうだな……『車はアクセルを踏むと走る』とか」
「それは小学生でも知ってます」
それで免許が取れたら世の中に無免許などという概念は存在しない。
「ほら、諦めて教習に行くでござる。免許証は身分証明書として便利でござるよ。エロ本を買う時の年齢証明として学生証を出すのは恥ずかしいでござるよ」
「確かに……。エロ同人を買うときに学生証を出すのもアレだと思っていたし良い機会か」
どういう理由で免許を取ろうとしているんだこの人は。世界で最もくだらない理由で免許を取ろうとする人間だろう。
「にしても驚きですね。部長が良いとこのお嬢様だなんて」
「地主の娘で世間知らずのボクっ子女子大生だよ? エロゲのヒロインみたいじゃない?」
「その言動さえなければヒロインできると思いますよ。というかせめてエロゲではなくギャルゲーと言ってください」
「どっちも変わらんだろ。恋愛から性行為に行くか行かないかだけだ。セックスの一つや二つで文句を言うな」
そのボーダーラインが大違いなんだ。あるかないかで対象年齢が変わるのだから。
「エロをそんなに恥じる必要などないだろう。有史どころか、生物誕生から存在する立派な行いだ。ニヤニヤ妄想して何が悪い。真面目な顔で妄想するよりずっといいだろう」
ニヤニヤするのもどうかと僕は思う。
「話が逸れた。元に戻ろう。さて友樹、まず君が書くシナリオにおいて最低条件というのがある」
「条件ですか?」
「まず見ての通り、うちは零細だ。君が明日ハリウッドで全米が泣く一大コズミックサーガを持ってきたとしてもそれを再現する技量も資金も時間も無い」
そりゃそうだろう。そもそもそんな物を書く気はないし、というより僕に書く能力は無い。
「君に期待しているのはアカデミー賞ではなく、B級映画だ。ゲーム一つ分のB級映画」
と部長は言い切った。
「まず、うちでは同人ゲームとしてダウンロードサイトで販売している。ROMに焼いて物理的に売ったりもするけれどね。四年しか学生生活が無い以上、制作のスパンは短く取りたい。それに経費も時間に比例してかさむ。つまりできるだけ早く書けということだ。そうだな、一週間以内にプロローグを書いて来てくれ。その後一か月半で本文を完成させてほしい。多少の延期は認めるが二か月かけるようなら首にする」
どうせ一年生の間は難しい授業なんてないから、と続けた。僕は顎に手を当てて頭の中でカレンダーを作る。今までの自分の速度と照らし合わせて一日当たりの分量を確かめる。
(すごい早いな……)
二か月足らずで一からシナリオを書く。自分が体験したことのない速度、間違いなく最速だ。今まで以上に早く書かなければ間に合わないだろう。
「推敲と校閲の時間はこれには含まない。とりあえずストーリーラインを書いてきて欲しいというだけだ。二ヶ月で完璧な物語を作れとは言わないし、不可能だ。どちらがどの部分を担当するかを決められて、どの程度CGとボイスが必要かを計算できて、物語に齟齬や矛盾がないか判断できる程度のストーリーを書いてほしいというだけだ」
プロット、いやそれをさらに詳細にした雛形と言うべきか? とにかくストーリーの基準を作って、そこから肉付けをしていくわけか。文章の足し引きは後に回すわけだ。
「君が持ってきたテキストを元に、ボクと話し合い、分担を決めてお互いに書く。そして出来上がったものを推敲、修正して合体させる。そしてその文章をシナリオにして、残りの三人に投げていく。……っと、そういえばシナリオについて言っていなかったな。少し脱線して話そうか」
ホワイトボードに部長がすらすらと文字を書いていく。
《香苗》「やあ、おはよう。今日もいい天気だな」
《歌子》「うん! 今日も頑張ろうね」
「これが君の思っているシナリオじゃないか?」
「そうですね」
僕がやったエロゲはこんな感じだった。喋っているキャラクターの名前と文章が画面下に出ている、という一般的な物だ。
「これはただの台本だ。正しくはこうだ」
BGM 朝のテーマ
背景 学校校門 朝
《香苗 制服 微笑み》「やあ、おはよう。今日もいい天気だな」
《歌子 制服 笑顔 頬染》「うん! 今日も頑張ろうね」
「ま、多少簡略化したがこんな感じだ。決まった書式があるからそれに従って書いてもらう。こうすることでシナリオと実際の演出に齟齬が生じず、なおかつ何の素材が何枚必要かが把握できる。ここでは立ち絵だが、一枚絵ならそれを使う」
なるほど。ころころ変わるキャラクターの立ち絵などを指定するのもライターの仕事なわけだ。確かにこの作業は今までにやったことがない。それに一つ一つの演出まで指定するのであれば、作業量は半端ではないだろう。
「これが君にシナリオの速度を求める理由だ。物語が出来てからが長いんだ」
「香苗さーん。私なんで頬染めているんですか」
「一例だよ。それにほら、初心者が書く女の子のイラストって大体頬染めるかキョトンとした顔だし」
「その言葉は昔の拙者に効くのでやめていただきたい」
「……やめろ、やめてくれ」
「ほんと二人って何気ないことでダメージ食らいますよね」
こうしてこの二人が頭を抱えて蹲る姿を何度見ただろうか。そろそろ見慣れてきた。
「それに小説の書き方とゲームシナリオの書き方は違う。ゲームでは文章は一クリックごとにしか読めない。普通の小説では気にならない一文の長さも、ゲームで見ると冗長だったりする。表情や声の動きは立ち絵で表せるから文章に書く必要もない。小説の文章を限界まで削ぎ落とすのがゲームシナリオだ」
名小説家が名シナリオライターとは限らない。その逆も然りだ。文字を書いているというだけで、それ以外はまったくの別物だということだろう。
「これがシナリオライターと小説家の一番の違いだ。君は物語を書くだけではなく、BGMや表情に背景、時には画面効果なんかも決めてもらう。ま、といっても全部はやらせないけどね。ボクと次郎がやった方が絶対早いしクオリティも良いから」
「……ここが同人ゲーム初心者の最も躓くところだ。小説気分で飛び込んできて死ぬのがテンプレート。周りがカバーできると生き返るんだが、できないほど人が少ないとそのまま埋葬される」
次郎先輩が重々しく呟く。確かに作業量は半端ではない。小説気分で書くと確かに痛い目を見そうだ。やらされたエロゲを思い出す。地の文も台詞も、今まで書いてきた小説とは大きく違う。
「ダイジョブです! 何かあったら手伝いますから! 有料で!」
「金取るの!?」
どうやら仲間は有料であるらしい。資本主義の鑑である。
「まず基本のシナリオを君が書き、そこにボクたちが色々付け加えていく形式にする。そして形式はADV、つまり紙芝居のためそれを意識して書いてくること。間違ってもアクションやRPGを書いてくるな。さらに声優は歌子しかいないため、ヒロインは一人だ。主人公は声無しだから、主人公とヒロインの二人以外を物語に出すな。モブは許すが主要人物は二人だけだ。いいな?」
「分かりました」
かなりキツイ制限がかかった。過去に書いた小説を参考にしようかと思ったが、この制限でそれもできなくなった。人数に制限がかかったということを強く意識してプロットを作り上げなければなるまい。
「声優を外注に出してもいいのだが、その分絵も演出も増える。そんな手間暇かけられるほど、この部活は儲かっていない」
「予算、予算、予算。厳しいでござるなぁ」
「この前の作品がもう少し売れていればなぁ。と言っても飲み会で売上は大体使ったせいだけどね」
「あれは次郎がバランタインのいいやつなんて買うのが悪い」
「……いや、勝義が万寿なんて見つけてくるから」
「香苗殿がヘネシーの高いやつ買ってくるのが悪いでござる」
責任転嫁トライアングル。仲間内で責任を擦り付け合う様は、本当にこのチームで一つのゲームを完成させられるのか不安にさせてくれる。
「おほん! 分かっていると思うが、ノベルゲーにおいてノベル部分は最大の根幹だ。シナリオが止まればイラストが止まりボイスが止まり、スクリプトも演出も止まる。君は車におけるエンジンであることは念頭に入れておけ」
「責任重大でござるよ!」
勝義先輩が僕の背中を叩いた。大きな手が僕にその重さを教えてくれる。この重さは冗談でもなんでもないだろう。この部活の運命が僕の背中に乗っている。
「そして最後に。風邪を引くな。これはここにいる全員に言うぞ。君ら一人が休めばそれだけ後々キツくなる。交通事故だの身内の葬式だのは許すが、不摂生から来る体調不良は絶対に許さない!」
「香苗さんー、最後の方は追い込みかかって徹夜になるんですけど」
「授業中に寝ろ! 以上! 何か質問は……?」
「……それで単位を落とした場合は?」
「喜ぶといい。人生の夏休みが人より一年余分にできる」
「ワーイ! やったぁ! おそらく実家から勘当です!」
「ボクは次回六年生だ。一年程度でどうこう言うな」
「………………え?」
今、とんでもないセリフが聞こえた気がする。僕の首が錆び付いた機械のように回る。
「え? 部長って? ええ?」
「現在五回生でござる」
「なんで誇らしげにサムズアップしてるんですかあの人」
香苗先輩は笑顔で親指を立てていた。自分に恥じることなどないと言わんばかりに。実際は恥じることなのだが、彼女は晴れ晴れとした顔で笑っている。
「留学に行っていたんだ。だからその間休学していたんだよ」
「ああ、ならしょうがないですね」
「まあ嘘なんだが」
「死ね!」
この人の嘘をわずかでも信じてしまった自分を殴りたい。ただの怠け者の大学生じゃないか。
「まあ本当のことを言うと六回生がすぐそばにいるからでござる」
「……呼んだ?」
あれ? この部活やばくない? 主に平均年齢とかその辺。まともな学生生活を送っている人間が少数派になっている。
「次郎さんはコミュ障だからゼミとか行けませんしねー」
「……一人でもレポートは書ける。書かないけど」
思っていたよりこの人やばい奴だった。今日からどういう目でこの人を見ればいいか分からない。え、僕の五つ上?
「……最近学生課からの忠告がめんどくさくなってきた。なあ勝義」
「拙者を一緒にしないでいただきたいでござる。拙者はまだ四回生なので」
「そういえば勝義先輩、就活には行きましたか?」
「スーツ持ってないから行けないでござる」
「はああ~~」
もう嫌だ。逃げたい。部員の半分以上が部活をやるべき人間ではない現状をどうにかしてほしい。とっとと就活しろ、卒業しろ。頼むから。
そのまま視線をスライドさせると、菓子パンを食べている歌子がいた。あれ、もしかしてこの人もそうなんじゃ……。
「なんですかその目。私はちゃんと二回生としてやってますからね」
歌子は堂々と胸を張った。恥じる部分など一つもないと言わんばかりのポーズである。
「単位は?」
「必修は一つも落としてません」
つまり必修以外は落としているということだろう。やっぱりこの人もこの部活の仲間だった。
「この部活って駄目大学生の固まりじゃ……」
どこを見渡してもまともな学生がいない。大学という学術機関を何だと思っているのか問いただしたい。
「類は友を呼ぶという諺を知っているかい?」
「知ってますが僕は違います」
勝手に同類にしないでいただきたい。僕はきっちり授業も出るし、単位を落としたりもしない。決して留年してまでゲームを作ろうなんて思わないはずだ。
「最初は皆そう言うんだよ」
「そりゃそうでしょ」
最初から『留年する気満々です!』なんて奴いたら脳外科を紹介する。あ、でも目の前に三人いた。
「さて、では次に君に同人ゲーを作る上でやってはいけない三つのことを教える」
そういって先輩は三本の指、親指、中指、薬指を立てた。おそらく三という数字を表すうえで、世界でこのジェスチャーを使うのはこの人だけだろう。
「まず一つ目、『大長編を作る』」
そしてまず中指を折り曲げた。
「ちょっとッ!? 今どういう指の動きしました!?」
先ほどから指の動きが謎過ぎる。普通の人間が一生しないであろう動きを平然と行ってくる。どういう風に育てばこんなジェスチャーを思いつくんだ。気色悪っ。
「なぜやってはいけないか、それは!」
ああ、無視ですかそうですか。部長が声を張り上げると、どこからともなく他の部員たちもやって来てポーズを取った。
「わたし、某世界的RPGみたいなゲームを作ってみたいです!」
「拙者、めちゃくちゃ自由度の高いオープンワールドを作ってみたいでござる!」
「……選択肢によって何十ものルートに分かれるマルチシナリオを作る!」
「信者によってずっと考察される、世界観とストーリーが整った一大ADV!」
『できるわけがない!』
全員が口を揃えて叫んだ。その音量は僕の鼓膜をビリビリと震わせる。全員が戦隊物よろしくキメポーズを作った。何の意味があるのか。おそらくないだろう。
「凝ったものを作ろうとしてな、予算と時間が無くてな、そして妥協するうちにどんどん変な方向へ行って……」
「最後は面白くも無ければ意味も理解できない作品の完成でござる。ネット小説や長編漫画なんかで見たことないでござるか?」
「ああ……ありますね」
最初の方は面白いのにキャラと設定が後から大量に生えてきて、作者が処理できず結局最初のコンセプトからずれていくやつ。コンシュマーでも少なくない数を見てきた。ネット小説でもそういうのは大量にある。設定資料だけやたら分量があったりする作品。
「どれだけ気を付けてもそうなることがあるから困りものでござる」
「書いている時は気づかないものだよ。スタートとゴールがずれる。そんなことは学校のレポートでだってあり得るんだ。さらに分量の多い小説やゲームでなら尚更だ」
僕にだって経験はある。ファンタジーで世界観を凝って、どんどん説明している内にねじ曲がっていく。最終的に自分が何を書いているか分からなくなってくる。そうこうしているうちに駄作の出来上がりだ。
「二つ目、『スケジュールを守る』」
「作業日程立てないと後半死ぬでござる。なまじ絵や文章というのは個人の能力に強く依存するし、マニュアル化できないでござるから、発破かけたところで作業が速くなるわけではないでござる」
確かに。早くしろと言われても早くなるわけではない。クオリティを落としてもいいから急げ、なんてのも無理な話だ。
「企画が終わってからシナリオへ、シナリオが終わったら素材へ、素材が終わったら組込んで、全部終わったらデバックへ……。ゲーム制作は単純な手段となっている。つまり一つ止まると全て止まるんだ。しかもミスが見つかると前に戻る。一つの作業が終わらない限り、他の工程が進まない」
一本道の迷路がゲーム制作らしい。迂回路も抜け道もない。できるのは正面からやるべきことをやり終えるだけ。それ以外では前に進めないのだ。
「だから締め切り日以外にも『この日までにこれを終わらせる』という作業日程を細かく決めます」
「……時間をかけすぎると途中で飽きることも多い」
「うちは少人数の上、代わりになる人間もいない。一人遅れれば、全て遅れるということは理解しておくように。特に今回、一部とはいえ君は企画兼シナリオだ。大黒柱だからな」
部長がそう言い切った瞬間、部員全員の顔が僕の方を向いた。怖ッ! ホラー映画かよ!
「うちは身内だけだが、妥協はしない。締切を遅らせたら……分かっているな? 市中引き回しだ」
「窓から捨てちゃうからね?」
「三枚に下ろすでござる」
「……骨格標本」
「ひいいいぃぃぃ!?」
全員の目が笑っていない。やるといったらやる顔だ。もし締切に遅れたら僕は寿司屋の魚より悲惨なことになるのは間違いないだろう。
「最後に三つ目、『熱意をチーム内で合わせる』。ただ皆でわいわいやりたい人間と、○○円売りたいという目標を持っている人間が同じ空間にいる意味はない。熱意の差は揉め事の元になるので、最初から目標は明確にする」
「ニートと社畜が同じチームに入って、色々揉めて終わるのは同人界の鉄板ですよね~」
「あるあるでござる」
それは容易く想像できる。ゲーム制作に限った話ではないだろう。熱意のベクトルは同一方向を向いていないと組織が空中分解する。文化祭なんかでよく見る光景だ。やたら張り切ってる奴とどうでもいいと思ってる奴が同じチームに配属されるアレだ。
「だから君に訊こう。君が作ったゲーム、どうしたい? 何がしたい?」
「突然そんなことを言われても……」
「ま、うちでは売上を目標に定めてはいない。赤字でなければいいというスタンスだ。ちなみに利益は頭割り。もし赤字の場合もだ、先輩たちが残していった財産があるから大して困らない」
「私は分配少なくていいって言ってるんですけどね。イラストレーターの負担が一番大きいんだから」
「そんなことしてもめるのは嫌でござる。拙者揉むのはおっぱいだけと決めているでござる」
「……ふっ、愚かなことだ」
「なんでござるか。文句があるでござるか?」
「……男なら、揉むのは尻一択!」
「ハァぁ!? 揉むのは胸でござろう! 尻は撫でるものでござる!」
「……分かってねえなぁ」
どっちも分かってないと思う。お互い間違ったまま話を進める二人の先輩を見ながら僕は大きなため息を吐いた。
「とにかくこの三か条を股間にしまっておくんだね」
「胸にしまいます」
僕の股間に心を留める場所は無い。というかこの世の人間に股間に記憶野を持っている人間はいないだろう。
「さて、説明は以上だ。じゃ、まずはプロット提出よろしく!」
部長はにこりと微笑みながら僕の肩を叩いた。ちなみにその目には「一切の手加減をしない」と刻まれていた。
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