Quartett!

「あれ……なんで僕机の上で……って首痛っ!」


 窓から入ってくる太陽の光で目が覚める。まず最初に感じたのは首と肩の痛みだった。修正のため徹夜した結果、いつの間にか机で寝てしまったようだ。


「ぐおお、寝違えたっ!」


 PCの画面は一定時間操作が無かったため真っ暗になっている。適当なキーを叩くと再び画面に明かりが点いた。そして右下の時刻を見る。十時過ぎ。待ち合わせは昼前である。


「遅刻ッ! 急がなきゃ!」


 昼前というのが具体的に何時ぐらいを指すかは人によるだろうが、個人的には十一時ごろである。つまりこのままいけば間違いなく遅刻だ。

 とりあえず顔と歯だけ磨こう。顔を洗ったあと、歯ブラシを咥えながら服を着替える。こんなことになるならアラームをセットしておけば良かったと思いながらスマホを睨み付ける。いや、悪いのはスマホではなく僕なのは分かっている。

 するとスマホの着信が鳴った。画面には「柳田香苗」の文字。


『ハロー後輩。起きてるかい? 遅刻はするなよ。したら怒るぞ』

「いや! 大丈夫です!」

『信じているよ? 人との待ち合わせとエロゲの発売日は遅らせるべきではない。愛想を尽かされたくなければね。ではまた部室で』


 釘を刺された。電話が切れると同時に僕は急いで口をゆすぎ、転がるように家を出た。

 汗だくで自転車を漕ぎ、自転車置き場からは全力で走る。印刷した原稿の束を入れたカバンを揺らして部室までの階段を上る。


「すいません遅れ、ま……した……?」


 そして部室の扉を謝罪と共に開けた時、僕の目にはとんでもない光景が飛び込んできた。


「ああ大丈夫だ。時間通りだよ」

「んっ……。香苗さん、ちょっと強いです……」

「ごめん、これぐらいかい?」


 部長が歌子の胸を揉み、歌子が熱っぽい声を上げている。それを横で勝義先輩がスケッチしているのだ。

 僕の来訪などなんのそのと言わんばかりに部長は胸を揉み、そのまま体中をまさぐりはじめた。意味の分からない光景に僕の汗が引き、思考が止まる。

 何だ? これは何だ? どこかの民族の挨拶か? 日本にはこういう風習が残っているのか?


「…………あーその、なんで部長は歌子の胸を揉んでいらっしゃるので?」


 ようやく絞り出したその声をもってしても二人の行為は止まらない。


「胸じゃない。おっぱいを揉んでいるんだ」

「一緒でしょ!?」

「全然違う。後者の方がエロさがある。今やっていることはエロいことだからおっぱいのほうがより適している」

「そもそもなんでエロいことしてるんですか!?」


 この部活が変態の集まりであることはある程度理解していたが、まさか人前で百合の花を咲かせるような人たちだとは想像だにしていなかった。僕は視線をどこに向ければいいんだ。

 ボーイッシュでありながらも女性らしい香苗部長と、先ほどから鈴を転がすような喘ぎ声を上げている歌子を見ていると変な気持ちになりそうだ。僕にこんな趣味はないはずなのに。


「いや、これには聞くも涙、語るも涙の事情があってね。急にボクら二人が同性愛に目覚めたわけではない」

「一体どんな事情があれば部室の中で同性の胸を揉むことになるんですかね。ていうか百歩譲ってそれはいいとして、男性陣もいる中でなんでそんなことやってるんですか!」

「私たちは勝義さんと次郎さんが来る前からやってますよ?」


 僕が目線を向けた先にはスケッチブックから目を離さない勝義先輩と、机の上で突っ伏している次郎先輩がいた。


「お二人も止めてくださいよ。香苗部長たちが部室で変なことやり始めてたんでしょう?」

「次郎殿は別に興味ないと申してからそこでエロ漫画見ていたでござるが……いつの間にか寝たでござるな」

「勝義先輩は?」

「拙者は資料用のスケッチでござる。何かに使えるかもしれないでござるから。というわけで止める理由がないどころか、むしろもっとやってほしいでござる」

「何かとは?」

「将来、百合ゲーを出すかもしれないし、同人誌として出すかもしれないでござる。わざわざ目の前でモデルになってくれるのだから、描かない理由はないでござるよ!」


 つまるところ風紀よりクリエイターとしての興味を取った形である。そもそもこの人たちに風紀という考えはないだろうから、止めることを望むだけ無駄な気がする。うん。


「で、どうして部長と歌子はそんなことしてたんですか? 説明を要求します」


 すると部長は仰々しく居住まいを立たし、ゆっくりと低い声で話し始めた。一体どんな事情が――。


「実はね、昨日歌子と一緒に部屋でレズ物AVを見ていたんだが」


 最初の一文で僕の脳細胞の半分が吹っ飛んだ。いかん、言語が理解できん。いつからここは火星人の住処になったんだ。


「――すいません。一回深呼吸させてもらっていいですか?」

「どうぞ?」


 よし、落ち着け僕。落ち着け橋上友樹。色々言いたいことはあるが飲み込むんだ。不思議そうに首を傾げる歌子のことは気にするんじゃない。


「もう大丈夫です。続きを」

「ああ、それで見ている内に『男向けのレズAVを見ながら女としてレズ的な動きをしたらどういった快楽が得られるのか。それは男性的な物か女性的な物か。異性愛的な物か同性愛的な物か』という口論になってね」

「すいません。もう一回深呼吸いいですか?」

「またかい?」


 こんな会話、深呼吸無しに聞ける物ではない。頭がどうにかなってしまいそうだ。脳の中のネジが千本ぐらい抜けてないと思いつかない発想に畏怖すら覚える。


「それでだ、『ついでに誰かに見られる羞恥プレイと後輩がやってくるというスリル感まで入れたらすごい快楽になるんじゃないか』という話になってね。ここで実践していたんだ」

「もう帰っていいですか?」


 これ以上この空間にいたら頭がおかしくなりそうだ。僕の予想の五千倍ぐらい吹っ飛んでる。


「いいわけないだろ。ボクらは君のために集まってるんだから」


 発想がおかしいし、それを実行しようとする決断力もおかしい。少しぐらい途中で『やめておこう』という考えは思い浮かばなかったのだろうか。ブレーキとハンドルのない暴走車みたいな精神に驚きだ。


「しかしいくらなんでも部室で裸になるのは非常識かと思いまして、おっぱいを揉み合うだけでそれ以上はしてませんよ?」


 だからなんだと言うのか。一線は守ってるからセーフとでも言いたいのだろうか。だとしたら全然守れてないぞ。


「同性愛は嫌いかい?」

「目の前で見せられなければ個人の自由だと思います」

「同性愛に対する忌避感は女よりも男の方が大きい傾向にあるらしいが、それかな?」

「目の前で乳繰り合ってるの見て忌避感抱かない方がおかしいでしょ」

「ま、いい暇つぶしにはなったよ。さて、本題に移ろう。友樹、原稿は持ってきたよね」

「持ってきましたけど……」

「見せてくれ」


 鞄から原稿を取り出して部長に手渡す。部長は乱れた服装を整えながら、パラパラと簡単に目を通した。


「どうだい諸君。これが彼の持ってきた作品だ。今から皆で読もう。勝義、次郎を叩き起こしてくれ」

「承知でござる」


 勝義先輩は次郎先輩の背中をはたいた。突然の後方からの攻撃に次郎先輩が驚愕の声と共に飛び上がる。


「起きたか次郎。昨日の後輩が作品を持ってきたんだ。読もう」

「……ほんとにラノベ作家志望だったのか。……冗談かと思ってた」

「ラノベって普段読まないから目新しく感じますね」

「拙者の携帯知らないでござるかー」


 四人が、いや一名を除いて僕の小説をまじまじと見つめる。どうにも気恥ずかしさというか、授業参観のような気まずさを覚える。作品には他人からの評価が欲しいと思っていても、やはり羞恥心がゼロにはならない。


「さて、読む前に面白いか面白くないか賭けようか」

「……面白くないに五百ルーブル」

「面白いに三百リラです」

「面白いに四百バーツでござる」

「じゃあボクは面白くないに三百ルピー。うーむ見事に分かれたね」


 それぞれが異口同音で賭けの値段を口に出す。時代劇で見た丁半博打を思い出した。しかしなぜか賭けの対象はサイコロではなく僕の小説だ。ひでえ。


「あの、人の小説を賭けの対象にしないでくれません?」

「だって楽しみが無いじゃないですか」

「あるから! 目の前にあるその紙の束楽しみだから!」


 人の小説を何だと思っているんだ。それは娯楽だぞ娯楽小説! 読者を楽しませるための存在なんだぞ!


「さて、一冊読み終わるのに二時間ぐらいか……。友樹はどうする?」

「横でじっと見ているのもあれですし、何か暇つぶしの……」


 本でも貰おうかと本棚を見て目を伏せる。この部室の本棚にまともな本が並んでいるわけがなかった。エロ本、エロ本、エロ漫画。ひどい本棚だな。


「お、それなら拙者がこないだ買った同人ゲーが」

「……昨日買ったエロ漫画」

「できればもっとまともなのがいいんですけど……」


 暇をつぶすにはあまりにも向いていない。流石にすぐそばに知り合いがいる中、エロ漫画を読めるほど僕の羞恥心は狂っていない。


「……分かったよ。じゃあ女騎士と女魔法使いどっちがいい?」

「なんでその二択なんですか!? しかも全然まともじゃないし!」

「……おいおい。俺は女騎士と女魔法使いという二つの単語を出しただけだ。なぜエロに結びつく。普通のRPGかもしれないだろ」

「うぐっ」

「……やーいスケベ!」

「むっつりでござる!」

「……変態、むっつりスケベ、性欲魔人、大場勝義!」

「どすけべ、思春期、お下劣大王、水田次郎でござる!」

「………………は?」

「………………次郎殿、拙者マジギレでござるよ」


 僕をからかっていた二人がいつの間にか僕の関係ない所でメンチを切り始めた。薄々分かっていたがこの人たち馬鹿なんじゃないだろうか。


「駄目ですよー次郎さん。友くんはエロに慣れてないんですからまったく。二時間なんだから映画でいいじゃないですか」

「歌子どうした!? 頭でも打ったのか!?」

「友くんは私を何だと思ってるんですかね?」


 こういう時喜々としてエロを勧めてくる彼らの同類だと思っている。なんせこの文芸部だ。脳味噌はエロで染まった人だらけなのだから。


「なんで僕は……まだ入部もしてないのに、二日目なのにこんなことを覚えてしまってるんだろう……?」


 この部室にいた時間は昨日と今日合わせて一時間も経っていないのに、もうなんとなく部員の性格と傾向が分かっているのはなんでだろう。


「ゾンビ映画と鮫映画どっちがいいですか?」

「えーと、じゃあゾンビで」

「よし! ……じゃあこれでいきましょう!」


 歌子が僕に一枚のDVDを持ってきた。日焼けしたパッケージと、安っぽいメイクが目立つ古い映画だ。タイトルもキャストも聞いた事のないB級映画。

 部員四人が僕の小説を眺め、僕はその横で映画を見る。なんとも落ち着かないものだ。すぐ傍で自分の作品を読んでいる人間がいて、それを横で待っているのだから。


「ふむふむ……」

「ほう……」


 相槌を打つ読者の姿を見ているとなんだか気恥ずかしい。横から聞こえてくる声が気になって映画に集中できない。自分はこんなに落ち着きのない人間だっただろうか。時計の針がやけに遅く感じる。

そしてちょうど映画がスタッフロールに突入したころ、同様に四人も紙束を机の上に置いた。ちょうど二時間、一冊の本を読むには充分だった。


「どうでした?」

「ははははははっ!」

「そんなに面白かったですか!?」


 僕がそう聞くや否や、勝義先輩と歌子が僕に跳びかかって来た。咄嗟のことに僕は椅子から立ち上がることもできない。瞬く間に地面に引き倒された。


「三百ユーロ返してください!」

「拙者の四百ドルもぞ!」

「単位を勝手に書き換えるな! こら! 僕のポケットから財布を取るな!」


 こうして僕がお金を奪われようとしているということはつまらなかったということだろう。つまらなかったと評された挙句、お金を奪われるとは泣きっ面に蜂である。

 十秒後、「へっ、ポイントカードは残しておいてやるでござる」と財布の中身を全て奪われた僕がいた。山賊に襲われた旅人はこんな気持ちなのだろうか。

 身ぐるみはがされ泣いている僕に次郎先輩が近寄って来て肩を叩いた。地獄に仏だ、と思い見上げると、彼は微笑みを浮かべてこう言った。

「……つまらなかった」


 何のための微笑みだこの野郎。


「…………………面白い所もないわけでは……ない」

「嘘つくならもっと上手に吐いてくださいよ!」

「……すまん」


 謝られると余計にみじめだ。もう泣いてしまいたい。大の男がみっともなく泣いてしまいたい。もう嫌だ帰りたい。

 僕が必死に涙をこらえていると、部長が同じように近づいてきて僕の肩を叩いた。


「うん、辛口と甘口。どっちの感想が良い」

「甘口でお願いします……」

「つまらなかった。よくこんなものを見せようと思ったな。尊敬するよ」


 甘……口……? 僕の舌は激痛レベルの辛さを現在感じているのだが。甘さなど爪の先ほども感じられない。唐辛子レベルだ。この肩に置いた手はなんだ。拷問器具か。甘口でもこれだけ僕の精神を抉りに来るというのに、辛口だったら僕は首を吊るんじゃないだろうか。僕はメンタルが強いほうではないのでやめてほしい。


「詳しい所は後で返すよ。ま、楽しみにしてるんだね。原稿は真っ赤にしてあげよう」

「……ありがとうございます」


 プラスに考えよう。この添削によって僕の文章力はレベルアップするはずだ。そうなれば夢の実現に一歩近づくことになる。むしろここで問題点が大量に見つかるのはいいことだ。


「お礼は赤いボールペンでいいよ。今使っているのは無くなりそうだから」

「そこまで大量ですか!?」

「ひどい。少なくともこの物語に金を出して買おうとは思わない」


 直球ストレートデッドボール。僕の心を容易く打ち砕いた。


「安心したまえ。今の君の小説はつまらないが、僕はこれよりつまらない作品を多く知っている。相対的な出来としては下の上だ。……さて歌子、僕がこれを校閲している間にこの男に説明を頼むよ」

「あいあいさー」


 歌子ががさがさと自分のバッグからクリアファイルを取り出した。そこから一つの冊子を取り出し、僕に手渡す。


「……何これ?」


 修学旅行を思い出させる一品だ。あれよりも枚数は少ないが、コピー用紙をホッチキスで留めている辺りに懐かしさを感じる。


「エロゲ制作虎の巻、です! 昨日三時間かけて作りました!」

「へー」

「まあそのうち二時間はフォント探しと作業用BGMの探索ですけどね」


 作業時間実質一時間弱かよ。そんなことを思いながらページをめくる。



 エロゲ虎の巻では、エロゲ初心者の「何から始めればいいの?」「どういうのを買えばいいの?」「抱き枕はどうやって洗えばいいの?」「女騎士はどうしてすぐオークに負けるの?」「感度三千倍ってどれぐらい凄いの?」などといった疑問にお答えします。

 エロゲ虎の巻を理解した後は、竜の巻、鳳凰の巻、獅子の巻、蟹の巻、オオアリクイの巻、ちょっと大きめのオオアリクイの巻と読んで行きましょう。全てを読み終えた後にはエロゲの酸いも甘いも理解できるはずです。


1.何から始めればいいの?

 エロゲを始めようという理由は様々です。新たな性癖を開きたい、マンネリを解消したい、アニメで見て原作をやってみたい、親友に遺言でプレイするように言われたなど十人十色の理由があるでしょう。とにかく大事なのは体験することです。恐れることなくアダルトな暖簾をくぐり、レジの人にエロゲを渡すことが大事です。

 まずはPCスペックの確認です。ADV形式なら大体は大丈夫ですが、3DやEmoteを使っているものや、シミュレーションゲーだと重くて動かないことがあります。わくわくして予約していたゲームが動かなかったときほど悲しい気持ちになる瞬間はないので、公式HPなどでしっかりチェックしましょう。まれにですが公式HPが動いていないときがありますが、そのときは察しましょう。会社が潰れかけです。

2.どういうのを買えばいいの?

 エロゲは値段が様々です。豪華版や初回限定版だと一万円を超えますし、フルプライスなら九千円です。しかし同人やロープライスなら千円前後で手に入ります。ボリュームにこだわりたい人はミドルプライス以上なら多くが体験版を用意しているので、それをプレイしてから購入するのがよいでしょう。自分のPCでも動くかの確認にもなります。どのメーカーでも体験版だけは必死に取り繕うので、体験版が面白いからといって本編が面白いとは限りません。メーカーとの頭脳戦を楽しむのもエロゲの醍醐味です。負けた場合は即座に売りに行った後、専用スレで「クソゲーだったわ。死ね」と書き込みましょう。

 ですが、結局は自分の好みです。学園物が好きか、メイド物が好きか、ファンタジー、人妻、NTR、ロリ、触手。性癖は自由自在です。自分に嘘をついても空しいだけです。自分の心に従いましょう。

3.抱き枕はどうやって洗えばいいの?

 基本的には洗濯機でも大丈夫ですが、生地が縮むことや色が移ることを気にするなら手洗いしましょう。ヒロインとソーププレイを楽しんでいると思えば手間はどうということはありません。しかし干す際にはご近所さんに見られないよう注意してください。

 物によっては店舗特典だったり初回限定特典だったりします。後から欲しいと思ったときには手遅れであることが多いので、しっかり発売日をチェックしましょう。

4.女騎士はどうしてすぐオークに負けるの?

 話すと長くなるのですが、これは酸素原子の動きや気圧の動き、日経平均株価やオリックスバファローズの先発の防御率などが複雑に絡み合い、それにより女騎士がすぐ負ける現象が起きるといわれています。女騎士が負ける姿が見たくない人はオリックスの応援に行きましょう。京セラドームには御堂筋線が便利です。

5.感度三千倍ってどれぐらい凄いの?

 訓練された忍者が耐えられないぐらい凄いです。

 

 以上です。エロゲに関する疑問は解消されましたか?誰しも最初は不安なものです。そのドキドキ感もアダルトコンテンツでは大事なことです。周りを気にしながら興味なさそうにR18の暖簾をくぐる少年を見て、郷愁にふける時代がいつか来るのです。初々しい今の感覚を大事にして、ぜひデスクトップをエロゲのアイコンで埋めてください。月末の金曜日をやたらと気にしてください。それがエロゲーマーとしての第一歩です!


「分かりましたか?」

「…………うん」


 まあいいや。なかったことにしよう。エロゲについてはなんとなく分かったが、それ以上に目の前の女性に対する不思議が広がった。一生理解できる気がしない。


「さて、消費者としてのエロゲの何たるかはなんとなく分かったと思います。次は製作者としてのエロゲです」


 歌子が部屋の隅のホワイトボードを引きずってきた。


「エロゲというのは大きく二つに分けられます。これがなんだか分かりますか?」

「発売されるゲームとされないゲーム」

「香苗さんは黙っててください」

「……起動するゲームとしないゲーム」

「次郎さんも黙ってて」

「フリーズするゲームとしないゲームでござるな」

「こら!」

「あ、痛い! なんで拙者だけはたかれるでござるか!」


 勝義先輩が殴られている。


「この問題に正答は無いので好きに答えてください。ほらとっとと意見出す」

「えーとじゃあ、面白いやつとつまらないやつ?」

「ふーむ、それもある意味正解ではありますね。世の中つまらなすぎてつまらないゲームは山ほどありますし、そこに突撃するのがエロゲーマーの仕事です。いかに気をつけても買ってしまうのです」


 山ほどあるのか。恐ろしやこの業界。そしてなんて嫌な仕事なんだ。そんな仕事頼まれてもやりたくないだろうに。


「作るのが簡単だから粗製乱雑が多い業界なんですよ」


 エロゲなんて所詮は紙芝居。中にはアクションゲームのようなものもあるが、大体のADV形式において面倒くさいプログラムはいらない。絵を描ける人間と文章を書ける人間、それと少々プログラムを出来る人間がいればいい。それ故多く作られ、それだけつまらない物の割合は大きい。歌子はそう説明した。


「話を戻します。答えは抜きゲーとシナリオゲーです。まあこの中にキャラゲーだの萌えゲーだのありますし、この二つは対義語じゃないと言う人もいますが、まあ私の中では大きく分けるとこれです。簡単に言うとエロを重視するか、そこに至るまでの過程を重視するかです。いやまあ、人それぞれですけどね」

「魚が好きか、魚釣りが好きかって感じ?」

「いい例えですね。それで合っています。そしてうちでは後者を作っています。エロではなく、恋人になるまでの過程、もしくは恋人になった後を楽しむ。ギャルゲーみたいなものです」


 ホワイトボードの真ん中に縦線を引き、そして左右に『抜きゲー』『シナリオゲー』と書いた。そしてその下に例として何個かの作品を羅列していく。シナリオゲーの真下には『レディ、レディ、レディ』と書かれている。


「そしてシナリオゲーはシナリオが全てです。多少キャラが可愛かろうが、豪華声優だろうが、ストーリーがクソならクソです! 例えばアレとかアレとかアレとかアレとか……」

「思い当たる節多すぎない?」


 指折り数えている歌子の指が二往復ぐらいした。少なくとも十以上はあるということである。


「エロゲーマーの年季とは踏んだ地雷の多さのことですから。ですよね先輩たち!」

「……やめろ、嫌なことを思い出させるんじゃない!」

「体験版では面白いと思っていたんだよ!」

「拙者はなぜあんなものを!」


 突然話の外にいた三人が悲鳴を上げる。なんか人ならざる生き物の悲鳴みたいなのが漏れてる。大丈夫かあの三人。口からエクトプラズム出ていそうだ。


「クソゲーにも色々種類があるんですよ。やらずに分かるクソゲー。体験版の時点で分かるクソゲー。クリアして初めて分かるクソゲー。よく分からないけどクソゲー。良ゲーかと思ったけど一日寝て考えたらクソゲーというのもあります。千差万別、十人十色です」

「……ああ、我らがクソゲー」

「積み重ねられた数々の地雷が拙者らの心に眠っているでござる」

「目を瞑るだけで浮かんでくるね。うん」


 三人が肩を寄せ合って泣いている。何と言葉をかけたらいいのか、いや、そもそもかけたくないから黙っておこう。視線を歌子の方へ戻す。


「えーと、逆は無いのか。シナリオはいいけど絵が下手みたいなのは」


 とにかく話題を逸らそうと言葉を出す。この空気をこれ以上味わいたくない。


「そういうのは逆にマニアの眼に留まるので、クソゲーではなくくさやゲーになります。好きな人は好きなので」


 あ、そうですか。見ると三人もうんうんと頷いている。


「そして友くんにはとにかくインプットしてもらいます。エロゲをしたことが無い人間にシナリオが書けるとは思ってないでしょう?」

「そりゃまあ」


 それは当たり前だ。僕の中のエロゲというとあの一作しかない。一作だけを基準にするのは駄目だろう。できるだけ情報は多く手に入れるべきだ。インプットの量がアウトプットの質に直結する。


「創作において大事なのはインプット! 脳に流し込んででも自らの糧にしましょう。人体改造! 感度三千倍です!」


 訓練された忍者でも耐えられないと虎の巻で見た噂のやつである。僕は訓練もしていないし忍者でもないのでやめてほしい。


「というわけで、私たち四人がそれぞれ選んだ『名作同人エロゲ打線』です。これをやってきてください」

「……打線ってことは一人九個の合計三十六?」

「いえ、DH制に加えて投手は先発、中継ぎ、抑え完備なので一人十二の四十八です。監督からコーチまで揃えようかと思いましたが自重しました」


 してないよそれ。全然自重できてないって。四チームあったらトーナメントできるじゃん。


「一年かかりませんかそれ!?」


 こういうのは普通一人一本、多くてもベストスリーぐらいに纏めるものではないのだろうか。なぜベストテンを超えて十二本も用意しているのか。十二進数なのか。


「全部やれとはいいません。この中からタイトルとあらすじを見て面白そうなのを三つぐらい選んでください。それに同人作品だからボリュームは少なめです。さすがにフルプライスで打線は揃えません」

「学校の棚にエロゲが詰め込まれているのって凄い光景ですね」


 教師が見たら悲鳴上げるぞ多分。神聖な学び舎を何だと思ってるんだこの人たち。


「本来なら我々四人の性癖を煮詰め、これこそは! というゲームを揃えるつもりだったのですが、友くんが初心者ということもあって妥協しました」


 妥協? おかしい、僕の知っている言葉の意味と違う。


「ちなみに私のお勧めはこれです」

「ドットエロゲ……」


 ドットで描かれた肌色多めの女の子。ニッチ過ぎる。絶対初心者に勧めるもんじゃないだろこれ。もっとやり慣れた人間がマンネリ防止のために買う者だろうに。なぜこれを僕にどや顔で差し出しているのか。


「私としては妹よりも姉物のほうが好みなんですが、姉物ドットエロゲでいいものがなかったので妹で妥協しました。人生妥協が重要ですよね」


 何をどう妥協したのかと訊きたい。僕と彼女の間には大きな言葉の齟齬があるらしい。


「供給量が少ないけれども名作揃いです! ぜひどうぞ! いや~子供時代を思い出しますね。やたらと状態異常が強力だった数々のファミコンRPGを。麻痺や睡眠が永久だったりしましたねあの頃は」

「同世代……だよね?」


 少なくとも僕の子供時代の記憶にファミコンは無い。僕の世代はタッチペンで下画面をつつく世代のはずだ。なぜ同い年でジェネレーションギャップを感じねばならないのか。


「そんなニッチな物は初心者には向かないでござる。こういうのは名作を渡しておけばいいでござるよ」

「ええ~。何にも染まっていない最初だからこそ、強烈な物で塗り潰すべきですよ」

「それは強者の理論でござる。そういうことをするから市場に初心者ユーザーが入ってこないんでござる」


 はぁやれやれ、と言わんばかりの大袈裟なジェスチャーで勝義先輩が出てくる。見た目がコメディ映画に出てくるアメリカ人のデブっぽいので様になっている。


「まあ初心者たるもの、名作から入るべきであると思うでござる。まず隗より始めよとも言うでござる」


 諺の使い方が間違っているが、まあその意見には賛成だ。僕はエロゲに触れるのはこれで二度目。一度目はこの部活が作ったものであり、一般の物には触れていない。ならば評判のいい名作から入ったほうが楽だろう。


「……気のせいですかね? これ発売が僕が生まれる前なんですけど……」

 作品が僕より年上でなければ。


「ああ! ついでにボイスは入ってないでござる! 自分の想像が掻き立てられていいでござるよ!」

「そう……」


 対応OSが2000なんですけど……。しかも絵が古い。やたらヒロインたちの髪色が派手で、やたらウエストが細いのは過去の遺物というべきか。しかしこれうちのPCで起動するかな……。


「互換モード使えばいいでござるよ。実行ファイルを右クリックからプロパティを開けばいいんでござる。それでも動かない場合は公式サイトからパッチをダウンロードするでござる」

「ござる言葉から繰り出される詳しい電子機器の使い方に違和感を覚えるんですけど」


 忍者言葉でまさかこんな言葉を聞くとは思ってもいなかった。忍者の道具はいつの間にか手裏剣からPCに移っていたらしい。いや、彼らの仕事をスパイの役割だと考えると妥当だった。


「あ、でもこのゲームのチーム潰れてたでござる。パッチは諦めてほしいでござる」

「でしょうね」


 二十年近く同人サークルが生きていたら驚きだ。そもそも下手すれば自分より年上のこの作品をどうやって手に入れたんだ。訊きたいけど訊いても碌な答えが返ってこないのは目に見えている。


「フロッピーのゲームもあるでござるが……再生機器がないでござろう?」

「あるわけないでしょ」


 僕は顔を覆って大きく溜息を吐く。フロッピーとかいつぶりに聞いた言語だろうか。正直脳から今の今まで消えていた。上書き保存するとき以外にフロッピーの絵を見ることはない僕のノートパソコンにフロッピーを入れる場所は無い。


「そんな古いのは駄目だ。やはり最新のゲームに触れるべきだよ」


 香苗部長が勝義先輩の肩を叩く。したり顔で部長はにやりと笑う。


「しかし温故知新という言葉もあるでござる。それに98でもDOS時代でもないのに古いというのは言い過ぎでござる。ネオジオCD並のロードを挟みもしないのに快適性がどうとかは甚だおかしいでござろう」


 どういう時間の流れをしているんだろうこの人は。二十年前のことを最近扱いするのは本当に大学生なのかと疑いたくなる。


「今やROMの代わりにDLカードが入っていることも珍しくない時代なんだ。常にゲームは進化するのだよ」

「だからこそ、今のうちにかこの名作をやってほしいでござる!」

「どれだけ言い繕おうとも古い物は古いさ。過去の名作が現在の名作である保証などどこにもない。自分の古い価値観を押し付ける人間のことを老害と呼ぶのさ」

「そう言われるとまあ、退かざるを得ないでござるなぁ」


 勝義先輩が一歩退く。そして代わりに部長が前に出てきた。


「君みたいな初心者にはこっちの方がいいだろう? 戦略シミュレーションゲームと一体化したゲームだ。これのおかげでボクは単位を(十)五つ落とした」

「単位を落としたって……いや、なんか今恐ろしい数字が聞こえませんでしたか? なんか二桁じゃありませんでした」

「いや? 気のせいだろう」


 真面目な大学生としては最悪のゲームである。捨て身のマーケティング術。少なくとも必修盛りだくさんの一年生に対する勧め方ではない。同じように僕が嵌まったらどうしてくれるんだ。いや、それだけ面白いのならそれはそれでいいんだけれど。


「……ん」

「何ですかこれ?」

「……ゲームブック式」

「あなたもニッチですね……」


 ゲームブックとかいう言葉を十年ぶりぐらいに聞いた気がする。まさかエロゲ世界で再び出会おうとは思わなかった。小学校低学年の頃に遊んで以来だろうか。


「手加減してくださいよ! 僕は初心者なんだから!」


どれもこれも癖のあるものばかりで、普通のものが無い。この中からどれかを選べと言われると非常に困る。差し出された四つの手のどれを取るべきだろうか。というかなぜこんなにも初心者に優しくないのか。


「え? 手加減してるよ?」


 不思議そうに歌子は首を傾げた。まるでまだ変身を残しているRPGの魔王のような言い草だ。


「怖いもの見たさなんですけど……じゃあ本気って?」


 僕がそう言うと部長はもう一つの棚を開けた。そこにもまた、ぎっしりとエロゲの箱が詰め込まれている。こっちもかい!


「こっちは商業エロゲだ。代々続いてきたエロゲマニアたちが残していった最高の作品群だ」

「ほらほらほら! これとかいいですよ!」


 藪を突いて蛇を出す。まさしく諺の通りだ。先ほどまでとはまるで勧め方が違う。『どれにする?』と尋ねながら、『自分のを選ばなかったらどうなるか分かってんだろうな』という意志が目から伝わってくる。


「ちゃんと考えてくださいよ? これで誰ルートに入るか決まりますから」

「四分の二で男なんですけど……」

「全ルートを攻略するとハーレムルートが解放されます」

「だから四分の二で男なんですけど!?」


 ヒロインの半分が男のゲームに需要は無いし、やりたいとも思わない。それが現実ならなおさらだ。


「……女装山脈とかあったし大丈夫大丈夫。新たな扉を開け」

「男か女かなんて些細な問題でござるよ。むしろちんこが付いてる方がアドまであるでござる」


 何を話しているのかは分からないが、何を話しているのか分かる。とてつもなく不思議な日本語だが、こうとしか表現できない。


「棚の中から自分で選びます!」

「……あっそ。……同志が増えると思ったんだけど」


 四択の中ではなく、自分で選ぶことにする。でないとひどいことになりそうだったからだ。どれを選んでも性癖を捻じ曲げられそうだ。ならば自分で安全そうな物を選ぶしかない。


「……つまらんチョイスだな」

「冒険心がないなぁ」

「無難過ぎてチャレンジ精神が見えないでござる」

「18歳のエロゲ初心者がネットで何が良いかを聞いて買った感じだよね。もっと自分の性癖に素直になればいいのに」

「ああいうことをするから大手メーカーがリメイクだの復刻版だのコレクションだのを出すんでござる。早く新作を出してほしいでござる」

「あれはあれでありがたいけどね。買いたいと思っていたがお金が無くて買わず、そのまま数年引きずった時に助かるんだ」

「好きに選ばせてくださいよ! 黙っててください!」


 横からごちゃごちゃ言わないでほしい。僕が好きな物を選んで何がいけないんだ。


「…………」


 四人分の視線が僕の背中に突き刺さる。全員が一言も発さず、僕の背中の一点だけを見つめている。なんだこれ。


「……………………無言で僕の背中見てくるのやめてくれません?」

「黙ってろって言われたので」

「……わがまま」


 エロゲを選んでる途中に後ろから四人分の視線を受けることがこんなにも気色悪いとは思わなかった。人の視線には本当に圧力があることを始めて知ってしまった。


「香苗殿が初めてやったエロゲはなんでござる? どこのメーカーでござるか?」

「超空間」

「……あれをやってよくエロゲの世界に入ろうと思ったな」

「ゲームクリアのことをゲームオーバーと呼ぶゲームは生まれて初めてだった。まさかクリックを連打していたらスタッフロールも無しに終わるとは思わなかったよ」


 後ろから聞こえてくる言葉が気になって仕方がない。あの人たちは一体何を話しているのか。


「次郎殿は?」

「……みずいろ」

「いったでござるか……」

「……ああ、いっちまったよ。消し飛んだデータはもう帰ってこないんだ」

「泣いていいでござる。せめて拙者の胸の中で……」

「……親友の胸はあったかいなぁ」


 部屋の真ん中で男二人が抱き合って泣いている。気色悪い。先輩でなければ蹴り飛ばしているところである。


「なんで先輩たちは泣いているんですかね?」

「この世には友くんも知らないようなゲームが存在するんです。触れないであげてください。ただ我々は散っていった仲間に敬意を示すだけです」


 歌子が二人に対して敬礼をした。よく分からないが、そこに敬意があることだけが感じ取れた。


「いや、何一つ分からないんだけど」

「知らなくていい。そういうゲームがあるんだ。面白いとか面白くないとかそういった物を超えたゲームが世の中にはあるんだ」


 多分それはプラスの意味ではないことだけが、肩を寄せ合い泣いている先輩たちを見ていて分かった。

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