第44話 対決

     ◆


 喉を切り裂かれて死んだ男は、最後の最後で本当に自分の命が惜しかったようだ。

 縦穴へ戻るまでに二人を始末し、銃撃戦がよそで展開されるのを幸いと、六番通路へ移動する。大きくナンバリングされていて助かった。

 一度、死にかけただけあって、俺の体は重すぎた。軽機関銃が何十キロにも感じられる。

 そんな俺に次々と向かってくる男たちを、俺はなぎ倒していった。さすがに体の限界に耐えきれず、注射を使う。これで残りは二回。

 薬が効かなくなっているのか、万全ではないが、それでも長い訓練を積んだ俺と、素人同然の武装集団では練度が違う。さらにいえば、男たちの武装を奪えば、こちらは弾薬の心配がいらなかった。

 最後の一人を倒し、六番通路の終着点に出る。

 通路は大きなタンクの上に通じていて、そこに一人の男が立っていた。明かりが十分ではないが、男を見たとき、直感した。

 探していた男だ。

 ヒョウ。

 もし身体に不具合がなければ、駆け出したかもしれない。しかし今は無理だった。

 すっとパイプの陰から男たちが現れた。容赦なく二人を撃ち倒す。

 しかし相手はまだ四人残っている。

 とっさの判断で片手で拳銃を抜き、タンクの上の男に向ける。

 道連れにしてやる。

「やめろ」

 静かな声だった。銃撃戦の現場、殺戮の現場に合わない、冷静な声。

 男たちが距離をとる。それでも銃口はこちらに向いている。

 構うものか。俺は弾が切れている短機関銃を捨て、拳銃を向けながら、タンクの上に進んだ。

 近づけば近づくほど、その男は確かにヒョウだとわかった。

 それとも黒崎リュウスケ、南ジュンイチロウ、南ジョウジだろうか。

 男は武装していない。服装は背広のようだが、場違いすぎて背広には見えない。

 すぐそばで、俺は彼に拳銃を向けた。無表情に、こちらをまっすぐに見られても、脅威は感じない。

「大勢を殺して無事な理由を知りたいな」

 男が囁くようにいった。心底から不思議に思っている様子だ。

「あんたを殺すためだよ。それにそんなことを知って、どうする?」

 それもそうだ、と男が肩をすくめる。その肩を撃ち抜いてやりたくなったが、まだ俺には知るべきことがある。

 そう、事実を知りたいのだ。

「十年前の話を聞かせてもらおうか」

「十年前?」

 答えろ、と低い声で促して、引き金に力を込める。

「本土にいた。それがどうかしたか?」

 構わず引き金を引いた。男の左耳が消し飛ぶ。

 驚くべきことに、男は悲鳴を上げないどころか、わずかに頭を動かしただけで、反応はそれだけだ。

 思わず俺の方が狼狽えた。痛みを感じないのか?

「答えろ!」内心の動揺を抑えるために、叫ぶしかない。「俺の家族を皆殺しにしたはずだ!」

 叫び声が反響する。男の左耳のあった場所から流れる血が、滴り、首を伝い、背広を染めていく。

 何かを考えた様子の後、

「数え切れないほど、殺したよ」

 そう男が言った。

 殺すべきだ。全ての犠牲者のために、引き金を引くしかない。

 心臓を、頭を撃ち抜いて、それを罰としよう。

「お前の家族が、私の家族を殺したからだ」

 発砲寸前の引き金が、止まる。

「何だって……?」

 男は無表情のまま棒立ちで話し始めた。

「もうだいぶ前だ。私の両親は貧しかった。父は小さな建設会社を経営し、母はそれを支えていた。私と兄弟は擦り切れた服を着て、食べるものもろくになく、一日中、狭い部屋で過ごした。保育施設は頼れなかった。あまりにも貧しく、虐待だと判断されること、虐待がないとしても、私たちを取り上げられるのが怖かったからだ」

 理解不能だった。この男はなぜ、急に自分の過去を語り始めた?

「やがて父の会社は倒産の瀬戸際になった。そこで母が策を立てた。離婚し、母は可能な限り早く、再婚する。もちろん父のような金を持たない相手ではない。唸るほど金があり、それを母に貢ぐような相手だ。その相手から吸い出した金で、父と私達を支えるというのだ。母は夜の仕事で、酒を飲み、時にはベッドの中で、最適な相手を探した。そうして一人を選び出した」

 男は無表情で、何の身振りもしない。

「両親は離婚し、兄弟は別々に引き取られた。私は母の元で、新しい父となる男、実際には金を掠めとられるだけの男を、私は目の前にした。若くて、顔の作りが良く、長身だ。最初はうまくいくかと思われたが、すぐに計画は崩壊した」

 話がまるで闇を引きずり込むように、周囲が薄暗くなってきた。

「家庭内暴力、そして虐待。男は結婚する気などなく、悪意を持って母と私に接した。母は警察にも役所にも相談した。電話し、実際に出向きさえした。しかし、役人は何の行動も起こさなかったし、民間の相談員はやる気がなかった。部屋に帰ってきた母は、待ち構えていた男に死ぬまで殴られ、そして男は私を半死半生にして放り出し、消えた。私を救ったのは、驚くべきことにホームレスの男たちだった。彼らの善意が、私の命を永らえさせた」

 バカな、と言うしかなかった。まったく力の入らない声が、俺の口から漏れた。相手は平然と喋っている。

「時間が過ぎて、私はホームレス生活を抜け出した。それまで名前は偽名を使っていて、それは私の母を殺した男が現れるのを恐れたからだ。やっと本当の名前に戻ろうとした時、私は、私自身が死んでいることを知った。金ヅルにするつもりだった男は情報を改ざんし、おそらく金の力で、私の母は餓死で、私は病死という記録をでっち上げていた。私は死んだことにされていた」

 男はやはり無表情で、それが逆に狂気を証明していた。

「私は復讐を誓った、母を殺した男、母の訴えに耳を傾けなかったものへの復讐だ。お前の両親もそんな一人だったのだろう」

 納得できるわけがない。

 父は確かに、役人だった。

 しかし、そんなことで?

 そんなことという言葉で済ませるべきではない、と訴える自分がいる。

 父がもし、目の前の男の悲劇を見て見ぬ振りをしたとして、男の復讐の念は、俺が抱いている殺人犯への念と、何も変わらない。

「残念ながら、お前は復讐のために来たようだったが、無駄だったな」

 男が手を持ち上げると、周囲にいる四人が銃口を上げる。

「無駄なものか!」

 叫んで、俺は拳銃を男の額に向けた。

「お前は、お前だけは、殺す!」

 男の口元にわずかに笑みが見えた気がした。

 手が動き始め、

 銃声と悲鳴が起こった。



(続く)

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