第42話 奇跡

     ◆


 喚きながらデタラメに拳銃を撃っていた男の眉間に弾丸を撃ち込む。

 血と脳みそを撒き散らして男が倒れ、同時の俺も膝をついていた。ピースメーカーの影響で、呼吸がままならない。全身が強張る。 

 しかしここにいては蜂の巣だ。

 無理やりに床を蹴り、通路の一つへ飛び込む。

 俺は果てしなく続くかと思われた縦穴の底に降りていた。全部で十二本の通路がここに通じているようだ。飛び込んだのはそのうちの一つ。

 飛び込んだのと同時に、その通路にいた男が、ぽかんとこちらを見た。

 お互いに予想外だ。男は俺を迎撃するために駆けつけたところらしい。

 言うことを聞かない体を無理やりに動かす。男に組み付き、渾身の力で首をへし折る。鈍い音を立てて、首が曲がらない方向へ曲がり、男の体から力が抜ける。

 また倒れ込みそうになり、通路を進む。背後で怒鳴り声。俺を探しているのだ。

 通路は三つに分岐している。霞む視界では、よく見通せない。こうなっては運任せだが、仕方がない。

 一つを選び、のろのろと進むと、屈めば隠れられそうなコンテナがあった。運が味方したらしい。

 そのコンテナの影に崩れるように座り込むが、全身が痙攣する。

 俺は暴力を行使していない。人を殺してはいない。

 ピースメーカー、動揺することはない、少し黙れ。

 思考が巡るが、緩慢になっていくのがわかる。

 左手は注射器に伸びるが、今、打つべきか否かは、判断がつきかねた。薬が完全になくなれば、有効な反撃が根本的に不可能になる。防御さえもままならない。

 耐えろ、耐えてくれ、俺の意識。

 震える手を口元へ運び、力任せに歯を立てた。ギリギリと噛み締めると、激痛で少し意識がはっきりする。自傷行為でピースメーカーが沈静化するわけもなが、冷静になる効果はあった。

 血の味を感じながら口から手を離し、呼吸を整える。

 視界に幻の死体、俺が作った死体が浮かぶ。ざわざわと思考が震え、またピースメーカーが立ち上がってくる。ぎゅっと目をつむり、耐えた。

 まだ死ぬわけにはいかない。

 まだだ。

 足音が近づいてくる。複数。二人、もしくは三人。

 さっきの分岐のところにいるようで、一人の指示に二人が返事をする。

 三人だ。通路一本に一人ずつが踏み込むか。

 俺はいつでも動けるように身構え、改めて呼吸を整えた。

 短機関銃は弾が残り少ないが、まだ使える。それを腰の後ろに吊るし、ナイフを抜く。

 小走りで通路に入ってきたのは、やはり一人。コンテナの影で俺は見えないらしい。もしマグライトでも持っていれば違っただろうが、相手はそんなものさえ持っていない。

 コンテナの向こうから、男が姿を現し、俺は飛びついて引きずり倒した。

 のしかかるようにして、口を押さえる。拳銃を持っていたが、引き金を引く間を与えずに弾き飛ばす。

「本隊はどこだ?」

 質問する俺の声はかすれている。こうなってはピースメーカーを誤魔化しきれない。

「答えろ、中枢はどこだ」

 男が喚く。瞳の光には、答えようとする、命乞いをする色がある。

 構わず、俺のナイフが男の首に食い込む。

「教えろ」ほとんど吐息のような声しか出ない。「目印は、なんだ?」

 口を押さえられたまま喚く男の声を、聞き取る。六番、と繰り返しているようだ。

 もう良いだろう。

 ナイフが首筋を切り裂き、男はあっさりと絶命した。血飛沫を避けることもできず、俺は顔に飛び散った血を袖で拭った。

 立ち上がろうとして、失敗した。

 よろめき、倒れこむ。限界だ。注射器を、使わないと……。

 倒れこんだまま、ナイフを手放し、注射器を掴む。しかし指に力が入らない。

 くそ、早く、打たないと。

 注射器を握っているはずなのに、男の首を切り裂いた感触しかない。

 ヒョウを、奴を殺さなくては。

 どうにか注射器を掴み、首筋に近づける。

 唐突に片手の感覚が消えた。乾いた音がする。感覚は回復と途絶を繰り返すが、注射器は手から離れている。

 仰向けに倒れている自分。寝返りを打って、驚くほど暗い視界で、注射器を探す。すぐそこだ。男の死体のすぐそば。

 手を伸ばし、掴む。

 そこが限界だった。視界が一気に暗くなる、違う、まぶたが降りているんだ。必死に目を開こうとしても、できない。全身が重い。眠りに近い感覚。眠っている場合じゃない。

 死んでしまう。このままでは。

 これが死なのか?

 俺は、死ぬのか?

 ついに視界は閉ざされ、体の感覚が手足の先から消えていく。腕と脚が消え、胴を這い上がり、ついに首から、頭、その奥へと冷たい感覚が広がった。

 俺は一度死んで、全てが失われた。

 ピースメーカーによる、速やかなる死。

 人間の悪意を罰する、小さな支配者。

 息が詰まった。

 そう、息が、だ。

 咳き込み、その時には俺は、全身に力を取り戻していた。

 なんだ? 何が起きた。

 咳き込み、さらに咳き込み、嘔吐感がこみ上げる。しかし何も吐けない。

 全身がまるで自分のものじゃないように、ぎこちなく動くが、しかし動くことには動く。

 何故、俺は生きている?

 注射器は床に転がっている。無意識に注射器を使ったのかと思ったが、注射器を手に取ってみるとカプセルの残量は減っていない。

 奇跡か。ピースメーカーは、俺を殺すのを諦めたのか。

 気まぐれがあるわけがない。しかし、必然が回避されたのも事実だ。

 起き上がり、落としていたナイフを拾い上げ、腰の鞘に差し込む。そのナイフで殺した男は、まだすぐそこに倒れていて、もう動くことはない。

 心臓が激痛を発する。男の死体から目をそらし、呼吸を意識した。

 ピースメーカーは健在だ。そしてもう一度、奇跡に頼るわけにはいかない。そんな期待はするだけ無駄だ。

 自分は悪くないと思えれば、楽だろう。

 しかし死体を作り続けているのは、間違い無く俺だ。

 その犠牲が、俺の両親と姉への供物だとしても、殺された彼らにも彼らの家族が、命がある。

 何かが間違っている。

 俺は、本当に倒すべき相手に辿り着くまで、どれだけ血を流せばいい。

 ゆっくりと、俺は通路を戻る。

 前方で銃声が連続してる。ここには俺しか侵入していないはずだ。

 ポケットから携帯端末を取り出し、レオから掠め取っている情報を再確認。

 どうやら強攻課が動いているとわかった。しかもこの保守点検用の空間を捜査している。現在の状況は不明だが、大規模なようだ。

 彼らが場を乱してくれれば、俺にも好機がある。

 全身が痛み、心臓が時折、不規則に鼓動する。肺はうまく息を吸えない時、吐けない時がある。

 それでも俺は、前へ進んだ。

 ヒョウ、お前は、どこにいる?



(続く)

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