第27話 取り引き

     ◆


 どういう繋がりからか、地上にある喫茶店に僕はいた。もちろん、一人じゃない。

 隣には朽木シバが座っていて、他に客は男性が一人、カウンターで雑誌片手にお茶を飲んでいる。

 向かいの席にいるのは、平凡な身なりの男性で、表情はどこか緩んでいる。

「二十丁以上? そんなにどこに消えている?」

 朽木シバの問いかけに、まあまあ、などと男は軽い調子で応じる。視線は僕と朽木シバを行ったり来たりした。

「よく知りませんがね、ここのところ、うちは儲けが多くて」

「俺が警官だって知っているよな?」

 もちろん、と男が答える。

 この男は密売屋だと僕も聞いている。しかし見たところ、よくいる人の良さそうな中年男性にしか見えない。ただ注目するべきはどちらかといえば、ピースメーカーを飼い慣らしているタイプに見えることから。少しだけ、感情が豊かという意味だけど。

 人工島では、ピースメーカーによる制約で、恫喝は使えない。それは海千山千の朽木シバも心得ているようで、どれくらい儲かった? と笑っている。

 笑っていても腹の底が煮え繰り返っている、ということはないらしい。だって煮え繰り返った途端、命がなくなるし。

「半年は遊んで暮らせますな」

「相手についての情報をよこせるか?」

「取引次第ですね」

 何を知りたい? と朽木シバが促すと、男は真剣な顔を見せた。

「監視システムの一部を、しかし詳細に」

 思わず僕は横目で朽木シバを見た。珍しく穏やかに笑っているように見えた。内心は、やっぱりわからない。

「場所によるぜ、そいつは」

「お任せします。ここであなたと私の間で、信頼関係を作るのも良いんじゃないかと」

 オーケー、と朽木シバが自分の携帯端末を取り出し、男も携帯端末を取り出した。何かがやりとりされ、毎度あり、と男が笑う。

 そして、平然と語り出した。さっきとはまるで違う、滑らかさだった。

「相手は、リバースと名乗っていますね。組織規模は不明ですが、最近、武装を調達する連中がそこかしこを走り回っています。武装蜂起があるかもしれません」

「武装蜂起? ピースメーカーを知らないわけじゃあるまい」

「薬剤があるんです」

 ほぉ、と朽木シバが呟く。

「詳しく聞きたいね」

「名称不明のカプセルです。どこから流れてくるか不明ですが、劇薬らしいです。それがピースメーカーを誤魔化すとか」

「誤魔化す? 無力化するのか?」

 さて、どうでしょう。男がそう言って、わずかに笑う。朽木シバの気配がそれに合わせて鋭くなるが、口調は穏やかなままだった。

「どこのどいつが流している?」

「わかりませんね。人工島の闇の中、ということでしょう」

 男の表情を僕は観察し、嘘を言っているようではないし、こちらを煙に巻こうとしているようでもない。本当にわからないんだろう。

 そっと朽木シバを見ると、片手で顎を撫でつつ、もう一方の手の先では、指に挟まれたタバコがくるくると回っていた。

 沈黙は、朽木シバが「もういいぞ」という一言で終わりにした。

 男は頭を下げ、店を出て行く。

 それと同時に、カウンターにいた男が雑誌を放り出し、こちらへ来る。彼もイレギュラーで、朽木シバの部下の一人だ。名前は成田テッペイ。

「朽木さん、どこの情報を渡したんです?」

「後で情報を共有するよ。あいつらも、こちらから教えた地点をそのまま利用したりはしないさ。それじゃあこちらが罠を張っているところへ飛び込むようなもんだからな。で、成田、聞いてたな? 薬物の流れを知る必要がある」

「内政省の医療品関係の部署を当たりますよ。さっきの男は、丹生が追いかけているでしょうし」

 丹生というのは、やっぱり朽木シバの部下で、丹生トモリという女性のイレギュラーだ。店が見えるところで待機していたはず。

 成田テッペイが店を出て行ってから、やっと朽木シバがタバコに火をつけた。

「ややこしいな。爆薬を追っていたはずが、大規模な武器密売と、薬物の横流しときた。関係があるのか、ないのか、どう思う?」

「え? 僕の意見を聞くんですか?」

「人間にはそれぞれの思考とそれぞれの視点がある。俺には見えないものが見えるだろう」

 僕はじっと自分の手元を見て、指を組み、組み直し、また組み直した。

「爆薬と銃だと全く性質が違いますが、両者に共通する、ピースメーカーのせいで使用者が死んでしまう、という絶対の原則が、薬物で解消できます」

「劇薬とあいつは話していたな。ピースメーカーを誤魔化すとして、副作用があるんだろう。死ぬのかな。お前はどう考える?」

「ピースメーカーを一時的に無効化したとして、その間に犯罪を犯して、薬が切れたらどうするんでしょうね。もし薬が一日とか、もっと短いとして、それでも半日でも継続すれば、精神を落ち着けることができると思います。でも、心が攻撃的な状態のままで薬の効果が切れれば、瞬間的に死ぬと思います」

 まあ、そうだろう、と朽木シバはゆっくりと煙を吐き出し、短く唸った。

 そこでしばらく待っていると、丹生トモリが戻ってきた。男を見失ったと、無表情に言って謝罪するが、朽木シバは、そんなものさ、と平然としている。

 席を立って、カウンターの向こうの初老の店主にさっと身振りで礼をする。彼も元はイレギュラーだったと聞いている。街に紛れた強攻課の協力者ということになる。そんな人が何人もいるようだ。

 三人で外へ出て、朽木シバは丹生トモリにさっきの話をしている。

 地下へ戻り、イレギュラーの中でも朽木シバが指揮する班のオフィスで話し合いは続くけれど、進展はない。しばらくするとそこへ成田テッペイが戻ってきた。内政省は反応が鈍く、一介の警官にはおいそれと情報を流しそうにない、ということだった。

「朽木さんには本当は分かってましたよね、連中の秘密主義は」

「もちろんだ」

 朽木シバは、まだタバコを吸っている。成田テッペイ、丹生トモリは彼をじっと見る。

「あの男に与えたデータに、追跡信号を混ぜてある。最低限の追跡はできる」

「信頼を裏切るわけですね」

 成田テッペイの言葉に、当たり前だ、と朽木シバが口を斜めにする。

「俺は警官で、正義の味方だぞ」

 悪びれない朽木シバに、反応に困る僕をよそに成田テッペイと丹生トモリは控えめに笑っている。

 忙しくなるぜ、と朽木シバがタバコを灰皿に押し込んだ。



(続く)

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