第25話 ピースキーパー

     ◆


 イレギュラーに任命されて、初めてやったことは特殊なウイルス「ピースキーパー」を身体に注射されることだった。

 地下にある医務室が当てられたけど、医務室というより一人部屋の入院施設に見えた。

 僕が入ってすぐに医者がやってきて、名前を確認し、掌紋と声紋も確認した。血液検査が簡易キットで行われ、接触注射器が腕に当てられる。

 何の躊躇いもなく、医者がボタンを押し、薬剤が僕に注射された。

「一時間ほどすると具合が悪くなると思う。吐く時は流しでやってくれると助かるよ。一応、杖があそこにある」

 言われた通り、確かにベッドのすぐそばに杖があり、そして流しもあるのだ。

「水分が欲しくなったら流しの水道の水が飲める。まぁ、吐くだろうけどね。暴れたくなれば暴れてもらっても構わないが、それはかなり高い確率でピースメーカーの裁きの対象になりかねないから、こちらで次の薬剤を打つことになる。暴れたい時はナースコールを押すように。ではね」

 ペラペラと一息に喋って、医者は出て行ってしまった。

 具合が悪くなるのなら、ベッドに寝ている方がいいのかな。でも、吐くとも言っていたし。

 ここに来る前に昼食を食べてきたのが悔やまれた。

 イレギュラーに任命されても、高校生活を半分は続けていて、三年では卒業できいないけど、卒業はするつもりだった。

 昼間、学校でクラスメイトとお昼ご飯を食べたのだ。クラスメイトにはイレギュラーに任命されたことは話していなくて、まだ候補生だと思われているだろう。

 そうか、制服のままだから、汚すと大変だ。

 部屋の隅の戸棚を見ると入院着があった。

 でも着替えることはできなかった。いきなり、何の前触れもなく嘔吐感が込み上げて、流しに行って、僕は昼に食べたものを全部吐いた。詰まるかも、と蛇口から水を流す。

 嘔吐感が収まらず、胃液を吐く頃には、足に上手く力が入らなかった。

 杖が必要なわけだ、と考えながら、動けないので、流しに両手をついて、どうにか姿勢を保った。

 幸いにも暴れたくなるという心理にはならず、吐くものがなくなるまで吐いて、よろよろとベッドに倒れこんだ。

 意識を失って、どれくらいが過ぎたか、目が覚めた時にはやけに長い時間を眠った感覚があった。ベッドサイドのテーブルに置いていた携帯端末に手を伸ばし、時計を確認。ほんの三時間しか過ぎていない。

 起き上がると、意識はクリアで、不快感は少しもない。体もいつも通りだ。立てるだろうとベッドを下りれば、自然と立ち上がれる。どうしよう、医者が来るまで待つべきかな。

 そう思っていると、いきなりドアが開いた。

「おっと、お早いお目覚めで」

 そこにいるのは朽木シバだ。

「まだ伸びていると思っていたよ。具合はどうだ?」

「だいぶ吐きましたけど、もう大丈夫そうです。普通です」

「いいだろう、こちらから先生の方へ出向いてやるか」

 それから二人で通路へ出て、二つ隣のドアを抜ければ、例の医者が端末に何か入力していた。

 もう無事なようですぜ、と朽木シバが言うと、医者が渋面になり、忙しいのかね、とやり返す。

「もちろん。一人でも多く人手が欲しい」

「ピースメーカーの存在を忘れるなよ」

「当然です。ここはそういう場所ですから」

 ため息を吐く医者の様子は、僕の世界からすればかなり特殊だ。朽木シバの様子を嘆きながら、彼を否定しない、ということが可能ということか、それともそれが可能になる余地を作るのが、ピースキーパーなのかもしれなかった。

 医者は電子書類をすぐに用意し、僕はそこに署名した。

「南レオ、確かに通知を受理して、こちらから強攻課に連絡しておく。どうも朽木くんはそれより先に仕事をさせたいようだがね。気をつけなさい。怒りと憎しみに気をつけて」

「ええ、先生、ありがとうございます」

 頭を下げて、朽木シバと外へ出ると、彼は早速、タバコを吸い始めた。禁煙じゃないのか?

「お前の両親を爆殺した奴を、今、うちの班で追いかけている。追いかけていると言っても、監視カメラに映っているのは宅配業者で、運ばれた荷物はビールとされている。伝票の上ではな。差出人の名前がデタラメ、住所もデタラメだ。荷物は宅配業者の集配所に直接、持ち込まれ、そこでも監視カメラをチェックした」

「でも辿れないんですね?」

「カメラからカメラへ渡って追っていくが、途中で消える。どうも裏をかかれているな。あるんだよ、そういう稀な場所がな」

 バリバリと髪の毛を掻き毟りながら、タバコをくわえたまま器用に煙を吐き出す朽木シバは、しかし落胆も悲観もしていないように見えた。

「でも何か、手がかりはあるんですね?」

 こちらから促すと、イレギュラーをもバカじゃないんでね、と彼は唇の端を持ち上げる。

「人間二人を殺しているわけで、それだけの憎しみがあるだろうと推測するのが、妥当だ。そしてこの島では、ピースメーカーは憎しみを見逃さない。つまりどこかで、誰かが不審死していると思われる、となる。で、ここ数週間の不審な死者のリストを当たって行った」

「ヒットしたわけですか?」

「地下の空き店舗をどこかの業者が倉庫代わりに使っていて、そこで不審な死体が発見されている。普段通り、衛生局が死体を回収、検死して、当然のようにピースメーカーが死因だ。問題は、どうして倉庫でぶっ倒れていたか、だが、倉庫として使っていた業者が、その男を雇っていたと主張し、事故死だろう、と申告している。当局はそれを受け入れ、業者は荷物を全部どこかへ運んだ、というのがわかった」

 かなり怪しいが、人工島では、ピースメーカーによる死者が一定数、存在する。犯罪行為と縁がなくても、ほんの些細なことで意識や感情が高ぶり、それを検知したピースメーカーが命を奪うのだ。それを島の人は大抵は、事故死として片付ける。

「その業者を追跡したんですよね?」

「会社はダミーで、登録されていた社員はまったく関係していない、バラバラの人間」

「申告した住民は確かにいたはずです。その人は?」

「名前は違うが、顔認証で引っかかった。数年前に行方不明になっていて、戸籍上でもそのままだ。消えたふりをして、名前を変えて生きていた、ってわけだ」

 そんなことをする理由がわからないが、しかし、人工島に正体不明の人間がいることになる。

「ま、これくらいはよくあることさ。世界中の国がこの島をうかがっていることもある。で、俺たちはその男を追いかけて、ちょっとした尻尾を掴んだ」

「え、まさか居場所が分かったわけですか?」

「職業がわかった」

 なんですか? と訊ねると朽木シバは楽しそうに言った。

「密売屋だ」

 密売屋?



(続く)

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