第21話 冷ややかな熱
◆
僕は警察の地下にある、事件関係者の保護用のためだと思う狭い部屋で、二日を過ごした。
その間に何の情報も入ってこないし、携帯端末で調べてみてもはっきりしない。高層マンションで爆発事故、という程度なのだ。
そこへ背広の男性がやってきて、「面談だよ」と親しげに笑いかけてくる。
連れ出されて地上へ向かうと思っていたが、そのまま地下の通路を進む。入ったことのない階層で、人がちらほらと通りかかる。全員が背広で、生き生きして見える。
一枚のドアの前で、背広の男性が「頑張れよ!」と肩を強く叩いて、思わず振り返ろうとしたけれど、それより先にドアが自動で開いた。
踏み込むと、半円を描くテーブルに、五人の男女がいる。三人が背広、二人は内政省の制服だった。この制服は一部の上級階級の人が着ると人工島の住民はみんな知っている。
僕には座る席はない。五人の前に立って、質問に答えた。
「家族を殺されて、どう思いますか?」
最初の強力な質問は、それだった。
「怒りを感じます」
「復讐したいですか?」
今度は答えづらい質問だ。
「犯人に相応の罰が下されることを、望みます」
答える僕に、矢継ぎ早に次の質問が投げかけられる。
「自分の手で罰を下したいと思いますか?」
いったい、どう答えろというのか。
「実験地区であろうと、本土だろうと、法治国家であれば、自分の手で直接に罰を下せる例は、極めて稀だと思います」
「それは罰を下すのを他者に委ねる、ということですか?」
「法に委ねます」
それからいくつかの質問が続き、
「あなたは犯人を前にして、冷静でいられますか?」
と、さりげなく重要な質問が来た。
「冷静でいることを心がけるのが、正しい人間のあり方だと思います」
「犯人が憎くないのですか?」
「ピースメーカーは憎しみを許しませんし、理想的な人間は、あるいは人間の間の憎しみを否定するかと思います」
「ピースメーカーが存在せず、理想を捨てれば、あなたは憎しみを相手にぶつける、と受け取って構いませんか?」
僕はぐっと言葉に詰まった。
ピースメーカーは僕が生まれた時から、僕を支配し続けてきた。
人工島以外の世界を、僕は知らないし、人工島はこの十六年、少しも変わっていないのだ。
「憎しみは」
どうにか、言葉を口にした。
「人間の本質とは、切り離せません。しかし本質を、本能を、理性と知性で制御するのが、人間の優れた点だと思います。そして僕は、自分という存在を本能に流されるような人間にしたいとは思えません」
立派なこと、と制服の女性が呟く。
立派。皮肉だろう。僕に犯人を憎むこと、怒りを抱くこと、何より、殺意を抱くことを促しているのだ。
しかし僕は、殺意を抱けなかった。
僕という人間は、自分の両親を殺した相手にさえ、本当の殺意を持てない。
人工島で培養された、無感情な人間。
敵意も害意も殺意も、根こそぎに奪われてしまった、欠陥ばかりの人間。
そんな自分には怒りがわくのに、他人には何もできない。
悲しみが押し寄せ、それも僕はぐっと抑え込んだ。
「僕は正義だけを信奉するつもりです」
質問もないのに、口から言葉が出た。さっと五人ともがこちらの顔を見る。まっすぐに一人一人に視線を返す。さすがに五人ともが、視線を逸らしたりはしない。
沈黙の後、これまでとする、と背広の男性が告げた。僕は深く頭を下げ、彼らに背を向けた。
自動ドアを抜けると、そこで待っていたのは朽木シバだった。
「元気そうだな」
そうでもないですよ、と答える僕を朽木シバが先導し始める。
「面談で手応えはあったか?」
「わかりません。あまり、自信もありません」
そうかい、と特に気にしたようでもなく朽木シバは言う。僕のことなんてよくいる候補生の一人で、今は爆破事件においては重要な生き残りではあるけど、それでもさして重要でもないのだろう。
「両親の体は、その、見つかりましたか?」
どうにか訊ねることができた。足を止めた朽木シバが、こちらを振り返る。真面目な顔で、こちらを覗き込むように見た。
「本気で知りたいか? 俺は知っているが、教えない方がいいとも思っている」
「知っておくべきだと思っています」
「お前の中に怒りと憎悪が渦巻くことを、俺はあまりいいこととは思えないんだよ」
構いません、と僕は即座に応じることができた。
「もう家族もいませんし、ピースメーカーに殺されても、誰も悲しまないんですよ。僕がただ、冷たくなって、最後は骨かチリになるだけでしょう」
「俺は悲しいがね」
顔をしかめ、重い溜息をついてから、朽木シバは教えてくれた。
「お前の両親の遺体は、まず爆発で激しく損傷、というかバラバラに吹っ飛び、その上で炎に炙られ、ついでに瓦礫で押しつぶされた。炎っていうのは、どうもただの炎じゃない。燃料の強力な奴が使われている。骨も残らないという見立てもある。高層マンション自体は頑丈にできているから、倒壊などはしないが、瓦礫の撤去やその上での証拠集めは、まだまだ序の口さ」
どう答えていいかわからなかったけど、とにかく、両親は確実に死んでいて、葬式も何もない、ということはわかる。
遺体を前にすること、遺骨を前にすること、葬式に参列すること。
そんなのはきっと、全てが形だけになってしまうんだろう。
本当なのは、人が死ぬことで感じる、悲しみ、寂しさ、そういうことだ。
不意に僕の中で純粋な悲しみが沸騰した。
冷ややかな熱。
もう僕は帰る場所がない。自分のことを誰よりも知っている人が、無条件に笑顔で迎えてくれる場所は、もうないんだ。
朽木シバはもう何も言わずに、部屋まで僕を送ってくれた。
「また会おう。怒りと憎しみに気をつけろよ」
部屋のドアが閉じ、僕はベッドに座り込み、手で顔を覆って静かに泣いた。
悲しみはいつまでも去らず、涙も止まらなかった。
(続く)
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