第18話 不愉快で侮れない男

     ◆


 意識がクリアになり、俺は倉庫の壁に寄りかかった。本当は座り込みたいほど、全身が痛む。しかし目の前の平然と暴力を振るう男の前で、弱みは見せたくなかった。

 男は危うく死にかけた俺を救うために接触注射を俺に使用した。カプセルが一つなくなったわけだ。

「相当にできる男だと連絡を受けていたが、人並みだな」

 男はそう言って笑っている。ポケットから取り出した、どこで仕入れたのかわからない板ガムを口に含み、噛み始めた。

 わからないことばかりだ。俺を平手打ちにしたことも、今の発言もだ。

「どうして俺がピースメーカーに殺されないか、不思議そうだな」

 男が言ったこと、まさにそれが、俺の疑問だった。

 俺が敵意だけで命を落とすのなら、挑発し、あまつさえ実際に暴力を行使したこの男こそ、既に死んでいるべきだ。

 新入りはいつも戸惑うよ、と男は嬉しそうに笑っている。

「はっきりさせておくと、俺にもピースメーカーは感染している。そして俺はピースメーカーを無効化する薬剤を注射してはいない。さらに言うと、ピースメーカーを消し去るような都合のいい手法も、民間には流通していない」

「民間には、と表現するってことは、それがある場所にはあるわけだ」

「どこにあると思う?」

「国防軍だな?」

 かもな、と男はもごもごと答える。ガムのせいだ。

 日本の自衛隊は五十年ほど前に名称変更された。外国に乗り出し、あれやこれやと活動し、今ではもう日本国民に反発を持つものも少ない。

 ピースメーカーというウイルスは、軍事利用するととんでもないことは、素人、それも子どもでもわかる。

 敵にだけピースメーカーを感染させることができれば、それだけで相手は攻撃手段を根本的に失ってしまう。反撃さえ不可能だ。反撃しようと思った途端、ピースメーカーがその意志に反応し、全滅させてしまうだろう。

 だからこそ、国際的に議論にも問題にもなるし、ピースメーカー対策が表に裏に行われている。

 それは国防軍も例外ではないだろうし、ピースメーカーを開発した日本人研究者は、国防軍によって完全に保護され、隠されてもいる。

 その国防軍が、ピースメーカーを無力化する方法にたどり着いても、不思議ではない。

「おかしいな」俺はかまをかける気になった。「国防軍からは武器弾薬をだいぶ横流ししてもらっている。例の薬もだ。だったら、今、あんたが匂わせた薬物だかも流れてくるんじゃないか?」

「それが妥当な推測だ。なんで流れてこないと思うか、可能性を挙げてみな」

 少し考えても、それで考えつくことは少ない。

「もしかしたら、そんな薬物なりがない可能性もある。未開発、未発見、ということだ。もう一つは、存在しても、存在を知ってるものが極端に少なく、横流しをするような連中は存在していることを知らないがために、こちらに流れてこない」

「他には?」

 他か。

「そうだな、怖くて誰も取引しない、という目がある」

「怖い?」

「人工島の実験は、官民軍複合の、言ってみれば日本の国策の一部だ。荷物であると同時に、宝にもなりうる。それを吹っ飛ばすようなものを、おいそれと密売するわけにはいかない。危なすぎる」

 面白い奴だ、と言うと、男がポケットからガムの包み紙を取り出し、口の中のガムを吐き出す。

「オーケー、お前を仲間と認めよう。俺は確かに灰田ジュンという名前で活動している。お前の名前は?」

 まだ名乗ってすらいないのだ。

「寺田ロウ」

「特技は?」

「おおよそはやってきたつもりだ。銃器の扱いも慣れている」

「どこで訓練した? 日本じゃないな?」

 俺は中東の数カ国と、アメリカ、ヨーロッパの幾つかの国名を挙げた。ヒューっと灰田が口笛を吹く。

「うちの組織にしては珍しい、筋金入りの工作員ってわけだ」

 俺が頷くと、ここじゃ工作員はすぐ死ぬぜ、と灰田が笑う。

「いくつかの国から、秘密裏に工作員が入ってくる。お前みたいな闇社会の工作員じゃない、本物の、国のために働く工作員だ。だが、大抵はピースメーカーのお世話になって、どこかでくたばる。理由はわかるな?」

「ピースメーカーが発動する、暴力と縁が切れないから、か」

「連中はこの島の流儀を知らない。そして鉄則にも気づけない。お前は気づいているな? ここでは暴力を考えるな。相手を憎まず、怒りも抱かず、まるで柳に風が吹くように、意識を集中しろ」

「それがあんたのやり口か?」

 もちろん、と灰田が笑みを深くした。

「だから俺は、ちょっとの暴力程度なら、ピースメーカーのお目こぼしを受けることができる」

 不思議な男だ。暴力を振るいながら、暴力を行使する意志を持たないなんて、あるのだろうか。

 じっと灰田を見ている俺に、彼はウインクする。気色悪い動作だ。灰田の外見は三十前後。とにかく、ウインクが似合う歳ではない。

「さて、俺の店に案内しよう。いずれ、この倉庫の荷物の中身も教える。体の具合は?」

 俺は全身の痛みを隠して、「大丈夫だ」と寄りかかっていた壁から体を離した。びりっと足に痺れが走る。

「顔に出ているぜ、新入りくん」

 笑いながら、灰田が倉庫を出て行くのに、俺は慌てて続いた。

 実に不愉快な男だが、しかし、侮れない男でもある。

 勉強させてもらうとしよう。俺はまさに、新入りなのだ。



(続く)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る