第17話 きっかけ

     ◆


 翌日は、朝から晴れていた。朝食の席もどこか明るい雰囲気で、両親ともにいつもより喋っている気がする。

 学校へ行って、僕がいつも通りに過ごしていると、休み時間に潮ナギがやってきた。

「今日の放課後、カラオケに行く予定があるけど、どうする?」

「ごめん、ちょっと今日は無理かな」

 予定あるの? と潮ナギが首をかしげる。

「家族と食事に行く約束をしているんだよ」

「何かのお祝い?」

「前祝いかな。カラオケ、また今度、誘ってよ」

 そうするね、と潮ナギは笑って自分の席へ戻っていった。

 授業が終わって、僕は足早に家に向かった。けど、途中で心変わりをして、寄り道をすることにした。

 両親のサポートのおかげで、今の僕がいるんだから、こちらからも何か、お礼をするべきだと思った。

 何がいいかは、すぐわからなくて、安直な考えだけど鉢植えでも買おうかなと考えていた。

 地下一層にある花屋に向かい、店頭に並ぶ鉢植えを眺める。正直、花を買った経験がほとんどないので、どれがいいのか、よくわからない。室内で育てるわけだから、寒暖差は気にしなくていい。水やりは少なくて済む方がいいのかな。

 結局、眺めているうちに時間だけが過ぎてしまい、慌てて二つの鉢植えを買って、地上へ足早に向かうことになる。お金はお小遣いからの出費だけど、負担といってもほんの少しの負担だ。

 地上に出て、壁の向こうに夕日が落ちていくのを横目に、時計を確認。予定よりだいぶ遅れてしまった。駆け足になって、人工島の中心部へ向かう。

 高層マンションは遠くからでも見えるし、道も完全に計画に基づいて作られているので、近道もない代わりに、回り道する必要もない。

 夕日を背景に、高層マンションが影になり、真っ黒に染まる。

 そこを見上げていたのは、たまたまだ。

 だから、盛大な煙が吐き出された時、何が起こったか、すぐにはわからなかった。

 わずかに遅れて、重低音が一度、響き渡る。体が震えるほどの大きさで、身を竦めてしまった。

 改めて上を見るけど、何かが降ってくる? あれはなんだ?

 気づくと僕は足を止めていて、近くにいた通行人も揃って上を見上げている。

 落ちてくるのは無数の、ガラスと、壁だった建材だった。

 反射的にすぐそばの建物の中に逃げ込むと、すぐ背後で、バラバラと落下物がアスファルトを激しく、間断なく打つ音が響いた。

 その硬質で破壊的な雨音が止んでから、僕はもう一度、外へ出て高層マンションを見上げた。

 煙が上がるのと同時に、火の手も上がっている。

 まさに僕が家族と生活している高層マンションで、あそこは何階だろう。両親は今の時間、部屋にいたんじゃないか?

 時計をもう一度、見ると、家族で約束した時間だった。とりあえず、家に帰らないと。

 でも結局、家に帰ることはできなかった。

 非常に珍しいことに警察が大勢、高層マンションの周囲にいて、黄色いテープ、立ち入りを禁止するテープがすでに張られていた。消防車、救急車がその中へ入っていくのを見ながら、僕はどうにか知り合いを探して、そこから中に入れないかと、それだけを考えていた。

 でもそこまで都合よく知り合いがいるわけもなく、ただ野次馬に混ざって、僕は立ち尽くしていた。

 いきなり携帯端末がベルを鳴らし始めて、他の誰かかと思ったら、僕の携帯端末だと遅れて気づいた。普段はマナーモードにして何の音も出ないので、自分のものだとはわからなかったのだ。

 取り出してみると、実験地区内政省からの直接の、緊急通信だった。どういうことだろう?

「もしもし?」

 受けてみると、相手は女性で、実に人工島らしい平静な調子で、喋り始めた。

『南レオさんで間違いないですか? こちら、内政省の緊急事態対応課です』

 対応課の存在は知っていたけど、仕事をしているのは初めて知った。そんなことを思いつつ、耳を澄ます。

『今、どちらにいらっしゃいますか?』

「どちらにと言われましても」思わず頭上を見上げる。マンションは火を吹いている。「自分の部屋に帰ろうとして、火事みたいで」

 そう答える僕に、対応課の女性は、高層マンションの住所と僕が暮らす部屋の番号を告げ、間違いないか確認してきた。間違いはなかった。

 瞬間、嫌な予感がして、それは即座に確信に変わった。

『南様の暮らされている部屋を中心に、原因不明の爆発と火災が起こっています。ただいま、南レオ様のご両親と連絡を取ろうとしておりますが、連絡がつかない状況です。心当たりはございませんか』

「心当たり……、両親は、その」

 両親は、僕のお祝いのために、今日は、今の時間は、部屋にいる。そのはずだ。

 なんてことだ……。

 耳元で対応課の女性が「もしもし」と繰り返している。

「両親は」どうにか声を絞り出す。「部屋にいたと思います」

『わかりました。南様、そこを動かれませんよう、お願いいたします。携帯端末の位置情報から、警察官にあなたを保護するように指示を出します』

 保護。どういうことだろう。

 爆発は何かの事故じゃないのか?

 通話をお切りにならないように、と耳元で声がして、僕は何も言えずに、端末を耳に押し付けて、黙ったまま上を見ていた。

 警官が駆け寄ってきて、名前を訊ねられたので、茫然自失ながら、どうにか答えた。腕を引かれて、パトカーに乗り込む。

 車に入る前に、もう一度、高層マンションを見上げた。

 まだ火炎は激しく、燃え盛っている。

 あの中に両親がいる? まさか。ありえない。

 じゃあなんで、連絡がつかないんだ?

 車に入って、走り出してからも、僕の中には疑問と否定が渦巻き、しかし無意識にそれに答える声が、繰り返し繰り返し、思考を行き交った。

 両親は無事なはずだ。爆発事故が起きたのは別の部屋、火災が起こったのも別の部屋。

 じゃあなんで、両親は連絡に応じず、まさに今、なんで僕の携帯端末に連絡してこないのか。

 答えははっきりしている。認めたくない答えが、はっきりと目の前にある。

 事故が起きたのは、僕が家族と暮らす部屋、まさにそこなのだ。

 そしてそこには、今日は、両親がいた。

 だから、両親は……。

 パトカーは警察署の地下駐車場へと降りて行った。

 僕の視界が一時的に、暗くなった。



(続く)

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