第15話 不自然
◆
六月になり梅雨も間近という頃で、その日も薄曇りだった。
学校でのお昼休み、男子のクラスメイトと中庭にあるベンチで食事を取っている時に、その連絡がきた。
発信者は実験地区内政省、つまり人工島の最上位組織だった。
普通のメールで送られてきた内容は、とりあえずの通知であるらしく、僕と実験地区警察の間で契約を結ぶ用意があり、戸籍にある住所に通知するから、そこで書類を作成して提出しろ、ということだった。
要は内定、ということだと思う。
僕はイレギュラーとして採用されるらしかった。
何かあった? とクラスメイトに聞かれるまで、僕はじっと携帯端末を見続けていた。なんでもないよ、と平然を装い、食事に戻る。
午後の授業は集中するのが難しかった。
イレギュラーになる、ということが何を意味するのか、まだはっきりしない。
一番初め、イレギュラー候補生としてスカウトされたきっかけは、小学校のクラスの担任が、僕を推薦したからだった。それもクラスメイトの喧嘩に割って入った、というだけの理由だ。
確かに大人から見れば、特殊な状況ではある。
小学生でもピースメーカーはその体内にある。実際、喧嘩したクラスメイトの攻撃した側は、僕が割って入った直後に、勝手に昏倒し、そのまま病院に直行だった。
割って入るという僕の行動は、攻撃された側を守る意図がある一方で、攻撃している側に反発する気持ちがあるのは、自然だった。
だから、その瞬間に僕も加害者と同様、倒れてもおかしくなかった。
加害者に対する攻撃的な心理が、僕自身を傷つけたはずなのだ。
でも僕は、倒れもしなかったし、痛みも感じなかった。担任は受け持っている児童の一人が半死半生になってやや焦っていたようだが、そこはさすがに人工島の大人だけあって、冷静だった。
数日後に、僕は呼び出され、母もまた呼ばれていた。そして、割って入ったことを理由に、警察にイレギュラー候補生の素質があるか、調べてもらってはどうか、といったのだ。
そうだ、この時のこと、もう十年近く前のことを、僕は覚えている。
母は、担任教師に珍しく難色を示した。僕は普通の子どもで特別じゃないと思うと口にしていた。担任教師は、ご家族で相談なさってください、と微笑んでいた。
家に帰ってから、僕は、やってみたいと主張した。
あぁ、そう、それで両親はどちらも顔を強張らせて、それでも笑みを見せたんだ。あれはピースメーカーによって作られた、偽物の笑顔か。
小学生の僕は警察署に出向いて、一週間ほど、毎日、担当の警官と面談をした。今になってみれば、面談の相手は普通の警官ではなかった。気配が違う。覇気があるのだ。
あの警官はきっと、イレギュラーか、元イレギュラーだったんだろう。
面談が終わり、僕は正式にイレギュラー候補生になれた。
それから長い時間を経て、やっと一つ目の関門をクリアしたわけだ。
自分が警官になるイメージがわかない理由は、純粋に、警官の仕事を見たことがないからなのは、間違いない。
信号が故障した時や、交通事故が発生した時の交通整理や、無謀な住民による喧嘩の後始末、ピースメーカーが何かの拍子に殺してしまった人間の身元を検める、そんな仕事は、普通の警官の仕事で、全てが滅多にないことだ。
でもイレギュラーは違う。
イレギュラーは警官として、犯罪者と実際に接するんだから。
でもどこに、犯罪者がいるんだろう。その疑問が前提にあるから、僕はイレギュラーが何を相手にするのか、実際を散漫に想像はできても、具体的には思い描けなかった。
学校が終わり、家に帰る。ドアを開けると、カレーの匂いがした。
ただいまも言わずに、僕は台所へ行った。ドアを開けると、母が驚いた顔でこちらを見て、「おかえりなさい」と微笑む。僕の反応に何か気づいたらしく、どうかした? と笑顔で訊いてくれる。
脳裏で、小学生の時の、あの強張った両親の笑みが急に輪郭をはっきりさせた。
それでも、言わないわけにはいかない。
「イレギュラーに昇格するのが内定した、って通知が来た」
結局、母はまったく動じなかった。あるいは、覚悟を決めていたのかもしれない。
良かったわね、と自然な笑顔で返事があり、お父さんも喜ぶわ、と明るい調子で母は言葉を口にした。
夕食が用意される頃、父が戻ってきた。僕は母にしたのと同じ話をした。
良かった、と言って、父も笑っていた。母も笑っている。
何かが違う。何かが間違っている。
自然なことを、不自然に思うなんて、僕はどうかしているのだろうか?
両親はそれからお祝いに外食に行こう、と言い出した。明日の夕飯はみんなで食べに行こうという。母は夜に仕事があるはずだけど、特別に休むと、その場で宣言した。父も早く帰ってくるようだ。
だから僕も早く帰ってくるようにと、二人は嬉しそうに話している。
何故か僕はうまく笑えないまま、頷いた。
その日の夜は、うまく眠れなかった。もう遅い時間だけど、何か間違えて、星野が連絡してきてくれたらいいのに。そうなったら、僕は星野に、僕の気持ちを説明することができて、それはそのまま、僕自身の気持ちを整理することになるはずだった。
ベッドの上で横になって、デスクの上の端末を見ても、待機モードの赤いランプが明滅するだけで、通信が入ることはなかった。
(続く)
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