第8話 事実
◆
ツバメがタバコの煙を深く吸い込み、斜め上に吐き出す。
「ロウ、お前の両親を殺した男について、私たちはだいぶ調べたよ。お前が調べた以上をね」
実は俺は既に警察のデータベースを当たっていた。
シュテンによって鍛えられた技能の中には、警察のデータベースに電子的に侵入する技もあれば、もっと巧妙に、警官から情報を聞き出す技もあった。書類を偽造して情報を掠め取ってもいいし、身元を偽造して相応の立場の人間のふりをして警官から聞き出すこともできる。
しかしそんな全部は徒労に終わっていた。
もちろん、警察も無能じゃない。事件についても相応に調査した。当時の俺が住んでいた地区での聞き取りの情報があり、防犯カメラの映像があり、両親と姉、そして俺の交友関係、人間関係に関する情報もあった。
だけど最後の一線で、やはり警察は無能だと思わざるをえないかもしれない。
すでに警察はあの事件を、未解決事件に分類し、迷宮入り事件としているのだから。
それから俺は家族の司法解剖の報告書から、犯行がナイフで行われたことを突き止め、さらに傷跡から推測されるナイフの形状を追い、そのナイフの販売網にも手を伸ばしたが、どうしても最後まで辿れなかった。
最寄駅の防犯カメラの映像をひたすら眺め続けたこともある。二十四時間を何ヶ月分も。
それでも手がかりはなかった。
それが、ツバメにはわかったという。
「私たちを舐めなほい方がいい、ロウ」
嬉しそうにツバメが言う。きっと俺の表情に、疑いの色が表出していたんだろう。
「お前の家族を殺した男は、影の中では、「ヒョウ」と呼ばれている」
ヒョウ?
「日本で濡れ仕事を請け負う、まぁ、お前の同業者だよ」
同業者と言われても、まったく聞いたことのない名前だった。
「どこにいるのですか?」
「その前に、お前に仕事を頼みたい」
「取引ってことですか、ツバメさん」
バカを言うな、とタバコを携帯灰皿に突っ込み、箱を揺らし、新しい一本を咥える老人は、冷静で、落ち着いていて、いつも通りだ。
俺の方こそ、じれったくて、集中を欠いている。それをツバメは今の動きで俺に教えたようだ。体術の訓練の中で理解した呼吸で、冷静さを取り戻そうとする。意識的に呼吸すると、わずかに心が落ち着いた気がした。
「お前には、一度入ったら、二度と出られないところへ行ってもらう」
「牢獄、ということですか」
「もっと残酷な場所だ。東京湾の実験地区、人工島だ」
意外な言葉だった。人工島で実験されているウイルスについては、俺も正確に把握している。
「あそこでは俺の仕事はないと思います」
うん、とツバメが頷く。
「あの島では暴力はご法度どころではない。暴力を振るう、暴力を意図しただけで、ウイルスが宿主を殺してしまう。お前が身につけた技術、他人を傷つける技術、排除する技術は、まったく無意味になる」
「それでもやる仕事があるんですか?」
そう訊ねながら、実際に俺が考えていたのは、人工島に行ってしまえば、俺の復讐はほとんど成立しなくなる、という一点だった。
ピースメーカーというウイルスを完全に無力化する技術は研究段階とされ、一般的ではない。だから人工島に一度入れば、正規のルートでは脱出できない上に、非正規のルートで脱出してもウイルスを弱体化させる処置さえ、受けられない。
つまり、暴力やそれに繋がる感情が湧き起これば、それが死に直結する形で、生きていかなくてはいけない。
あるいは、ツバメかイーグル商会にはウイルスをどうこうする力があるのだろうか。
黙ってタバコを吸っていたツバメが、こちらを見る。
「お前がやることは、ちょっとした窓口だが、実はそれだけではない。ここで話は元に戻る」
元に戻る?
「お前が追っている殺人鬼、ヒョウは実験地区にいる、と私たちの追跡調査は答えを出した」
なんだって?
見つかったのか。
俺の、絶対に殺すべき相手が。
これまで生きてきた、最大の目的が、やっと見えてきたのか。
「ロウ、真剣に考えるべきだと私は思っている。人工島へ行くか行かないかは、お前に決めさせる。あの島に渡るということは、大事なものを失うということだからだ」
「もう失うものなんて、ないですよ」
かもしれない、と言った時、わずかにツバメの顔に、より深い老いが見えた気がした。
「人工島は、完全な平和を標榜している。誰も他人を傷つけず、奪うことも、否定することすらない。穏やかに、淡々と日々を過ごす。自分を常に抑制し、調和を維持する街だ。しかしそれは、人間の生活ではない」
人間の生活ではない?
それを言ったら、人を殺す技を身につけ、人を実際に殺した俺は、人の道を歩いてはいない。
「人工島では、人間であること、それ自体が問われるのだ。わかるか、ロウ」
「俺はもう、人ではないですよ」
かもしれん、とツバメが小さく笑った。
「この話をお前にすれば、お前のことだ、飛び出していくだろうことはわかっていた。だが、伝えないわけにもいかなかった。私たちはお前を利用したようなものだ。どこかで見返りを渡す必要がある。答えは一週間後に聞こう」
すぐにも答えられたが、俺は黙ったままで頷いた。
倉庫から自宅に戻り、いつものように自動小銃を分解し、組み立て直すのを繰り返した。
もう俺の手はこんなことが自然とできる。
一週間はあっという間に過ぎた。
俺は人工島へ入り込むことを、願い出た。
(続く)
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