第7話 地下街での異変

     ◆


 僕はその日の授業が終わり、やはり訓練のない日なので、書店へ行こうかと思っていた。

 驚くべきことに、人工島では創作でさえもある種の検閲が行われている。

 テレビ番組もインターネットの動画、ゲーム、漫画、小説などなどでも、暴力描写、他人を否定する言動などが、ピースメーカーの起爆剤になるからだ。

 だから、書店へ行っても人畜無害な、当たり障りのないものしかない。

 やりすぎな気もするけど、ピースメーカーは常に僕たちの命を狙っているようなものだ。

 で、教室から出ようとすると「南くん」と声をかけられ、振り返ってみると、友人の女子生徒である潮ナギが立ってた。彼女とは小学校からの付き合いで、僕の知人の中では一番の古株だ。

「アングラで買い物したいんだけど、一緒に来てくれる?」

 人工島の流儀に沿った、穏やかな調子。アングラとは、地下街のことだ。

「別にいいけど、何を買うの?」

「サンドバックかな」

 人工島でしか使えないジョークだ。実際、サンドバックを殴りつけているうちにピースメーカーに半殺しにされる人が、後を絶たない。

 行こうか、とこちらから促して、二人で昇降口へ。

「この前、エミと喫茶店にいなかった?」

 靴を履き替えている時にそんな話になった。動きを止めずに「行ったね」と応じる。

「私というものがいながら、よその女に手を出すとは」

 潮ナギに僕が好感を持つ点は、こういうジョークに臆さないところだ。他人を否定するようなことは、人工島では誰も好き好んで口にしない。例えジョークでもだ。

 言葉にした途端、言葉が感情とすり替わることを、恐れるから。

 でもその恐れが、潮ナギにはない。

「ま、たまには他の女の子と遊びたい時もある」

 こちらもエチケットにギリギリ抵触しそうな返事を返すが、「反則よ」と潮ナギは朗らかに笑う。

 彼女はきっと、元からこういう性格なんだろう。長く接しているせいか、そんな気がする。彼女は何かを装っているようではない。もちろん、彼女も二世なので、人工島に飼い慣らされてしまった可能性はあるけど。

 二人で外へ出て、人工島で十字を作る四本の大通りのうちの、一つへ。その通りには、何箇所か地下街へ降りる大階段がある。

 地下街は全部で五層が市民に解放されて、商業施設から運動施設、住居まである。警察の主要な施設は地下にあるけど、僕もイレギュラー候補生になるまで知らなかったのは、警察の地下施設の噂はあっても、その地下施設が解放されている五層よりさらに下にある、ということだ。

 それが意味するところは、人工島は、地上よりもはるかに巨大な構造物か、海中に存在する、ということだ。

 さて、地下街はもちろん空がないので人工的な灯りの中にある。ただ、商店の飾られたウインドウや看板の類がごちゃごちゃしているせいか、警察の地下のような無機的な感じはしない。

 作られた場所でありながら、人間の文明が色濃い場所。

 潮ナギは靴を買うと言って個人商店らしい靴屋に入っていった。僕は昔ながらの雪駄を眺めて時間を潰した。

 ナギはすぐに出てくる。散財しちゃった、と笑っている。

 人工島での決済は、すべて電子マネーだ。外部からやってくるニューカマーも、港で現金を電子化することが推奨され、人工島の中では硬貨も紙幣も使えないことが告知される。

 二人で並んで歩きながら、足は自然と馴染みの喫茶店に向かっていた。馴染みと言っても、僕と潮ナギの間で馴染みであって、他の友達と行ったことはない。

 地下街の四層にある、居住地区の中の本来は一人暮らしの住民のための部屋を改造した、奇妙な店。

 ドアは元々の設計で個人認証しないと開かないが、常に機能がオフにされている。

 中に入ると、コーヒーの匂い。

 他の部屋がどうかは知らないけど、明らかに改造された室内には、カウンターが設置され、テーブルは一つだけ。自然と、僕と潮ナギはカウンターに並んで座った。

 カウンターの向こうにいる男性は何も言わずに、仕事を始めた。

 この店にはメニューがない。出すのはコーヒーだけ。豆やら何やらも選べない。アイスコーヒーすらない。

 ただ店長である目の前の男性が、その日に出したいものを用意して、客はただそれを飲む、という店なのだ。

 音楽も流れていないので、静かだ。しゃべるのも憚られるような静けさがある。

 潮ナギも何も言わないで、店主の様子を見ている。

 すぐにコーヒーカップが目の前にやってくる。真っ黒い液体。砂糖とミルクを少し入れる。噂でしか聞いたことがないけど、あまり砂糖とミルクを入れすぎると、店主に出入り禁止を言い渡されるらしい。それくらいのこだわりの店なのだ。

 二人で黙ってコーヒーをすすっていると、どこかで何か、音がした。店主が敏感に反応し、そちらを見る。外のようだ。音には僕も、潮ナギも気づいていた。

 何か重いものがぶつかり合うような音。僕には馴染み深い音だ。

 あれは、人が倒れる音だ。

 誰かがピースメーカーの限界を試したのかな、程度の認識だったが、続いて誰かの悲鳴が聞こえ、さすがにそんな呑気にしてもいられない。

 僕は鞄を置いて「ここにいて」と潮ナギに囁いて、そっとドアを開けて外に出た。

 通路で、老人が中年男性に馬乗りになられている。悲鳴を上げているのは老人だ。顔面が血で染まっている。

 中年男性は拳を振り上げ、叩きつけるように振り下ろした。老人の悲鳴。

 ピースメーカーは何をしている。

 老人が大きな悲鳴を上げた時、間合いを詰めて、次の一撃のための拳を僕は掴んでいた。

 男がこちらを見る。構っている暇はない。

 訓練でさんざん繰り返した動作で、男の腕をねじり上げ、引きずり倒す。

 床に顔面を押し付け、固定。

 老人が這うように逃げていく。

 僕に組み伏せられた男が暴れたかと思うと、それは抵抗ではなく、やっと起動したピースメーカーの裁きによるものだった。

 泡を吹き、男が意識を失う。

 脱力した体を解放し、しかし僕は、疑問しか頭になかった。

 ピースメーカーは何をしていたんだ?

 誰かが通報したんだろう、衛生局の職員と、警官がやってきた。イレギュラーではない、普通の警官だ。僕に事情を聞きたいという。

 結局、コーヒーはほとんど味わえなかったな。

 潮ナギに断って、僕は警官たちと一緒に、警察署へ向かった。



(続く)

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