第3話 イレギュラー

     ◆


 人工島にある警察署は一つだけで、本庁と呼ばれているけど、実際にはそんな立派なものじゃない。

 ただ、それは他の住民の視点での評価であって、僕は内部を知っているから、本当はすごいことを知ってはいる。

 何せ、外見はちょっと大きいくらいの二階建ての建物で、目立たないし、デザイン的にも平凡すぎる。

 でも実際には、この警察署は地下にこそその機能のほぼ全てがあって、地上はまるで影のようなものなのだ。

 学校が終わってから、僕は警察署へ行き、地下へ降りた。出入りを始めて二年になろうとしている僕にも、候補生という立場もあるせいで、全貌は見通せない。エレベータで地下三階へ。

 エレベータの扉が開くと、完全な人工物とでも呼ぶべき、無機的な通路が伸びている。更衣室で服を着替えて、更衣室にある別のドアから訓練場へ。

 ボクシングなどで使うリングの中で、スパーリングをしている男性がいる。頭をさげるけど、彼にはそんな余裕はない。

 僕は今時珍しい、畳敷きの一角でストレッチをして、スパーリング用の人型ロボットがやってくるのを待ち構えた。

 こちらがジャージなのにも関わらず、ロボットは柔道着を着ている。

 とりあえず、最近は柔道家プログラムを相手にやっているだけで、僕は別に柔道がやりたいわけじゃないのは、はっきりさせておこう。ちなみに今でも、警察官は剣道か柔道を修めるが、それは本土の警官だけで、人工島では不可能だ。

 何せ、試合の最中に、相手に対して攻撃的になった途端、ピースメーカーがその警官を殺してしまう。

 そこにイレギュラーの特殊性がある。

 ロボットが構えを取り、僕は構わず前進した。

 素早く掴みかかってくる腕をかわしながら、手首を掴み、相手の勢いも生かして引っ張る。足は相手の両足を一瞬で払った。

 ロボットだけど、実際の人間程度の重さしかないので、鮮やかに一回転して、ロボットは背中から倒れこんだ。

 距離を置いて、立ち上がるのを待った。そこはさすがにロボット、ダメージは軽微だった。人間だったら、意識を失うか、あるいは息ができずに動けないままだっただろう。

 本当は倒した後に寝技、締め技に行くこともできる。

 ロボットが二度目の突進、今度は重心が低い。トレーニングロボットは、常に動きにアレンジを加えてくる。だから柔道家プログラムなのに、ほとんどレスラープログラムのような動きも交えてくるってわけだ。

 腰に組みつかれる前に、横へ移動。しかしロボットの低空タックルの方が早い。

 片足を捕まえられて、引きずり倒される。

 結局、揉み合っているうちに、ロボットが勝利宣言をして、僕への拘束を解いた。

 ジャージを直して立ち上がり、コンテニューを宣言すると、ロボットが構えを取り直す。

 こんな具合で、僕はロボットとしばらく格闘訓練を続けた。これを週に三日か四日はやる。休みはなしだ。

 たぶん、どうしてピースメーカーをその身に持っている僕が、格闘技なんていう危険なことができるのか、不思議だと思う。

 ピースメーカーは他者への害意、攻撃性に強く反応する。

 相手を殴りつけただけで瀕死になるほどのダメージを、そのウイルスは宿主に与えるはずなのに、僕はロボットを殴ることも蹴ることもできる。破壊することもできるかもしれない。

 そこに僕のイレギュラーとしての素質がある、というわけなのだ。

 人工島の治安を守る必要は、基本的には存在しない。犯罪者は自らの犯罪によって、自動的に罰せられる。

 しかし時折、それをすり抜けるものがいる。

 そんなウイルスの手が及ばない犯罪者に対処する必要が生じた時、ピースメーカーに飼い慣らされた警官は、役に立たない。

 拳銃を撃つこと、警棒で殴りつけること、何もできない。

 それをやった途端、死んでしまう。

 そこで必要とされたのが、ピースメーカーの支配下にありながら、暴力を振るうことが可能な、特殊な資質の持ち主だ。

 そしてそんな素質の持ち主に、ピースメーカーともう一つ、別のウイルスを植え付けられた警官が、「イレギュラー」と呼ばれる、犯罪者を攻撃できる警官、になれる。

 そのピースメーカーとは違うもう一つのウイルスは、「ピースキーパー」。

 ピースメーカーを抑制し、守護者たらしめる、魔法の仕組み。

 僕はまだイレギュラー候補生で、素質は認められても、ピースキーパーは接種していない。だから今も、ロボットと組手をしただけで、全身のそこここが痛む。純粋な疲労ではなく、僕の中のピースメーカーが僕を罰しているのだ。

「よくあんなにできるもんだな」

 訓練室の隅にあるウォーターサーバーに向かうと、さっきロボット相手にキックボクシングをやっていた男性が話しかけてきた。僕と同じイレギュラー候補生だ。

「体が痛まないのか?」

「痛いですよ」さすがに僕は笑っていた。「ヘトヘトです」

 わからない奴だなぁ、と言いながら、彼がこちらに水の入った紙コップを手渡してくれる。キンキンに冷えていて、これを飲むと生き返った心地がする。

 それから二人でしばらく格闘技について話した。

「あまりやり過ぎて死ぬなよ」

 そんなことを言って、彼は去って行った。

 僕はもう一度、ロボット相手に訓練をするつもりだった。身を守るため、そしてこの島を守るための訓練をしなくちゃいけない。

 この島では、自衛できる人間は、ほとんどいないのだ。



(続く)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る