第19話

――サクラ都アオバ区東新井――

ツバキ市とサクラ都の境に位置するここは閑静な住宅地が多く、地価もサクラ都の中では低く、都心で働いている多くの人達が住んでいる。ヴィステはそんな住宅街に住む1人の女性を午前10時過ぎに訪ねた。今日は祝日なので彼女が務めている会社は休みらしい。そんな彼女から話を聞くべく、ヴィステは家の前の塀の呼び鈴を押した。石材の表札には松本と刻まれている。

“ピンポ~ン・・・”

『はい、どちら様ですか?』

「あの~、私、昨日お電話した、サクラ都で探偵をしております、山田という者なんですけど、ナオさんはご在宅ですか?」

『あ~、彼女はちょっと、近くのスーパーに買い物に行ってるんですけど。』

「あ~、そうですか。ちょっと、このまま家の前で待たせてもらっても良いですか?」

『えぇ、それは構いませんけど。家に上がらなくて大丈夫ですか?』

「はい、このままで大丈夫です。少しお話を聞きたいだけですから。」

『分かりました。』

スピーカーから聞こえてきたのは、どこか落ち着いた雰囲気がある女性の声だった。恐らく、ナオの夫の母親だろう。そして、優しいけど冷たい横風が吹く中、ヴィステが家の前で待っていたところ、ナオらしき女性が自転車に乗って帰ってきた。ベージュのコートを着て首にマフラーを巻いており、自転車の前籠にはバッグと買い物袋が乗っている。

「彼女か・・・?」

フィオナから聞いた話ほどふくよかな体形ではない。寒い季節もあって厚着だが、顔もそうだが、全体的に少しぽっちゃりしているくらいだ。ヴィステがじっと見ている中、女性は家の前に辿り着いて自転車から降りた。すかさず歩み寄るヴィステ。

「あの~、すいません。」

「はい?」

「私、探偵をやっている、山田と申しますけども、失礼ですが、ナオさんですか?」

「はい、そうですけど。」

ヴィステはお決まりのパターンで名刺を女性に手渡した。女性の名前はナオ・M(三上)・田所。以前、フィオナが住む部屋の隣の部屋に住んでいた女性で、ダイマからの情報によれば、現在はここでご主人と彼の両親と共に暮らしているそうだ。袋の中には野菜や肉といったものの他に、6個入りの350ml缶ビールパックが2つほど入っている。

「買い物帰りに、どうもすいません。」

「いえ、構わないですよ。それより、私に何か?」

ヴィステは3年前に起きた殺人事件について、ナオに当時の事を訪ねた。当時を思い出すように小さく何度か頷くナオ。その様子から、まだ覚えていそうだ。ちなみに、この国では、結婚をしてもファーストネームは変わらず、海外からの移住者や代々古くから継承されてきた名前など、一部の例外を除いて、基本的に、両親の間に生まれてきた子供にそれぞれのファーストネームが与えられる制度(どちらかがミドルネームになる)になっている。

「よく思い出して欲しいんですけど、以前、あのマンションの近くとかで、この人物を見かけませんでしたか?」

そう言うと、ヴィステはとある人物の上半身の写真をナオに提示した。この写真はヴィステが念写能力によって自身の体の細胞を使って創り出したもので、彼女の記憶を正確に且つ鮮明に写している。すると、ナオの表情が変わった、のだが、少し困惑している。

「これって、―――さんですか?」

「どこかおかしいですか?」

「いえ、随分と痩せたかな、って・・・」

「痩せた?」

「はい。3年くらい前は、もっとぽっちゃりしてましたよ?ダイエットでもしたのかな?私も最近ちょっと頑張ってるんですけど。」

「なるほど・・・、それで、この方をあのマンション付近で見かけませんでしたか?」

「はい、たまに見かけましたよ。何か、気になったから話かけたんですけど、友達の家が近くにあるとか、そんなこと言ってましたね。」

やはり見かけていたのか。フィオナから聞いた話から、もしかしたら、この女性はその人物を見かけた事があるのでは、と推測してみたが、本当にその通りだったようだ。ようやく解決の糸口が見つかったような気がする。

「その時って、茶色いコートを着てませんでしたか?」

「う~ん、私が見かけたのは、確か、4月、5月くらいだったから、半袖だったかな・・・」

ナオが言うには、その人物は引っ越す半年くらい前からマンションの近くの通りで何回か見かけていたようだが、残念ながらコート姿は見た事がないらしい。

「マスクとかサングラスは?」

「いやぁ・・・、あ、してた時もあったかな?最初に見かけた時はしてなかったと思うけど。」

「その事を警察には?」

「いえ、別に。コートを着た人物がどうとかって事しか聴かれませんでしたし。それに、たまに行ってたお店の人で、悪そうな人とは思えなかったし・・・」

ナオは当時を思い出しながら首を傾げている。ただ、今考えてみれば、あのマンションを離れた場所から見ていたような感じもあった。

「けど、もしそうだとして、どうしてなのかな・・・?店長だったお母さんが亡くなって、大変だったって話は聞いてましたけど・・・」

「そうか。そこに心の隙が生まれたのか・・・」

「はい?」

「いえ。とにかく、ありがとうございました。」

動機は何となく分かった。ヴィステはナオに礼を述べると、車に乗り込んで直ぐにベロニカ署に連絡を入れようとした、が、その前にショルダーホンにどこからか連絡が入った。そして、受話器を取ると、それは意外な人物だった。

『もしもし?ワルオだけど。ちょっと、相談があってさ・・・』

「相談?何かあったのか?」

『あぁ、いや、その時に話すよ。』

「分かった。それじゃ、これからお前の店に行くから。」

『いや、俺があんたの事務所に行くよ。これから行っても大丈夫か?』

「大丈夫だけど、そうだな・・・、午後1時過ぎくらいに来られるか?」

『あぁ、分かった。あ、そこって、駐車場とかってあんの?』

「地下駐車場があるから大丈夫。一応、2台分借りているから、こっちに着いたら案内する。」

ヴィステはワルオと事務所で会う約束を交わし、とりあえず事務所に戻っていった。


 時刻は12時を過ぎ、事務所の椅子に座って考え事をするヴィステ。ワルオから聞いた、昨日起きた事件、とやらも気になるが、何より、ワルオにも確認しておきたい事があったので丁度良いタイミングだ。警察にはその後に連絡を入れた方が良さそうだ。

「あとは、第1の使徒だ。」

そう言うと、ヴィステは脳に記録させたジョージの高校の卒業アルバムの写真を再び閲覧し始めた。ジョージのクラスの集合写真だけじゃなく、他のクラスも慎重に見ていく。ターゲットは背の低いローザリカ系だが、眼鏡を掛けていない可能性もある。すると、何人かそれっぽい女子生徒を確認した。カラー写真の時代で本当に良かった。

「名前は・・・」

写真の下に書かれた1人1人の名前を確認していく。すると、1人だけ気になる女子生徒が浮上してきた。その事実に少し困惑するヴィステ。これは偶然なのだろうか。たまたま名前が同じなだけなのだろうか。

「もしかして・・・」

ヴィステはその人物が中学校の卒業アルバムにも載っているのか確認した。すると、やはりいた。クラスこそ違えども、確かにジョージと同じ学校に通っていたようだ。しかも、更に驚くべきは、ジョージの大学の頃の写真にも何枚か写り込んでいる。ただ、どれもジョージと隣り合わせで写っているのではなく、こっそりと写り込んでいる感じだ。

「いや、まさかな・・・」

ヴィステは急いでジュディに確認をしようと法律事務所に電話をしたが、祝日なので休みで、彼女の自宅にも電話をしたのだが留守番電話サービスに繋げられてしまった。家族でどこかに買い物にでも行っているのかもしれないし、どこかに遊びに行っているのかもしれない。そもそも、仮にそれを確認したところで、この事件に関しては、第1の使徒は直接的な干渉をしていないので決定的な証拠が無い。

「どうやって崩すか・・・」

ヴィステが腕を組んで眉をひそめながら考え事をしていると、部屋の裏手のキッチンルームから“ガチャ、バタン!”という音が聞こえてきた。そして、ヴィステがそちらを見ていると、男がスタスタと出てきた。虎之介だ。瓶ビールをラッパ飲みしている。思わず“何勝手に飲んでんだよ!”とツッコミを入れてしまうヴィステ。そんな彼女を小馬鹿にするかのように“ふい~”と大きく息を吐く虎之介。

「やはり、冷えた生ビールは最高だな。」

「そうだな、って、やかましい!この仕事が終わったら飲もうと思って取っておいた貴重な1本を。」

「まぁ、そうケチケチするな。」

「お前、ビールなんて、そこらの酒蔵にでも忍び込んでいくらでも飲めるじゃねぇかよ。」

「愚か者め。人間が一生懸命に作った酒を勝手に飲むわけにはいかんだろ。それは神のすべきことではない。」

虎之介の言葉に口元をヒクヒクとさせるヴィステ。この冥王は、見た目の割に、馬鹿みたいに真面目だから困る。間違っても、人の物を勝手に消費したりしないのだ。

「それで?私に何か用か?今、忙しいんだよ。」

「なんだその言い方は。せっかく例の事件の実行犯の名前を教えてやろうと思ったのに。」

「実行犯は―――だろ?」

「なんだ、知っておったのか。つまらんな。」

「あぁ、お前の今のリアクションで確信したよ。ごくろうさん。そのビールでチャラな。」

「な!?」

うっかりとは言え、やっちまった感が否めない禿げオジサン。悔しさを露わにする。そんな虎之介だが、逆にヴィステは、なぜ彼がその犯人を知るに至ったのかが気になった。協力をしないと言いつつ、なんやかんや調べてくれたのだろうか。

「実はな、先日、偶然にも殺人事件の現場に居合わせてな・・・」

虎之介が言うには、一昨日の午前2時過ぎにツバキ市の公園でサヤカという名前の若い娘が背後から鉄パイプで殴られて昏倒した上に、首を絞められて殺された、のだが、その時に、虎之介はブランコに座って夜空を眺めながらとっくりに入った神酒を飲んでいたらしい。

「いや、そこは普通に止めろよ。」

「迷ったんだが、放っておいた。」

虎之介は冥王という立場なので、全ての命に平等でなくてはならない。毎日、命が別の命によって奪われる。それは人間社会だけじゃなく、自然界とて同じこと。人間が目の前で殺されようが、虎之介にとっては日常的なものでしかない。

「ただ、まぁ、これも何かの縁かと思って、その娘を特別に生き返らせてやったのだよ。顔とか、見た目の雰囲気がフィオナに似ておったしな。」

この世界の人間を含めた大半の生物は、死ぬと魂がその体から離れて衛星へと勢いよく飛んでいくのだが、魂を統べる能力を持っている虎之介はサヤカから飛び去ろうとした彼女の魂をキャッチして、彼女の体の中に戻してしまったのだ。

「加害者の男が泣きながら首を絞めておったから、まぁ、その娘も何かやらかしたんだろ。だがら、少し罰を兼ねて、体の修復を頭蓋骨のヒビ程度に抑えておいた。」

「なんだよそれ。完全に治してやりゃいいじゃねぇか。」

「そういうわけにはいかん。本来は、こういう事は公平の観点からしてすべきではないからな。んで、その娘を襲ったのが、例の事件の実行犯だったのだよ。」

虎之介は実行犯にも罰を与えようとして、公園から逃げていった彼の記憶を読んだのだが、その際に、ヴィステが調査していた事件が出てきたのだ。それで、ヴィステに貸しを作ろうとやってきたようだ。

「あのな。それなら、その日の内に教えにこいよ。無駄に歩き回るハメになったじゃねぇか。」

「そんなもん知るか。こっちは貴様ほど暇ではないのだ。最近は何かと各衛星で転生システムの突発的なエラーが多いし、そっちの対応で2日近く費やしてしまった。」

「エラーか。そっちの方も色々とやばい事になってきたな・・・」

「今はまだ補修で正常を維持しているが、その内、今の私では手に負えなくなるくらい一気に来るぞ。」

転生システムに異常が起きて何が問題かと言うと、魂が正常に地上の人間を含む新しく生まれた生物達へ送られなくなることだ。魂が生物の体に入り込むタイミングは出生とほぼ同時なのだが、この世界の大半の生物は魂ありきで進化をしてきた影響で、生命活動をする上で魂は必要不可欠となっており、これが正常に送られないと、生まれたばかりの命は2週間もせずに死んでしまうのだ。

「欠損している魂はどうなんだ?この前、エスカが最近やたらと多いって言ってたけど。」

「結構な数がそのまま修復もされずに出てしまっているな。応急処置を施したから、今は大丈夫だと思うが。」

転生システムは各衛星内にある超巨大な霊素で出来た機械装置によって成り立っており、その装置には魂を各地に送る機能だけじゃなく、経年劣化等によって欠損してしまった魂を修復する機能もある。しかし、その前提として備わっている検査機能の低下によって、本来は欠損を感知すべき時にスルーさせてしまい、そのまま良品として送ってしまう事があるのだ。

「けど、どうせエラーは人間に送られるレーンだけなんだろ?」

「その通りだ。恐らく、奴が意図的に異常を引き起こしているんだろう。それに、物理法則も少しずつ変化している。特に、生体細胞に関するものがな。」

「生体細胞・・・、ミトコンドリア絡みか?」

「ミトコンドリア?」

「あぁ、そうか。違う、・・・スレイネルだ。」

「そのミトコンドリアというのは、貴様の世界の細胞小器官の名前なのか?」

「いや、その名前をつけてる世界が多くて、問題を起こしている率が最も高いんだよ。第2世代にも多くあるから、多分、第1世代で、この名前をつけてる星があったんだと思う。」

「なるほどな。」

「んで?スレイネルの変異可能領域とエネルギー生成可能領域を広げてるのか?」

「そうだ。このまま変化し続ければ、いずれ神星水を使った薬で、人間を化物にする事も可能になるだろう。」

――神星水――

生物が存在する全ての惑星の地下等に湧く霊素を宿す水。これは星を駆け巡る星竜達が交わる場所に湧き水があると、そこに星竜達のエネルギーが宿って出来るもので、これを利用すれば、認知症や癌の治療に使える秘薬の生成が可能となる。ただ、使い方を誤ると、魂が暴走する可能性もあって、天使達は古代人には伝えていたが、現代人にはその存在を伝えていない。

「古代では、霊気が暴走して人体を化物の形をした分厚い霊皮で覆ってしまうという事件が多発していたみたいだが、奴は、人体そのものを化物に変えるつもりだ。」

「12年前にテイシャンで行われてたっていう人体実験は、その最初の確認か。」

「だろうな。ダイマが妨害しているから、どこまで変化が反映されているか確認したかったのだろう。動物実験も行ってたようだしな。」

「困ったもんだ・・・」

ヴィステが思うに、ここ近年の泥人間達による謎の新薬開発と、魂の欠損による将来の人間大量死は関連性があるはず。物理法則が変われば、今まで有り得なかった、例えば、薬か何かで死んだ赤子、殺戮本能しか持たない化物に変える、という事も起き得るようになってしまう。

「ダイマのアホたれが、とっとと閻冥界の封印を解けば、朕が全てを制圧してやるというのに。まったく、何を考えているのやら・・・」

「・・・・・・」

虎之介の言葉に何も言えないヴィステ。閻冥界の封印が解ければ禿げオジサンはフサフサジェントルマンと化し、その力は今と比べ物にならないくらい強大なものとなる。そうすれば、少なくとも、この世界の変異をこれ以上起こさないようにする事も可能になるだろう。しかし、ダイマにとってそれはあまりにもリスクが高過ぎるのだ。

“禿げ親父の気が変わった時点で、救世主達は詰むしな・・・”

ダイマはこの世界を正常なものにする為に、多少の犠牲を出しても構わないと思っている。それは、救世主達の力で世界システムを起動させることで、一度だけ、ある程度まで遡ってその事象を修正する事が出来るからだ。つまり、例えそれまでに多くの犠牲者が出ていようとも、その範囲内でなら全てを無かったことにする事が出来るのだ。もっとも、この世界においてそれを成すには、システムの改良が必要になり、ダイマはそれを虎之介に気付かれたくないのである。

「ヴィステ。例の救世主達は、本当にアレに勝てるだけの力があるんだろうな?思っていたよりも潜在力が低いんだが・・・」

「それは問題ない。そもそも、お前とユリコが抜けた時点で、アレは大した力を持ってはいない。戦って負ける事はまずない。ダイマ達も相応に対策を練っていくだろうし。」

「そうか。ならいい。それでは、朕はこれで失礼する。」

そう言うと、虎之介はフッとその場から消えてしまった。床には空の瓶だけが残された。ため息をつくヴィステだが、もう一つ肝心な事を聞き忘れた事に気付いた。それは、第1の使徒に関することだ。

「まったく、何やってんだか。聞いとけっつ~の・・・」

色々な事を考え過ぎて効率が悪くなっている自分にげんなりするヴィステ。とりあえずワルオが来るまで事務所で待ち続けた。






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