第15話
リーブス夫妻がメアリー本人から聞いた話によると、連れ去れる前は、彼女はジェミカ州にある小さな雑貨屋を営む両親の下、弟と一緒に暮らしていたらしいのだが、地元では有名な反社会的勢力“ドゥーマン”の末端構成員らによって店が襲撃され、両親と弟が殺され、メアリーだけは商品価値があるとして殺されずに拉致されたようだ。
「そんで、その店に売り飛ばされたんだけど、店のオーナーがまた中途半端に人が良かったみたいでさ。メアリーさんを他所に売り飛ばさないで、自分とこで働かせたんだ。」
「それで店に来たマルクスが惚れたかなんかしたわけか。」
「そういうこった。オーナーを脅してメアリーさんを自由にしたらしい。」
「脅す?何か弱みでも握ってたのか?」
「あれだよ。当時の市長って、親父の親父、つまり死んだ爺さんだったから。店潰されたくなかったら、とか、そんなとこだろ。」
「なるほどな。」
マルクスのおかげで自由を得たメアリーだったが、祖国へ帰ろうとしなかった。それは、両親と弟の事を思い出すのが辛過ぎた事と、戻っても、また狙われるんじゃないかという恐怖心もあったからだ。
「なんか、店の名前はメアリーさんの故郷に伝わる古い言葉で“思いが繋がる場所”っていう意味なんだとさ。」
「そうだったのか・・・」
もしかしたら、メアリーはマルクスと思いで繋がっていたかったのかもしれない。結ばれる事はなかったが、せめて心だけは繋がっていたかった。そんな思いで店の名前を付けたのかもしれない。
「その、ドゥーマンとかいう組織って、まだあるのか?」
「あるんじゃね?ヘブンズドアの下部組織らしいし。」
――ヘブンズドア――
ウォードに本拠地を置くミミ教会の組織の1つ。元々は信徒だった領主が、恵まれない人々に食料などを無償で配布していたのが始まりで、その名前は、その恩恵を受けた人々がそう呼ぶようになったことに由来する。しかし、時代と共に無法者達が組織に加入して拳銃や覚醒剤の密売、人さらいを行うようになり、やがて下部組織として半独立状態となった。
「表向きはミミ教会の関係組織だから、政府も下手に手を出せないんだとさ。」
「巨大組織が生む弊害か。」
ミミ教会が裏で世界を支えている組織だけに、その力は絶大で、特にミミ教徒が多いウォードでは大統領と言えど、何かしていても見て見ぬふりをするしかない状態にある。官僚の天下り先でもあるので余計だ。ダイマも各国のやり方に関しては、あんまり干渉していない。
「その組織は、まぁ、いいとして、どうしてマルクスは彼女と結婚しなかったんだ?」
「俺の母方の爺さんが当時のツバキ市商工会の会長だったみたいで、親父が市議会議員に初当選した時に後援会の会長もやってたらしいんだよ。」
マルクスのヨーン家と商工会会長だったバロック・ド・ロフォールの家は互いに大地主として昔からの付き合いがあり、そんなバロックにはアガーテという一人娘がいたのだが、子供の頃から心臓が悪くて満足に学校に通えず、薄幸な美少女だったが恋人を作ることも出来なかった。
「そんで、バロック爺さんが癌になっちまって・・・」
「お前の親父さんに娘を頼んだわけか?」
「それもあるけど、メアリーさんに別れてくれって直接言ったみたいなんだよ。手切れ金を用意してな。」
メアリーは土下座して必死に頼み込むバロックと、マルクスの事を慕っていた病弱なアガーテを思い、自らマルクスに別れ話を切り出したようだ。ただ、マルクスがバロックからの頼みに悩んでいたのを知っていたからでもあった。昔からの家族ぐるみの付き合いでアガーテの事はよく知っていて、何よりも市議会議員選で大きな後ろ盾になってくれたバロックの期待を裏切りたくもない。そんなマルクスの心情を察して身を引いたのだ。
「けど、別れた時には既に妊娠してたらしい。」
「マルクスはその事を?」
「いや、知らなかったみたいだ。メアリーさんが黙ってたらしくて。」
メアリーは堕ろそうとも考えたが、マルクスとの子供を殺したくなくて、彼に黙って1人の男の子を産んだ。それがマイクだ。当時は役所の手続きがずさんで、そのせいで認知されずに戸籍を持たない子供が多かった。アルメリア地区はそういった子供達が集まっていた場所でもあった。
“マルクスにも、色々と思うところがあったのかもしれんな・・・”
その気になればアルメリア地区を強制的に解体することも可能だったはず。にもかかわらずそうしなかったという事は、財政的な問題だけじゃなかく、社会福祉といった国の強力なバックアップが必要だったのかもしれない。結果的に国が何とかして今に至っているのだから。
「彼は、マイクは父親がマルクスだって事を?」
「あぁ、知ってる。けど、母親と自分を捨てたと思って、今でも親父の事を恨んでいるよ。メアリーさんが死んだのも親父のせいだって・・・」
「そうか・・・」
店の切り盛りをしながら女手一つで子供を育てるのは非常に大変なことだ。その無理がたたって体が悪くなったと思っても仕方ないだろう。自分の母親を捨てた父親を恨むのも無理はない。
「ちなみに、こんなこと聞くのも何なんだけど、お前の名前って、マルクスが?それとも母親?」
「親父だよ。お袋は俺を産んですぐに亡くなったらしい。」
ワルオの言葉にハッとするヴィステ。病弱な体で子供を産めば、それだけ大きなリスクを背負う事になったはず。それでもマルクスとの子供を残したかったのだろう。母の我が子への愛の深さと偉大さよ。
「なんか、ホントはヨシュア?ヨシオだったかな?そんな名前に決めようと思ってたらしいんだけど、何か知らんが、今の名前に変えたんだってさ。」
真逆な名前なだけに思わず肩をプルプルと震わせてしまうヴィステ。そんな彼女だが、せっかくのダンスイベントにも関わらずワルオを拘束しては流石に悪いと思い、そろそろ引き上げる事にした。そして、去り際にワルオから名刺をもらい、礼を述べて店を後にした。
「お!降りそうで降らなかったな。」
店の前で夜空を見上げるヴィステ。今日は夜から雨の予報だったが、空から雲がほとんど無くなっている。明るい夜の街を歩く者達は見上げないだろうけど、静かな住宅街を歩く者の中には、頭上に輝く星々の優しい光を見上げている者もいることだろう。ヴィステは再び車に乗り込んで、都内の事務所に帰っていった。
――桜坂探偵事務所――
ワルオから情報を得た次の日。ヴィステはさっそく午前10時前にダイマに連絡をしつつ、彼に話を通してもらってからテイシャン領事館に電話をして、かつてフィオナの補助を担当していた職員の所在を聞き出してみた。しかし、意外、というよりも、予想通りの答えが返ってきた。
「行方不明?」
『はい。3年ほど前に急に辞めてしまって、それ以来、行方が分からなくなっているんです。』
領事館の職員、つまり、外務省の職員を辞めた、ということは就労ビザの関係で帰国しなければならないはず。就労している間にこの国の永住権を取得していたのだろうか。しかし、職員の話では、その女性はこの国に派遣されて1年もしないで辞めたので、それはあり得ない、とのこと。そして、渡航記録から、その女性は未だに帰国しておらず、今現在もどこにいるのか分かっていないらしい。
『フィオナ様に不快な思いをさせるわけにはいきませんので、ただ担当が変わった、としかお伝えしていません。』
「そうですか・・・。分かりました。お忙しい中、わざわざありがとうございました。」
『いえ。それでは失礼いたします。』
受話器を置いたヴィステは、座椅子の背もたれに寄りかかりながら思考を巡らせた。3年前に職員を辞めて行方不明という事は、既にその女性は泥人間に殺害されている可能性がある。それは、同時に、ジョージの前に姿を見せたのは、彼女の偽物だという可能性でもある。ただ、随分と、言い方は悪いが、雑だ。公務員なんて直ぐにバレそうな人間を選んだあたり、端から使い捨てとしか考えていなかったのかもしれない。
「もしそうなら、惨い事をする。まだまだこれからの人生だったろうに・・・」
外務省の職員、しかも、ラグウェル家の事務を担当するとなれば相当なエリートだったはずだ。当然、それまでに相当の努力と苦労を重ねてきたのだろう。その成果を、一方的に、理不尽に無にする。世界システムに巣食う邪悪な思念にとっては、人間など、ただの家畜か、ゲームの駒でしかないのだろう。どうやって処分するか、どうやって人生を終わらせてやるか、それらの決定権は全て自分にあるのだと。
“ジョージを殺害する前に、ダイマから何の話を聞かされたのかを知りたかったのかもしれんな。”
向こうも救世主に関しては神経を尖らせていたはず。ただ、フィオナのあの様子からして、ジョージももしかしたら、ダイマから聞かされた話を忘れてしまっていた可能性は高い。露骨に救世主という言葉を出せば警戒されるだろうし、さりげなく聞き出そうとしたが、ジョージがあまり思い出せず、話を切り上げて開放したのかもしれない。
“真実はどうあれ、この世界で今までやらかしてきた事を考えれば、もはや、あの子の思念などとは思わん。いつか、必ず報いを受けてもらう。”
悪質ないたずらをする子供にはキツイお仕置きが必要だ。否、お仕置きなど生ぬるい。粛清あるのみだ。それをするのが大人の努めというもの。すると、ヴィステは席を立ち、キッチンルームの冷蔵庫からメロンソーダの瓶を取り出して、いつもの様に蓋を指でポンっと弾いた。カラランっというバケツの音が響く。そして、メロンソーダをグイっと飲んで邪悪な思念に対する怒りを抑えつけた。
「ふぅ・・・、客観的に事件の真相を追っていこう。」
そう言うと、ヴィステは事務所の奥にある休憩室に向かい、そこにあるホワイトボードを使って事件の整理をしつつ、思考を巡らせて事件の真相を推理し始めた。
「ジョージを1人にさせ、店への近道だった暗がりの路地に向かわせ、そして、予め用意しておいた実行犯に撃たせた、か・・・」
だが、その人物が分からない。少なくとも、今まで会ってきた人物からも、怪しいと思っていた人物達からも泥の匂いはしなかった。心臓に邪泥を付着されているならば、僅かではあるものの、特徴的なヘドロのような匂いがしてくるはず。やはり邪泥を浄化させたか、或いは、ノーマークの人物が犯人という事か。
「ジョージは犯人を知っていたのか?それとも、何か特徴を言いかけただけだったのか・・・」
ヴィーナ人の霊気には個々それぞれに微妙な違いがあり、それは霊気を抑えていても気配で分かったりする。もしも、それこそ昔から見知っている仲ならば、ジョージは犯人に気付いたはず。それにも関わらず、名前を言わなかったあたり、人物を知っているけど名前を思い出せなかった、或いは、全く知らなくて、特徴だけを言ったのか。
「後者なら、泥人間が誰かを操り、そいつがまた、別の人間を実行犯として操った可能性もあるか・・・」
2重の操作。これも泥人間がよく使う手法だ。強い恨みや妬みを持つ人間に目をつけて邪泥を打ち込み、更に、その人物が声に魔力を込めて赤の他人を言葉巧みに誘う。そして、その人物が実行犯となり、通り魔の犯行に見せかけられる。
「ただ、それだとバレるリスクも高くなるか・・・」
言葉に魔力を込められるという事は、それだけ心臓に付着した邪泥の力が強い、ということだ。そうなると、周囲にいる者達が邪気に気付いてしまう可能性も高い。相手がマーサ人ならいざ知らず、ヴィーナ人相手では厳しいものがある。
「第2の使徒がいるのかもしれないな。けど、誰だ?ジョージに強い恨み・・・」
何か見落としているものはないか。思い込みをしてはいないか。そう思ったヴィステはホワイトボードに書いたものを一旦消して、ジョージとフィオナを中心とする人物相関図を書き始めた。そして、書き終わると、両腕を組んでそれをじっと眺め始める。
「交際が終わった後に起きなくなったジュディへの嫌がらせ・・・、もしも、その犯人が第1の使徒だとしたら?」
ジョージに惚れていた人物。それも、かなり前から。ジョージが殺されたのは、フィオナとの婚約が世に知れ渡った後だ。つまり、それを自分への裏切りと捉えた人物がいる。しかし、友人達の話の中ではそれらしい人物は出てこなかった。
「う~ん、分からん。ジョージに惚れていた、という事こそ思い込みなのか?」
首を傾げながらホワイトボードを見つめるヴィステ。この10万年近くもの間、ある意味で自分の欲望に素直で、尚且つ、強大な力を持つがゆえにそれを隠さない真っすぐな連中ばかりを相手にしてきたので、こういった普通の人間による殺人事件の調査は初めてなのだ。すると、不意に何かの気配が背後のソファに現れた。
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