第3話
――再び現在へ――
「ここまでにしておきます。これ以上は負担が大きいので・・・」
ヴィステがそう言うとフィオナの脳裏から映像は消えてしまった。部屋に充満していた不思議な力は消え、瞼をゆっくりと開けたフィオナだが、涙を流しながらどこか虚ろになって心ここにあらずといった様子だ。
“パチン!!”
ヴィステが指パッチンをすると、フィオナはハッとした表情となった。どうやら我に戻ったようで、慌てた素振りでバッグからハンカチを取り出して涙を拭った。亡くなった夫の姿を見たのだから無理もない。そんな彼女をヴィステはじっと思い深げに見つめる。
「今のが、私の魂の記憶?」
「そうです。ただ、少し心と肉体に負担が掛かるので、ここまでにしておきます。」
人間を含めたこの世界の生物の魂は、悪魔の邪気に何かしらの強い影響を受けると魂にその時の映像が情報として刻み込まれる。それを利用したのだが、ヴィステの説明に驚き戸惑うフィオナ。そんな霊的な技術は聞いた事がない。しかし、映しだされたのは、確かに自分が体験した出来事だった。こんな事があり得るのだろうか。そんなフィオナに対してヴィステは平静といった様子で再び面談を始めた。
「ご主人とは随分と不自然な出会いをしたようですが、まぁ、分かりました。あれ以外で、何か悪魔に絡まれた、といった事は?」
「3年前にも、さっきのと似たような悪魔に絡まれて・・・、けど、その時もたまたま近くにいたジョージが助けてくれたんです。」
明らかに不自然過ぎるが、ヴィステは“ふむふむ”と軽く頷いて話を続け、フィオナから、ジョージの両親が8年前に起きた大型旅客船の事故に巻き込まれて亡くなった、という情報を得た。その事故も悪魔が絡んでいたと噂されているもので、何やら、700年前に死んだとされている“教皇ユリコ”の亡霊が出現して悪魔達を葬ったらしい。
「教皇ユリコ・・・、なるほど。それじゃ、今度はあなた自身の事について尋ねてもよろしいですか?」
「はい、どうぞ。」
ヴィステはフィオナ自身について質問をし始めた。彼女に恨みを持つ人間の仕業も有り得るからだ。ただ、テイシャンの貴族という事で、当時はあまり深く追求をされなかったようだ。しかし、当のフィオナ自身も中学校時代にしょっちゅう陰口を叩かれていたのは覚えているが、夫を殺されるほど恨まれた覚えはない。
「他に誰か、思い当たる人間はいませんか?」
「いや~・・・、あ!そうだ!!」
フィオナは事件当日とその前から不審な人物をマンションから見かけていたのを思い出した。茶色のロングコートと帽子姿の人物だ。この話は事件当時に警察にも話をしている。最初はこの人物が犯人だと思っており、少なくとも何か知っているはずと考えていた。
「ロングコートの人物ですか・・・」
聞き込み調査を行っていた警察は、現場付近であるベロニカ駅で道行くサラリーマン達から話を伺っていた。ただ、これといった目撃証言は得られなかったらしい。そして、2人の住むマンション付近でも聞き込みを行ったが、それらしき人物の目撃証言くらいしかなく、身長も170cm前後で、黒いサングラスを掛けて大きめの白いマスクをしており、コートの襟を立てていたので、はっきりと男とは断定できなかった。それに、この事件はジョージに強い恨みを持つ者の犯行と睨んでいるが、通り魔の可能性も捨てきれない。事件の1ヶ月ほど前にも、現場の近くで少年ギャングチーム同士による発砲事件が発生していたからだ。
「その人物は、今でも?」
「いえ。あれ以来見かけてないです。」
事件以来、ぱたりと姿を見せなくなった。もしかしたら警察が聞き込みに来るのを見越して姿を見せてないだけなのかもしれない。それから、ヴィステはフィオナから出身地や通っていた学校や交友関係の話も尋ねた。
「それと、アルバイトとかはしていましたか?」
「あ、はい。大学1年の時に、ツバキ市にあるローゼンファーヌという喫茶店でアルバイトしていました。1年ほどで辞めちゃいましたけど。」
フィオナが働いていた店は、女性オーナーのメアリーが作るハンバーグが評判で、グルメ雑誌にも掲載されるほどの人気店だった。フィオナの父親のジュリアンは昔からの常連で、アルバイトの募集をするという店主の話を聞いてアルバイトをやりたがっていた娘を紹介し、フィオナは接客や皿洗いのアルバイトを週末だけ務めていた。
「その時は知らなかったんですけど、ジョージも仕事の帰りに何度か会社の人達と一緒に店に食べにいってたみたいです。」
「なるほど。んで、そこを1年ほどで辞めた、と。」
「はい。せっかくお父さんの紹介で働かせてもらってたんですけど・・・」
「辞めてしまったのは、何か理由があるんですか?」
「はい、実は・・・」
フィオナの両親はベロニカの繁華街のデパートで起きた爆破事件に巻き込まれて亡くなってしまった。そして、それがきっかけで精神的に参ってしまい、何もやる気が起きなくなって学校もしばらく休み、アルバイトも辞めてしまったのだ。そして、辞めてからは一度も店に訪れてはいない。
「そうですか、嫌な事を思い出せてしまいましたね。申し訳ありません。」
「いえ、息子もいますし。いつまでもくよくよしているわけにもいきませんから。」
笑顔を見せるフィオナだが、心の底から笑ってはいない。ただの強がりだ。両親が亡くなって、更に、夫まで亡くなって過去に囚われていないわけがないのだ。
「来年になったら、息子を連れてテイシャンに戻ろうかと思っているんです。」
「あぁ、そうか。本来は向こうで暮らしているはずなんですものね。」
「はい。けど、夫が他界しなかったら、多分ずっとこっちで暮らしていたと思います。」
「なるほど、分かりました。取りあえず、ジョージさんの交友関係を中心に聞き込み調査をしてみます。それで、ご主人のご実家って、今は?」
「今は、誰も住んでいません。たまに親戚の方が見に行ってくれているみたいです。」
フィオナの話によると、ジョージの叔父の妻のオリビアという女性が月に一度はジョージの実家の様子を確認しに訪れているようだ。フィオナがジョージの両親と祖父母の墓参りに行った時も対応してくれたらしい。
「その方のお電話番号とか分かりますか?」
「あ、ちょっと待ってください。」
そう言うと、フィオナはバッグの中から手帳を取り出して、親戚夫婦の自宅の電話番号と、ついでに住所をヴィステに教えた。それらの情報を自身の手帳に書き写すヴィステ。
「とりあえず、ご主人の実家に行って、彼の生い立ちや交友関係を調べます。」
「私も一緒に行きましょうか?」
「いえ、それには及びません。少し立ち寄る程度ですので。」
「分かりました。」
「あと、ですね・・・」
ヴィステは席を立って部屋の隅の棚まで向かい、そこから1冊のファイルを持って戻ってきた。そして、ファイルから1枚の紙を抜き取ってフィオナに提示してきた。どうやら料金表のようだ。
「聞き込み調査だと、2週間の基本料金が・・・」
ヴィステによる料金説明が始まった。2週間の調査費用として156ルカ(日本の相場でおよそ24万円)、報告書の事務経費として30ルカ、それ以外、例えば遠出する必要があったり、悪魔絡みによる特殊な調査となったりすれば別途請求となる。そして、本日の相談費用として4ルカ500セルも上乗せされる。分割での支払いも可能だ。
“けっこうするんだな・・・”
フィオナはじっと料金表を見つめている。心の中で、ぼったくりじゃねぇのか、と呟く。ただ、ここは都内にある事務所。毎月の事務所の賃料を考慮すると妥当と言えば妥当である。
「分かりました。とりあえず2週間でお願いします。支払いは後日に一括で。」
「ありがとうございま~す!!」
こうして、フィオナは夫の無念を晴らすべく、信用していいのか分からない謎の私立探偵に調査を依頼して事務所を後にした。支払いは報告書と引き換えだ。
「ようやく探偵っぽい仕事が来たな・・・」
浮気調査や悪魔祓いばかりしているヴィステにとっては初めてとなる殺人事件の調査依頼だ。漫画やTVドラマの探偵っぽい仕事なので妙にやる気が出てくる。そんなヴィステだったが、応接室を出て通路の壁の真ん中付近にある左の扉、つまり、事務所の入り口を入ってすぐ前にある扉の先にある事務室に戻って棚のファイルを整理していると、背後に不穏な気配を感じて視線をそちらへ向けた。
“ブブン・・・”
ヴィステの背後にいきなり奇妙な生物が姿を見せた。それは、胸の中心部分に“神”という文字が入った紫の全身タイツ(上がタンクトップ型のもの)を着た、黒い肌の人のような形をした何かで、白いもじゃもじゃの胸毛を生やし、太っちょな体形の背中には小さな蝙蝠の様な羽が生えており、尻からはクルリと一回転して伸びた先が矢印のような尻尾が生えている。また、白いビニール製の様なグラブと長靴を装着しているが、ごつい両腕やまん丸な体形に比べて両足がやたらと短く細い。そして、そのツルツルの頭には1本の銀色の角が生えていて、側頭部にだけパーマ状の白い髪の毛を生やし、角が尖ったような福耳に大きな輪っか状のイヤリングを付け、吊り上がった白く太い眉毛に、瞳は怪しく赤い光を放ち、鼻下には白いちょび髭を生やしている。そんな太ったおっさんのような顔をした何かがヴィステの背後に姿を見せた。
「何か用か?おじさん。」
「オジサンではない!虎之介だ!!」
「そりゃ、失礼、冥王・虎之介殿。」
――冥王・虎之介――
この世界に存在する輪廻転生システムを管理する大いなる力をもった霊的生命体で、閻冥界なる世界を統べる存在である。オジ・サン・デスという、死を司る黒い太陽を意味する名前も存在するのだが、この名前は世界システムに巣食う邪悪な思念によって与えられたものなので、本人はその名を忌み嫌っている。ヴィステはからかい半分でそう呼んでいるが。そんなオジサンの方を振り向くヴィステ。そのまま特に表情を変えることなく歩いて机の椅子に座る。
「んで?私に何か用か?髪の悩みなら、他を当たった方がいいぞ?」
「相変わらず口の悪い奴だ。お前に、少し聞きたい事があってな。」
「聞きたいこと?」
「うむ。惑星マーサの大和国は知っているだろう。そこに妙な力を持つ赤ん坊が2人生まれてきたんだが、何か知っているんじゃないか?」
――惑星マーサ――
4つある北の銀河の内の第2銀河にあるガイア系(太陽系)に所属する地球そっくりの青い海の惑星。ここに存在する国々の文明レベルは惑星ヴィーナのそれらよりも少し上にあり、天使カノンが管理している。
「さて、何のことかな?」
ヴィステの素っ気ない態度にオジサンがジロリと睨みつけてくるも、ヴィステは知らぬと言わんばかりにすっとぼけた表情を見せる。どうやらオジサンはアクマ商会の会長のダイマにも同じ事を尋ねたようだが、やはり同じようにすっとぼけられてしまったようだ。そんなオジサンを前に溜め息をつくヴィステ。
「まぁ、どうせ何となく察しがついてんだろうから話すが、その子達が例の“救世主”だ。」
「やはりそうなのか。あの男めぇ・・・!!」
「そう怒るな。ダイマもお前から聞いて知ったんだろうから。」
「そうなのか?事前に知らされるわけじゃないのか?」
「誰が選ばれるかは、出生してからじゃないと分からない。」
「なるほどな。あくまでも“中立”というわけか。」
「そうだ。けど、ダイマから既に聞いていると思うが、あの子達が1人でも死んだら、お前の神への道は閉ざされるからな。」
「ふん!分かっておる。」
オジサンは輪廻転生システムを司る者として、この世界に存在する5つの銀河を頻繁に行き来している。そして、神の座を狙っているのだが、世界システムに巣食う悪意が強力な結界を宇宙の中心にある神星マタタビに張ったせいで出禁状態になっており、神の座に就きたくても出来ない状態にあるのだ。
「あの赤子らから放出されているエネルギーを集めることくらいは問題ないんだろ?」
「うちらには基本的にお前達の行動についてどうこう言う権限はない。そこら辺はお前の自由だ。けど、そこまでしてトップの座に就きたいのか?」
「どういう意味だ?」
「今のポストで満足できんのか、と聞いているんだ。冥王なんて十分なポストに就いてるってのに。」
「ほっとけ!そういうポストに就いているからこそ、トップを目指すのではないか。」
オジサンの言葉に深いため息をつくヴィステ。オジサンが救世主達からエネルギーを奪おうとしているのは、神星マタタビを覆っている結界を自分の手で破壊したいからだ。どんな手段を使おうとも神の座に就きたいのである。
「あ、そうだ。せっかく来たんだから、教えて欲しい事があるんだけど。」
「教えて欲しいこと?」
「さっきの依頼人の旦那を殺した犯人を教えてくれ。」
「そんなもん知るわけないだろ。」
「知るわけないって、お前、昔、全知全能とかぶっこいてなかったか?」
「1000年以上も前の話だろ!そもそも、その全能性を否定したのは、どこのどいつだ!!」
声を荒げるオジサン。やれやれといった表情のヴィステ。どちらにせよ、オジサンは犯人を知らないし、知っていても教えるつもりなどないらしい。探偵ならば、自分で探せ、という事だ。ただ、オジサンはフィオナの事は知っていた。
「あの娘は、ユリアスの子孫だったか?あの娘の子供も、マーサの2人の子供と同じ力が宿り始めたようだが、あれも救世主と同じという事か?」
「ま、そういうこった。詳しくはダイマにでも聞いてくれ。ただ、あの子が死んでも同じだからな。」
「分かっておる。ある程度の力を身に付けるまでは、悪魔どもには一切触れさせはせぬ。」
「そうしてくれると、こっちとしても非常に助かるな。なんせ、依頼人のたった一人の家族なんでね。」
「まぁ、せいぜい大人しく探偵ごっこでもやっていろ。それと、事件の犯人が誰かは知らんが、そいつは“泥”の干渉を受けているかもしれんな。」
「泥?泥人間の事か?」
――泥人間――
人間以外の生物が生み出す恨み、妬みといった負の思念、邪念が泥に宿る事で生まれる半霊的生命体。本来は過度な開発行為をする人間達に対する警告として、強い感染力のあるウィルスを人口の多い街などにまき散らして疫病をもたらす存在なのだが、世界の法則を司るシステムに異常が生じている影響で、本来の役割とは違って人間達に直接的な害を与える存在になっている。
「泥人間の干渉を受けている、ってのはどういう意味だ?そいつの身近に泥人間がいるってのか?それとも、邪泥を撃ち込まれたってことか?」
「朕が貴様に教えてやることはそれだけだ。それじゃ~な。」
そう言うとオジサンはその場からフッと音も無く姿を消してしまった。残されたヴィステは一息つこうと事務室の裏にあるキッチンルームに向かい、そこにある冷蔵庫の中からメロンソーダの瓶を取り出し、親指を弾くようにして栓をポンっと飛ばした。冷蔵庫の脇にあるスチール製のバケツに入ってカラランッという音が狭い部屋に響く。そして、グビグビとラッパ飲みしながら再び事務室に戻って椅子に座ると、とりあえず依頼をこなすべく、協力者に電話をすることにした。
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