口実

俺が中学の時、兄貴が好んで聴いていたバンドがあった。

あまりにも儚げで繊細だけど、ボーカルの心の底から叫ぶような歌い方に俺は感化された。

当時の俺はそれなりにモテていたし、友達もいた。

告白はされても付き合おうとは思わなかったし、友達も俺といると女子が来るからってやつばっかり。

それはそれで楽しいけど、なんだか気持ち悪い毎日を送っていた。

どこが気持ち悪いのかというと、よく分からないし、分かろうとも思ってはいなかったけど。

いつの間にか兄貴のギターを勝手に弾くようになっていた。

ただ兄貴が持ち出しているとギターが弾けない。

高校に入学してバイトを初めて、自分でギターを買った。

本当はストラトキャスターを買うつもりだったんだ。

あのバンドのボーカルも使っていたやつ。

ショップに入店して、どうしても目に焼き付いて離れなかった。

それはストラトキャスターではなく、レスポールだった。

バイト代だけじゃ足りない、貯めていたお年玉貯金と親のお小遣い前借り制度を使い、ついに買ってしまった。

それからというものの、隙あらばギターばかり弾いていた。

新しいコードを覚えるのが嬉しい。弾ける曲が増えて嬉しい。

馬鹿みたいに練習して、あっという間に色々な曲をコピーできるようになっていた。

今思えば本当に馬鹿みたいだけど、変な自信があったんだ。

兄貴に土下座して、兄貴たちのバンドに出させてくれってお願いして、一回だけ出ていいことになった。

だけど、俺はなにも分かってなかった。

いざ、ライブに出たはいいものの木っ端微塵に潰された。

あんなに緊張するなんて思ってなかった。

ライトは熱い。汗で指先が滑る。

思っていたようにマイクに声が通らない。

そもそも自分の音が拾えない。

クソつまらねぇMC。

全然できねぇじゃねぇか。

あの自信はいつのまにか一ミリもなくなっていた。

兄貴たちのバンドメンバーになんとか救われたんだ。

場数を踏んだ先輩たちの優しいサポートのおかげでなんとか終わったものの、聞こえてくるのは罵声。

励ましてくれた先輩もいたけど、全然耳に入ってこなかった。

悔しさより、自分への失望だった。

俺の自信って、なんだったの?

それなりにモテていたし、友達もいて・・

俺ってなんなんだろう。



せっかく買ったレスポールも埃をかぶっている。

気が向かなくて、いつの間にかやらなくなっていた。

俺はなにをしたかったんだろう。

ライブのことは誰にも言ってなかったのが救いだ。

兄貴界隈の仲間くらいしか知らない。

何度か指先の皮が剥け、あっという間に柔らかくなった。

無我夢中で弾いていた頃が懐かしい。

切れた指先に食い込む弦の痛み。

新しく覚えたコードを繋げて、鼻歌まじりに自己満足で弾いていた。

痛みを忘れた頃には、完全に忘れられるだろうと思っていた。

時々、思い出しては、懐かしいなとさえ感じるようになった頃、お前に話しかけられたんだ。

「もうバンドやってないの?」

なにを言っているんだ。

肩につくくらいの少し明るい茶色の髪、狭い肩幅。

本を読んでいた視界からでも分かる華奢な容姿。

俺から出た言葉は「なんのこと?」って一言。

今思えばもう少しマシな返しはできなかったものか。

俺は目の前のお前の疑問にすら答えていないのに、どうして本の結末を言おうとするんだ。

俺はなにを聞いて欲しかったんだ。

「なんでバンドのこと知ってんの?」

そのあとお前が話した言葉は俺が一番聞きたくない言葉ばかりだった。

めちゃくちゃかっこ悪かったのは俺が一番分かってんだよ。

やっと記憶が薄れてきたのに、蒸し返された。

それ以上に恥ずかしい。

行き場がなくなって、机に突っ伏した。

分かってた。誰がみてもそうだってことくらい。

「高橋っていい声してるよ。」

顔を上げられなかった。今、いい声だって言ってた。

心の整理をつけ、顔を上げたときには、もうすでに高田は前に向き直してしまっていた。



高田とは不思議な距離感だった。

好きなバンドや、ライブの話をしたかと思うと、いつの間にか高田はイヤホンをつけ自分の世界に篭ってしまう。

話している時も、大袈裟に笑うでもなく、淡々と語っていた。

もっと聞きたいと思った。

高田のすきなことを、もっと知りたいと思った。

俺はまた、さらっとギターを弾き始めた。

聞いてほしくて、自分で曲を作って、兄貴にアコギを借りて録音したんだ。

その頃、高田はたしか三日くらい学校を休んでて、きたと思ったら全然こっちをみてくれない。

どうしても聴いて欲しかった俺は、無理やり高田の耳にイヤホンを近づけた。

悲しい曲って言われたんだ。

そんなつもりで作ったわけではなかったけど、高田には悲しい音楽に聞こえた。

なにかあったんだろう。

ありがとうじゃ、わかんねぇよ。

話す機会も作れず、俺は淡々と毎日を過ごした。

いつかまた聴いてもらおうと、あの曲をもっとマシにしようと、毎日ギターを弾いた。



話さなくなってから、あっという間に時間は流れて、明日から夏休みだ。

俺は焦った。

自分で自分に驚いた。

連絡先も知らない、学校で会えないとなると・・。

なんでもいいから口実を作ろうと、兄貴のライブに高田を誘った。

連絡先のメモを一緒に渡した。

俺、連絡先を自分から教えるの初めてなんだ。

想像以上に早く、さっそく連絡がきた。

高田が図書室に入ってくるまでの間、妙にそわそわして、落ち着かせようと教科書を開いた。

どうしよう、顔にやけてるかも。

高田は図書室に入ると、そろりそろりと近づいてきた。

俺が赤髪になったらとか訳のわからないことを言って、高田らしいなと思った。

あんなに笑ってる高田を見たのは初めてだった。

あのときのライブで自信を喪失してから、二年の間、なにも考えず、考えないように生きていた。

学校も友達も彼女も適当に作って、一人じゃない環境を無理矢理作ってた。

こんな俺とは逆で高田はいつも一人だった。

友達がいないわけではないみたいだけど、自分の世界を持っていて、流されなくて、他の奴らとは違うと思っていた。

まさか泣くとは思ってなかったけど。

なにかについて、深く考えることってあまりないと思う。

考えても仕方ないって、ほとんどの人間はそうやって有耶無耶にして生きている。

自分自身と真正面から向き合うって、疲れるし、辛いよな。

「また話せて嬉しいよ。」

心からそう思った。

高田が立ち向かっていたことは想像を遥かに超えるものだった。

俺になにか具体策があるわけではないけど、なんでもいいから話してほしいと思ったんだ。

自信も湧いてこない俺を、たった一言で前に向かせてくれたのは高田だ。

誰にも言われなかったことを言ってくれたんだ。

きっかけは、どこに転がってるかわからない。

「ちなみに明日なんだけどさ。兄貴のバンドの練習、観に行かない?」

俺の兄貴は大学生で、スクリーモ系のバンドを組んでいる。

普通、女子高生ってこういう激しくてうるさいバンドは聴かない。

でも高田は聴くんだよなぁ。

本当、変わったやつだよ。

「スタジオ?行きたい!スタジオって入ったことないんだよね!」

目をキラキラさせて高田は答えた。

心の中でガッツポーズをした。

「じゃ、明日の夕方6時に駅前の本屋で待ち合わせね。」

「うん!楽しみにしてるよ!」

つい目を逸らしてしまう。

俺、顔赤くなってないかな。



図書室を出て、その日は途中まで一緒に帰った。

夏の蒸し暑さも忘れてしまう。

空が暗くなり始めていた。

宵の明星なんて言葉を小学生ぶりに思い出した。

家に着いてから、俺はギターを手に取り、ポロポロと弾いた。

明日が楽しみだって久々に思った。

高田に出会ってから、こんなに変わってる。

小さな変化に気づくんだ。

忘れないように俺はギターを弾いた。

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