指先
@mon2
指先
彼を初めて見たときのことを話してもいいかな。
高校一年の秋頃。
私は二個上の兄の影響で音楽を聴くようになってから、地元のライブハウスによく一人で遊びに行っていた。
いつも気の向くままライブハウスに行くから、出ているバンドは把握していないんだけどね。
その日もなんとなく入って、人のいない場所を探し、壁に寄りかかりながらステージに目を向けると、彼はステージの真ん中にいた。
炎のような赤いレスポールを自信なさげに肩から下げていて、俯きがちな瞳に緊張がだだ漏れで、MCもボロボロだった。
本人に対してギターが輝きすぎていたし、本当にギターボーカルなのか怪しいくらい。
他のメンバーは年上なのか、とびきりの笑顔と余裕で周りに存在感があったから、余計にそう見えたのかもしれない。
だけど、チクチクと針で胸を刺さされているような、妙に耳に残る刺のある声だったことを今でもはっきり思い出せる。
あの後もライブハウスには行っていたけれど、彼をステージ上で見ることはなかった。
リスナー側も見渡してみたりしたけど、やっぱり見つけることはなかった。
いつの間にか高校3年になっていた。
私の学校は毎年クラス替えがある。
集団行動苦手、テレビもほぼ観ない、芸能人やアイドルの話題もよく分からない。
わざわざ話を合わせて仲良くなろうとも思わないけど、浮きたくないのは本音。
いじめられたりはないけど、とっつきにくいが第一印象の私だ。
また一から馴染まなければいけない。
「高田咲です。よろしくお願いします。」
自己紹介を終え、周りに聞こえないように溜め息をついた。
次の番になったとき、聞き覚えのある声が後ろの席から聞こえた。
「高橋一弥です。よろしく。」
前に聞いたときよりも声が少し低くなっているような気がする。
つい後ろを振り返ってしまった。
目にかかる長さの綺麗な黒髪、あのときのような俯きがちな瞳。
あれ、もしかして、、。
ホームルームが終わって、帰宅してからもモヤモヤは消えなかった。
翌日の昼休み、パンをかじりながらいつものようにイヤホンを取り出した。
その時の気分に合う音楽を聴きながら、昼寝するのがいつもの日課だけど。
でも、昨日の真相を確かめたい、どうしてもこの衝動が抑えられない、心臓が速い。
空気を吸い、落ち着いて、ゆっくりと後ろを向いた。
「もうバンドやってないの?」
本を読んでいた彼がゆっくりと顔をあげた。
あの時の瞳だ。
「なんのこと?」
一言そう言って、また本を読み始めた。
表紙にはギターを掲げた男の子の影が描いてあった。
「それさ、面白い?」
彼はそっと閉じた本を置き、目蓋に手を押し当てている。
返事がないからまた私は言った。
「その本の結末はね・・。」
素早く目蓋から手を離し、少し充血した目で私を見て言った。
「ダメ!それ以上言うなよ!」
そもそも私はその本を読んだことがないから結末も知らないのだけれど。
続けて彼は言った。
「なんでバンドのこと知ってんの?」
二年前に聴いたあの声の持ち主が、今、目の前にいるらしい。
よくパッと視界が開けたとか、色がついたようなとかいうけど、本当にそうなるんだと思った。
「二年前の秋頃、ステージの真ん中で赤いレスポールを自信なさげに肩から下げて、緊張感がだだ漏れで、、」
全て言い終わる前に、彼は一瞬目を見開き、机に突っ伏し、囁くように言った。
「それ以上、言うな。」
どうして机に突っ伏したのか、恥ずかしいのか怒ったのか、言ってはいけないことを言ってしまったのか分からない。
これ以上、入り込むなということなのかな。
確信を得た嬉しさと動揺をどこに隠せばいいのか。
「高橋っていい声してるよ。」
こういう時、話上手な人はうまく会話を続けられるのだろうけど。
行き場を失った私は一言だけ付け加えて、そのまま前に向き直し、イヤホンをつけた。
表紙のギターを掲げた男の子の影は、まるで今の高橋みたいだなと思った。
春はいい。冬を乗り越えたからこそ感じられるあたたかな空気。
空は青が濃くなって、木々の緑も深みを増す。
午後の授業は眠気との戦いだ。英語は呪文にしか聞こえない。
「高田、次の例文を読んでくれ。」
「あ、はい。Does your...」
「高田、ありがとう。次の例文、高橋読んでくれ。」
先生の声に高橋の反応がない。
チラッと後ろを見ると、頬杖をつきながら高橋は寝ている。
とりあえず起こした方がいいと判断した私は高橋の肩を叩いた。
ものすごいスピードで勢いよく立ち上がった高橋と目が合った。
「ここの例文、読むんだよ。」
例文を指差した。
教科書を手に取りスラスラと読み上げる高橋の声、やっぱりいい声してるな。
飽きずに聞いていられる声ってなかなか出会えないよね。
バンド辞めちゃったのかな、ギターは続けてるのかな、高橋が読んでた本、ギター少年の影。
また高橋の歌、聴きたいなー・・。
肩を叩かれ、目を開くと見たことある顔が目の前にあった。
「高田、さっきは助かった。ありがとう。」
突っ伏していた体を起こすと、しゃがんでいる高橋がいた。
高橋が私に話しかけている。
私は寝ていたのか。
周りを見渡すとクラスメートはすでに帰ってしまっていた。
「わざわざ待ってたの?」
放課後の教室は嘘みたいに静かだ。
遠くから聞こえる野球部の声が聞こえた。
「俺さ、あの時のライブ、どうしてもやりたいってバンド組んでる兄貴に頼みこんで出させてもらったんだ。俺ならできるって無駄に自信があったんだけどさ・・結局会場の熱気とかプレッシャーに負けて、要するに高田が言ったように緊張しすぎてダメだった。」
それ以上言うなって言ったのに、いきなりの告白に頭が追いつかない。
「それで、周りのみんなにもズタボロに言われてさ。それっきり。終わり。」
私があの時みていた高橋は、本当に緊張に潰された高橋だったんだ。
蒸し返して悪いことしたのかもしれない。
でも私がみた高橋は、ただの潰れた高橋ではなかった。
「高橋はさ、いい声してたよ。」
夕日に染まっているからかもしれないけど、高橋の頬が赤くなった気がした。
「また聞きたい声だなって、ずっと思ってた。」
高橋は無言で立ち上がり、鞄を肩にかけ、「じゃあな」とだけ言って帰っていった。
そろそろ夕日が沈む。
私はイヤホンをつけた。
今日のプレイリストはいつもより明るい。
あれから高橋とはよく話すようになった。
音楽の話がほとんどだけど。
高橋はロックの中でも、よく街中で流れているような軽いものではなく、シャウトしているようなラウドロックが好きらしい。
私はその時の気分で色々聴くけれど、高橋の話を聞いているとどうしても同じジャンルの曲を聴く機会が増えた。
今までこんな音楽話を友達としたことがなかったからとても楽しい。
Spotifyの中は、どんどん高橋に占領されていった。
自分のパーソナルスペースに当たり前のように入り込んできた。
「高橋はさ、もうギター弾かないの?」
高橋は私の前に左手のひらを差し出した。
骨っぽくて、ひょろっと細長い、男子の手って大きいなぁ。
まじまじと見ていると、高橋が言った。
「もう指の皮も柔らかくなっちまったし、ギターなんて痛くて出来ねぇよ。」
なんだその無邪気な笑顔は。
高橋は、ひょろっとしていて、身長もある、顔も悪くないし、それなりにモテる。
高校男子って浮かれてるイメージだったけれど、高橋はちょっと違う。
初めて見た高橋があの時じゃなければ印象が違ったのかもしれないけど。
「またやりなよ、ギター。それにモテるよ。」
「うるせー。もうモテてるからいいんだよ!」
ヘラヘラと笑う顔を見ているとなんだか安心した。
雨ばっかりの梅雨は嫌いだ。
梅雨というだけでテンションは半分以下になる。
それに加えて梅雨明けを待たずに死んだ祖母の一周忌で、学校を三日間休んだ。
もはや辛いのか悲しいのかもよく分からない。
手先が器用で、料理上手で、友人もたくさんいて、毎日幸せそうだったおばあが大好きだった。
私とは正反対のとびきり明るくて、社交的だったおばあ。
「人間は必ず死んでしまうの、咲ちゃんもいつかは死ぬんだから。」
いつか死ぬのは分かっている。ただそれまでの時間をどう過ごしていけばいいか分からない。
おばあの言葉を思い出して、自分の無力さに悲しくなった。
変わりたい、変われない。
ひんやりとした机に頬を付け、空を見つめていると、耳に冷たい物が触れた。
音が鳴ってる、イヤホンだ。
アコギの音がする、誰の曲だろう。
言葉を発すると涙が止まらなくなりそうだったから、ノートに書いたメモを渡した。
ー だれの曲?なんだかちょっと悲しい感じだね ー
少しして返事が書かれた紙が頬の上に乗せられた。
ー なにかあった? ー
心配してくれているのか。
ー ありがとう ー
一言だけ返して、私はまた今にも降り出しそうな曇った空を見た。
いつの間にか梅雨も明け、毎年更新する暑さに嫌気が差す。
今日は夏休み前日、終業式だ。
蒸し暑い体育館での式もホームルームも終わり、あとは帰るだけだ。
ノートをうちわ代わりに仰ぎながら、イヤホンを耳に差すと、突然引き抜かれた。
「高田、来月頭の金曜、ライブ行くぞ。」
そう言って、電話番号が書かれたメモを置いて、高橋は帰っていった。
突然の出来事に驚いて固まってしまった。
そういえば一ヶ月以上高橋と話していなかったし、連絡先も知らなかった。
つくづく私は人付き合いが苦手だと思った。
悲しい時とか辛い時に、どう話して伝えたらいいか分からないし、それ以前に迷惑かなと思って人と距離をとってしまう。
あの時、心配してくれていたのにな・・連絡先、なくす前に登録しておこう。
一言くらい送った方がいいかなと思い、よろしくとだけ送信した。
しばらくそのまま携帯を眺めていると、なにか受信した。
高橋からだった。
ー まだ帰ってなくてヒマだったら図書室に来て ー
最近のこと、あんまり覚えていない自分に気が付いた。
進路もあるから勉強はしていたけれど、進路指導の先生と話したくらいで他の誰かと会話した記憶もない。
こんな私でもクラスのみんなはそれなりの対応をしてくれていたんだと、今更ながら思った。
ひとりが楽でとか、どうせ友達なんて、とか。
そう思っていた自分が誰よりも一番自分勝手で、恵まれているなと思う。
そんなことを考えながら図書室に着いた。
高橋は図書室に入って奥、窓際の広い机に座って教科書を開き、勉強していた。
勉強しているところに話しかけにくいなと様子を伺っていると、高橋が顔を上げ言った。
「そこ、座りなよ。」
相変わらず綺麗な黒髪だ。どうしたらそんなにツヤツヤになるの。
「高橋が髪を赤くしたら、高橋教とかってヴィジュアル系のファンクラブが出来そうだね。」
意味のわからない言葉を発してしまった、なんだか無性に笑えてくる。
「私、久々に笑ったかも。ほっぺたがあったかい。」
ずっと忘れてた、じんわりと広がっていく温かさ、安心感。
「ずっと心配だった。なにかあったんだろうけど、俺、高田のことなにも知らないから、なにも聞けなかったんだ。」
高田はそう言って、左手のひらを出した。
「指先触ってみて。」
高橋の指先は硬くなっていた。またギター始めたんだ。
「前にかっこよかったって言ってくれて、めっちゃ嬉しかったんだ。だから久々に弾きたくなってさ。それから毎日弾いてる。」
人間にしかできない言葉のふれあい。
喜怒哀楽は言葉にしないと分からない。
ふれない優しさもあるけれど、ふれあう優しさはただただあたたかい。
知っているはずなのに、どうして私はこんな簡単なこともすぐ忘れてしまうんだろう。
前に聴かせてくれたアコギの音を思い出した。
「もしかして、あのとき聴かせてくれたアコギの音って、高橋が弾いてたの?」
少し悲しい音に聴こえたあのときのコード。
「音楽ってさ、どんだけ明るい音楽やってても、そのとき悲しい気持ちが心の大部分を占めてると悲しく聴こえるんだよ。一割しかないマイナーコードばっかり拾っちゃうの。マイナーコードを探しちゃうんだよ。」
高橋が言うことはたしかにそうかもしれない、と思った。
「だからあのときの高田は、多分悲しいことがあったんだなって分かった。」
誰も気にも留めない私を、ただのクラスメートの私を、高橋はちゃんとみていてくれた。
涙で視界が見えなくなる。
おばあのこと、周りとの距離感が分からないこと、どうしたらいいのか分からないこと、高橋はゆっくりと聞いてくれた。
いつの間には空は赤くなり始めていた。
泣きはらしてまぶたが熱い。
「高田、悲しいときは泣いたっていいからそうやって言うこと。悲しいことじゃなくても、些細なことでもいいからなんでも言葉にすること。俺が聞くから。」
とびきり明るかったおばあは、その日起きた出来事を私とおしゃべりすることが楽しみだって言っていた。
いつか忘れてしまうことでも誰かに言えば、それは誰かの記憶として残るかもしれない。
私はちゃんとおばあの言葉を覚えている。
簡単だったんだ。
高橋、ありがとう。
「高橋、聞いてくれてありがとう。」
言葉にしたら、もっと聞いて欲しくなった。
高橋のことも、もっと知りたいと思った。
「俺がありがとうだよ。また話せて嬉しいよ。」
笑った高橋の顔は、夕日に染まって赤くなっていた。
この気持ちを忘れないように、私も笑った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます