第4話 絡め合う指が、熱と、意味を持つ
六月十一日は翔丞くんの誕生日だ。翔丞くんは六月生まれ、祐樹くんと私は九月生まれで、それこそ小学生の頃は翔丞くんが自分だけ仲間外れだとよく拗ねていたけれど、誕生日は自分で決められるものではないので、そればかりは私たちがどんなに翔丞くんが好きでも一緒を叶えてあげることはできない。
前日、六月十日の帰りの電車の中で、祐樹くんが、俺、明日、一人で登下校するよ、と言った。思わず、翔丞くんと二人で顔を見合わせてしまったけれど、それに対して祐樹くんはにこにこと笑っているだけで。それなのにその言葉は本気で、今朝、毎日使う駅にいなかった。一本早い電車で、学校に向かってしまったようだった。もう放課後なのに、向かってしまったようだった、という言い方なのは、今日、祐樹くんに一度も会っていないからだ。
朝、いつもの電車に祐樹くんはいなくて。昼休み、ご飯を食べるいつもの場所に祐樹くんはいなくて。放課後、祐樹くんの教室の前を翔丞くんと二人で通ってみたけれど、祐樹くんの姿はなかった。
「徹底されてるね…」
「祐樹がいての日常なんだから、変に気を遣われてもなあ…」
翔丞くんと私がお付き合いをしている。確かにそれは事実だ。でも、祐樹くんを蔑ろにしているつもりはないし、翔丞くんが言うように、祐樹くんがいてこその私たちだ。祐樹くんがいないと、心にぽっかりと穴が開いてしまったような、そんな気持ちになっているのは私だけではないだろう。
「でも、せっかく二人きりにしてくれたから、デート、しますか?」
「ふふ、翔丞くん、どうして敬語なの」
「何となくだよ」
校門を出たところで、翔丞くんが私の手を握る。手を握ってもらうのは珍しいことじゃないのに、鼓動が少し早まった気がする。
三人でいるときは幼馴染感が強いけれど、二人きりのときは自分たちは恋人同士なんだと意識してしまう。絡め合う指が、熱と、意味を持つ。
「英、どこか行きたいところある?」
「本屋さんに寄りたいかな。翔丞くんは?」
「本屋か…。新しい漫画が出てるかもしれないな。行こう」
私たちの地元に本屋さんはない。いつも本を買うときは学校帰りに寄り道するか、学校が休みの日にわざわざ出かけるかだ。いつも一緒の二人に、学校帰りに本屋さんに寄りたい、と言っても嫌な顔をせずに毎回付き合ってくれるのだけれど、欲しい本の発売日が数日おき、とかだとどうしても言い難かったりする。言ったら絶対に寄り道してくれる、優しいお兄ちゃんたちだから。私が好きな小説、漫画は二人も把握していて、発売日を調べて、覚えてくれているのは少し怖いところでもあるのだけれど。でも、それだけ私は愛されているということだ。
「本屋の近くに新しいフルーツジュースの店ができたって誰か言ってたな」
「そうなの?いつ?」
「先週?先々週?そのくらい。飲みながら帰ろうか」
「うんっ」
翔丞くんと二人でいたら、私たちは恋人同士に見えるのだろうか、きちんと。普段はどうしても幼馴染感が出てしまう。それが嫌とか、そんな感情は全くない。でも、二人だけでいるときにも幼馴染にしか見えないのだったら、恋人同士でいる意味を考えてしまう。好きな人といて、恋人同士に見えないのは寂しすぎるから。
「英、何の本が欲しいの?」
「数学の参考書」
「真面目か」
「だって、高校の数学難しすぎるんだもん。いつまでも祐樹くんには頼れないし」
「俺がいるじゃん」
「翔丞くんは数学得意な人だから、教え方が大雑把」
「えー」
不満そうな翔丞くんの声音と表情に、思わず頬が緩むのがわかった。
可愛い。やっぱり大好きだなと思う。
翔丞くんと祐樹くん。ずっと二人のお兄ちゃんたちと一緒にいて、私は翔丞くんを好きになった。恋愛感情で。もちろん、幼馴染として祐樹くんも大好きだ。でも、恋に落ちるのは理屈なんかじゃない。好きだって、大好きだって思うのだ。そして私の、女の部分が疼く。
「俺、ちゃんと教えられると思うけど」
「んー、どうしてもわからない問題があったらお願いします」
「上手く逃げられた感半端ねえな」
手を繋いだまま、本屋さんまで歩く。三人で歩いても二人で歩いても距離は変わらないはずなのに、少し短く感じたのはどうしてだろう。私はまだ、手を離してほしくない。
「英」
その気持ちが伝わってしまっていたのか、翔丞くんは私の手を引き続ける。擦れ違った三十代くらいのお兄さんが私たちを二度見したけれど、それでも。
私たちはただ、触れ合うことに躊躇いがないだけだ。お互いの熱を共有することに、慣れているだけ。
「参考書どれにする?ちなみに使いやすいのはこれらしい。クラスメイト情報」
右手で参考書を取ってくれる。
翔丞くんは私と手を繋ぐとき、絶対に左手を差し出してくる。利き手は自由にしておかないと、何かあったときに英を守れないだろ、って、付き合う前、ううん、それこそ年齢が一桁のときから言っているくらいだ。
私はいつも守られている。
「じゃあ、それにしようかな。使いやすいのが一番だよ」
「漫画もちょっと見ていい?」
「いいよ」
翔丞くん。お誕生日おめでとう。翔丞くんの愛に私は満たされています。大好き。大好き。大好き。何度言っても言い足りないくらい好きです。私の幼馴染。私の初恋の人。私の恋人。翔丞くんを表す言葉はたくさんある。いつかはそれに、私の旦那様、という言葉が増えたらいいなって思ってる。大好きだよ。
*
本屋さんを出て、フルーツジュースのお店に向かう。私たちの通っている高校からあまり離れていないせいか、同じ制服を着ている人が何人もいる。みんな考えていることが同じということだ。少しだけ並んで、翔丞くんはオレンジジュース、私はメロンジュースを買った。翔丞くんは幼い頃からオレンジジュースが好きだ。オレンジジュースを飲むと元気が出るんだよね、って、いつも言っている。
「英、一口ちょうだい」
それでも、私のメロンジュースも気になるようだった。私は翔丞くんにストローを向ける。そのストローを翔丞くんが咥えて、吸う。
「甘っ」
「ふふ、メロンだからね」
オレンジジュースを飲む翔丞くんを見つめていたら、翔丞くんが何かに気付いた顔をした。
「どうしたの?」
「祐樹だ」
「え?」
フルーツジュース屋さんの列、最後尾に並んでいたのは確かに祐樹くんで。でも、いつもと違うのは同じ制服を着た女の子が隣に立っているということ。私の知らない人だった。
「祐樹が英以外の女といるの、久しぶりに見た」
「そう、だね」
女の子が祐樹くんに話しかけていて、祐樹くんもそれに笑って返事をしている。とてもいい雰囲気だ。
祐樹くんに彼女ができる。ありえないことではない。祐樹くんが優しいのは私だって知っている。この間、電車の中で恋愛の話をしたとき、祐樹くんは今隣にいる女の子のことを思い浮かべていたのだろうか。祐樹くんが幸せなら、私は嬉しい。祐樹くんが翔丞くんと私のお付き合いを喜んでくれるように、私も祐樹くんのお付き合いを喜びたい。
でも、でも、少しだけ、嫉妬してしまうのはどうしてだろう。大好きなお兄ちゃんを取られてしまったような、そんな気分だ。
「英」
翔丞くんが、私の名前を呼ぶ。
「そんな寂しそうな顔すんなよ」
私は今、どんな顔をしているのだろう。
私の好きな人は翔丞くん。それは紛れもない事実だ。
でも、甘いはずのメロンジュースの味が、まったくわからなかった。
世界一の初恋 五十嵐夏星 @ikrkthkztkktd
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