Day28「キミガイナイ」/霜降り

 人工知能・スキュラを完全に破壊すれば、世界諸共壊れてしまう。だから完全には壊さない。その選択が由真にどれだけ負担をかけることなのかはわかっていた。けれど由真を止められたかといえば、おそらく誰だって無理だっただろう。それは由真の願いだった。本物を追い求めた彼女が偽物の世界を残そうとする。彼女の最後の優しさがかえって世界の混乱を招いた。

 結論から言ってしまえば、壊すあとと壊す前と、知らない人から見れば何も変わらない世界が続いている。けれど世界スキュラは私たちに干渉する力を削がれていて、少しくらい第四区画に長居しても何も言われなくなった。

 闘った末に私たちの得たものは些細なもので、失ったものは多かった。それに完全な破壊に至らなかったがために、復活する可能性も高い、と寧々が言っていた。寧々とハルさんはこれからも闘い続けるのだろう。或果は自分の夢を叶えるために、自分の闘いを続けていく。それなら私は何のために闘えばいいのだろう。由真のいないこの世界で。

 由真のいない世界は、これまでとはほとんど変わっていない。少しだけ自由になった。けれど、半分破壊された人工知能スキュラを巡って、そして世界の真実を知った人たちによって新しい争いが始まっている。影響力を削がれた人工知能スキュラを手中に収めて世界を手に入れようと目論む人。自分が所詮データでしかないことに悲観してしまう人。私たちの力ではその全てをどうにかするなんてできそうにはない。こういうとき、由真ならどうしただろうかと考えてしまう。きっと由真なら、助けたい人は助けようとするし、手が届かない人の存在に胸を痛めるのだろう。

 いつだってそうだった。私たちは救世主になんかなれないのに、その優しさで心を摩耗させていく。由真がもっと非情だったら、世界は違う結末を迎えたのではないだろうか。

 柊由真は救世主だったのか、それともただの破壊者だったのか。私たちのことをろくに知らない人たちがそんな話をしている。特別な力を持っていたのは確かだ。そしてそれを使って大きなことを成し遂げたことも、終わったあとで姿を消して混乱を引き起こしたのも。けれど私の知っている由真は、どちらが語る言葉の中にもいなかった。

 小さな頃は泣いている由真を慰めた思い出ばかりだ。肝心なときに熱を出して遠足に行けなくなったとき。誰かと喧嘩をしたとき。親に怒られたとき。怖い夢を見たとき。そんな普通の理由で泣く子だった。そして少し寂しがりやで、そのくせ素直じゃないところがあって。由真が自分の力を知ってからも、その本質は変わっていなかった。強がりで、負けず嫌いで、誰かが悲しんでいることと、嘘が嫌い。どこにだっている女の子だ。

 由真が抱えていたものは、こんな世界でなければ、いずれは自分の中で区切りをつけられる類のものだったのかもしれない。少なくとも区切りをつけて大人になった人から見れば、ただの通過儀礼、あるいは若気の至り。そんなものは長く続けられないよ、とわかったような顔で言う人もいた。でも由真の場合は、区切りなんてつけられなかっただろう。一足す一が何で二になるのかわからなくて立ち止まってしまう人だって中にはいる。立ち止まらなかった人が偉いのではなくて、ただたまたまそういう人だっただけだ。

 私の知っている由真はもうこの世界にはいないのに、外には彼女の虚像ばかりが転がっている。その中には目を背けたくなるような罵倒の言葉も、神様か何かのように盲信する言葉もあった。それに触れる度に、私の記憶の中の由真が消えていくような気がして嫌だった。

 私たち以外は誰も知らないのだ。剣を握る由真の手がいつも少し震えていたことを。自分の中の恐怖を捩じ伏せて立っていたことを。だからこの記憶は誰にも汚されたくなかった。私たちが忘れてしまったら、その事実は跡形もなく消えてしまうから。

 梨杏、と私を呼ぶ、少し甘えたような声。梨と杏っておいしそうだよね、なんて言って笑った顔。その記憶が蘇る度に、この世界に由真がいないことが浮き彫りになる。由真のことを知っている人はたくさんいるのに、私の知っている由真を知っている人はいなくて、その名前を聞く度に自分が世界に取り残されたことを実感される。

「由真……」

 けれどどうしてだろう。決して悲しい終わりだったとは思えないのだ。どうしていなくなったのか責める言葉よりも、由真との優しい記憶ばかりが溢れてくる。

 こんなにも覚えているのに、今でもその温もりを思い出せるのに、どうして由真だけがここにいないのだろう。

「会いたいよ、由真……」

 どこかでのんびり過ごしているんじゃないかとか、そんなことを考えても許されるだろうか。この世界だけではなく、実は他の世界があって、一人でそこに辿り着いて、美味しいものを食べて、好きなだけ寝て――そんな生活を送っているかもしれないと思って、自分を慰めてもいいだろうか。どこかで由真が笑っていると思わなければ、このまま私の大好きなあの子が消えてしまうような気がするから。


 眠れないまま朝が来て、窓には霜が降り始めた。まるでこの部屋ごと凍ってしまったかのように、花のような模様が広がっている。

 ああ、いっそ本当に凍ってしまえばいいのに。私の中に残る由真が消えてしまわないように、私の記憶を凍らせて。

 由真が描いた絵を見て小学生の絵みたいとからかった日のこと。一緒に喫茶店巡りをして、ケーキを食べすぎた日のこと。そんなどこにでもありそうな思い出さえも汚されてしまうくらいなら、このままここで氷に閉じ込めてしまえればいいのに。

 柊由真は嘘が嫌いな、でもどこにでもいるような女の子だった。けれどそんな彼女は――もうこの世界のどこにもいない。

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