Day26「アンビバレント」/寄り添う
夜の向こうに光が見えた。ここが私の世界の終着点。あの光に飛び込めば、きっと元の世界に戻ることが出来るのだろう。その世界は光で満ち溢れているとはいえないけれど、そこには私の大切なものがある。私は幽霊船長の骨の手に背中を押され、その光の中に飛び込んだ。
けれどその瞬間に、無数の黒い手が私を引き戻そうとしてきた。
『君は自分の生き方は自分で決めると言った。けれどその生き方はきっと君を孤独にする』
わかっている。今は由真のところに向かっているけれど、いつか私の進みたい道が由真の道と食い違ってしまうかもしれない。そのとき私たちはもしかしたら敵になってしまうかもしれないのだ。誰かに追従する生き方は、自分と同じ人間が自分を取り囲んでいてくれるから確かに安心は出来る。由真のように生きる苦しさもわかっている。だからこそ気持ちが完全に定まることはなかった。
『そんな不安定では、いつかまた足を掬われるのではないか?』
そんなことはない、とは言えなかった。私は一度は苦しみに耐えかねて楽な道を選んでしまったのだ。同じような痛みが与えられたら、また同じ道を選んでしまう可能性だってある。自信を持って先へ進めない自分が嫌になる。あと少しで辿り着けるはずなのに。
『それに、今から君がどれだけやり直したところで、君がやってしまったことは――柊由真を撃った事実は変えられない』
「……っ、それは」
『それは償っても償いきれない君の罪だ。けれどこちら側に来れば、君の罪は正義の行動になる』
何が正しいのかなんてわからない。だからどうしても迷ってしまう。孤独に生きる覚悟が決めきれるはずもない。群れで生きるのが楽なことも私は知っている。けれど誰かに従って後悔するのはもう嫌なのだ。
(――或果)
私を責めるような声が途切れた瞬間、由真の声が頭の中に響いた。姿は見えない。けれど気配だけは感じることができた。
(迷っててもいい。私だって、今でもどうすればいいかわかんないよ)
寄り添うような優しい声。けれど由真はいつだって強い人のように見えた。迷いは確かにあったのかもしれないけれど、一度決めたら真っ直ぐに立ち向かえる人のような――いや、違う。
私の手に由真の手が重なった気がして、その瞬間に気がついた。いつも彼女はこんな気持ちで闘っていたのだろうか。その手は私の手を優しく包み込みながらも、何かを恐れているように微かに震えていた。
そうか。由真は強かったのではなくて、ただの強がりだったのだ。
でも強がるということは、強くなりたいという気持ちがあるということだ。
私は由真の見えない手に自分の手を添えた。そんな震える手で今まで私を助けてくれたのなら、今度は私が由真の感情に寄り添う番だ。いつだって迷いながら、恐怖と闘いながら、それでも闘うことを選んだ由真。私だって怖いし、迷っている。だからこそただ傍にいることが出来る。
私たちが初めて話した日、木から降りられなくなった由真が言った。不安だからそこにいてほしい、と。私はただ立っていただけで、結局由真は自力で着地したけれど、私がいなければ、多分由真は跳べなかった。寄り添うだけの力だって、きっと馬鹿には出来ないはずだ。
(――行こう、或果)
私は頷いた。敵の姿が目の前に浮かび上がる。無数のカメラのような球体。由真の手に添えた右手が動き出して、見えない剣でそれを切伏せていく。時折球体から手が伸びてきたり、それが分裂したりする度に由真が剣を握り直すのがわかった。ずっとそんな状態で闘っていて、何度闘いを重ねたって慣れることはできなくて、それでも私たちは由真なら乗り越えるだろうと思ってしまった。でも由真は――あの春の日と何一つ変わらない、無邪気で、優しくて、少し怖がりで、でも強がって突っ走ってしまう――ただの女の子だ。
敵を切伏せ、振り払いながら私たちは走った。それは怖かったけれど、何故か少しだけ楽しかった。由真の姿は見えないままだったけれど、まるで踊っているような身のこなしなのは気配でわかった。時々由真の手を握って、大丈夫だと言い聞かせる。
由真の力は世界に干渉するほどの意志の力だと寧々が言っていた。由真が持つ武器は由真の想いで形作られている。それなら私は、私の力でこの武器を強化したりはできないだろうか。ここはまだ私の世界だ。私の絵の幽霊船がちゃんと動いたように、私が描いた武器もここなら使えるのではないか。由真の手に自分の手を添えて、そっと目を閉じる。
(或果……ありがとう)
「画家を目指す以上、武器くらい描けなきゃ」
目を開いた瞬間に飛んできた三体の敵を、一太刀で真っ二つにするほどの剣。そしてこれはこの空間を切り裂くための武器でもある。
由真が軽く呼吸を整え、何もない空間に剣を突き立てる。
その瞬間に世界は世界は弾け飛び、私たちは古びたビルの屋上に投げ出された。
*
「いった……もうちょっと上手く着地できるつもりだったんだけどな……」
「あのときみたいにはいかなかったね」
「いや無理だってこれ。直前まで地面見えなかったし」
着地に失敗した私たちは、その痛みで暫く起き上がれなかった。全身痛かったけれど、気持ちは晴れやかだった。
「……帰ってこれた」
「約束したからね。最後はありがとね」
「ううん。大したことはしてないよ」
二人で笑い合っていると、慌ててこちらに向かってくる足音が聞こえた。
「或果! 由真!」
一番足が速い梨杏が私たちのところにたどり着いて、安心したようにその場に座り込む。
「よかった……二人とも無事で」
「梨杏……」
遅れて到着したハルさんと寧々も安堵の溜息を吐いていた。由真は横に落ちていた剣を杖のように使って体を起こす。それを見て寧々が言った。
「なんか武器かっこよくなってない?」
「或果がくれたの。いいでしょ」
「へぇ……最高じゃん」
寧々に褒められて、少しだけ嬉しくなった。私にはこれくらいしかできないとしても、出来る限りのことはした。それが認められたような気がして嬉しかったのだ。
「全員無事だね。これで今回の作戦は終了だ」
ハルさんが言う。私を助けるための作戦が動いていたのだ、と梨杏が小声で教えてくれた。私はゆっくり体を起こして、笑みを浮かべる四人を見回した。
「心配かけてごめん。それから――ありがとう」
その瞬間、由真がいきなり私の体を抱きしめた。顔は見えない。けれど少しくぐもった嗚咽が聞こえてくる。私は微かに震える由真の背中をそっと撫でた。
「帰ってきてくれてありがとう、或果」
私は由真の背を撫でながら、そっと頷いた。ありがとうを言うのはこっちの方なのに。愛しさが溢れてきて、私は由真の体をきつく抱きしめた。
これで全部終わったのだと、私たちの誰もがそう思っていた。けれどそんな私たちを嘲笑うかのように、世界は一瞬にして闇に呑み込まれた。
「……やっぱり、ただで帰してくれるってわけじゃなさそうだね」
低い声で由真が呟く。私から離れた由真の目は強い意志を秘めている。私に「もう一発撃てばいい」と言ったときと同じ目をしていた。
「由真……?」
「今なら、
行かせてほしい、と由真が言った。
「……あと一回が限界だと言ったはずだけど」
ハルさんの言葉に、由真はゆっくりと頷いた。けれど由真の目は変わらずに前だけを見据えていた。
「だから、みんなの力を借りていく。ちゃんと蹴りをつけたいんだ」
それがどういうことなのか、おそらくその場にいた全員が理解していた。このまま由真を行かせてしまえば――由真にはもう会えない。けれどきっと、行かずに過ごしていても残された時間がそれほど伸びることはないだろう。
「行かせてほしい。――お願いだから」
それが嘘偽りのない由真の本心なのだと、私たちの誰もが理解していた。由真はとっくに覚悟なんて決めている。けれどその言葉には迷いも見えた。もしかしたら、このまま何もしない道もあるのかもしれない。おそらく由真自身もそう思っている。
けれどもしその道を選んだら、由真は自分自身を許せなくなるだろう。そのこともわかっていた。
私は由真が握りしめている剣に触れた。私が由真にできる最後のこと。自分自身の思いを全て乗せて、由真が自分を貫き通すための刃を作り出す。
「――ありがとう、或果」
けれど、奇跡を願わずにはいられなかった。運命を捻じ曲げて、もう一度由真が帰ってくる未来を、私たちが一緒に過ごせる時間を、その華奢な背中に願ってしまう。
きっとそれは由真も同じなのだと、消えていく背中を見ながら、私は思った。
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