Day23「割れたスマホ」/ささくれ

「私を止めたいなら、それでもう一発撃てばいい」

 血に塗れた由真の笑顔は、心臓を握り潰されそうな程に怖くて、なのに何故か美しいと思った。血で汚れているはずなのに真っ白なのはどうしてだろう。見る人も、そして由真自身をも傷つける白刃。

「たとえ殺されたとしても、私は私に嘘を吐きたくない」

 以前、由真の幼馴染みでもある梨杏に、どうして由真は嘘が嫌いなのかと聞いたことがある。由真は些細な嘘であってもあまり好きではないようだった。怒られるようなことはなかったけれど、「嘘は良くないよ」と言われたことは何度かある。この世界がどんな世界なのかも知っているはずなのに、何もかもが嘘だと言えることも理解しているはずなのに、それでも心が折れないのは何故なのだろう。

 梨杏は「理由なんてないと思うよ」と言っていた。本当に思い当たることがないらしい。それは生まれ持った性格だったのか、それとも梨杏が知らないところで何かがあったのかはわからない。けれど私はどうしても思ってしまう。殺されてしまうくらいなら、諦めてくれた方が私は嬉しい。私は嘘を嫌う由真が好きだ。けれどそれは殺されてまで貫いて欲しいことではない。

 私の言葉なんかでは、由真を止められないことはわかっている。たとえそれが間違っているとしても、戦わずに従うことで守られるものがあるとしても、由真は自分自身に嘘をつけないから、前に行くしかないのだろう。

 それなら、私は――ゆっくりと下ろした銃をもう一度持ち上げる。それでいい、と誰かが囁く声がした。このまま先に進めば、由真が壊れてしまう。ここで立ち止まればまだ許される。何より、ここで私が由真を止めなければ、私だって殺されてしまう。

「ごめんね、由真」

 ずっと、大好きだと伝えられないままだったね。もう私のことなんて信じていないかもしれないけれど、私は今でもあなたのことが好きだから。

 引き金に指を掛ける。今度は狙いを外さないように、両手でしっかり銃を持って照準を定める。引き金を引いた瞬間に、由真がゆっくりと振り返った。その目は私を真っ直ぐに捉えている。由真の意志を秘めた片方の瞳から雫が零れ、銀色の一筋が頬を伝って落ちていった。



 次に目を覚ましたとき、私は暗闇の中にいた。ここはどこだろう。体を起こして周りを見回してみても何も見えなかった。

 私の銃弾で倒れた由真は誰かに連れ去られて、私はいつの間にか気を失っていた。摂理スキュラは、この銃は一時的に体に傷を付けるけれど、その傷は数時間で治るようになっていると言っていた。それでも痛くはあるだろう。でもそれで由真が止まってくれるなら。これからの未来を生きてくれるなら、それで良かった。私はできるだけ多くの人が助かる方法を選んだだけだ。

『やはり人間とは不合理で、醜い存在だな。自らの欲望のために、愛する人を二度も撃てるとは』

 暗闇の中で声が響く。この世界を造った存在、人間を模して造られた私たちを外側から観察し、旧世界の人間を救う手立てを探すようにプログラムされた人工知能の声。けれどもう旧世界の人間を救うことはできないと結論が出ている。この世界はそれを検証するためだけのもので、本当なら今すぐに廃棄されてもおかしくないものだ。けれど私は願った。スキュラに従う代わりに、この世界を維持して欲しいと。そして彼女は確かに頷いたのだ。

「それが、沢山の人を助けることになるなら、私は」

『笑わせるね。救われたかったのは君自身だろう、月島或果』

「そんな……私は」

『人間は所詮、自分自身のためにしか動けない。それに関しては君も、柊由真も変わりはない。けれど君は、あくまで人を、柊由真を救いたかったと言う。それはとんでもない欺瞞だよ』

 それを提案してきたはずの存在に言われ、私は唇を噛んだ。私は言われた通りにしただけだ。そうすれば多くの人が救われると言われたから。由真が前に進めば、本当にこの世界が、そして由真自身が壊れてしまうと言われたから。

『君が柊由真のように自分自身の感情を信じていれば、こうはならなかっただろうね』

「どういうこと?」

『月島或果。――私の言うことが全て真実だと、いつ誰が言った?』

 世界スキュラが言うのだから、全部本当のことなのだろうと思っていた。でも言われてみれば、真実を話している保証などどこにもなかったのだ。

『人間はこうやって人間を騙すものだろう。そして騙された人間が、正義の名の下に銃を取り、仲間であるはずの人間を撃ち殺す。人間のほとんどはそういうものだ。だがそれを気に病むことはない。私の仮説が正しいことがまた証明されただけなのだから』

「……私を騙したってこと?」

 何が嘘で、何が嘘でなかったのか。私は本当はどうするべきだったのか。暗闇に向かって叫ぶようにして問いかける。

『その銃で付けられた傷は、永遠に癒えることはない。――柊由真を殺したのは君だよ、月島或果』

 信じたくなかった。よりによって、一番本当であって欲しかったことが嘘だったのだ。その傷が癒えないということは。私の撃った銃弾が、由真の左胸を貫いたということは。

『人間は、自分が撃ったところで死にはしないだろうと思うと、簡単に人を撃てるものだ。旧世界ではそう思った正義の人間たちが、言葉で人を殺した』

「……私は……っ!」

『今回は私が君を騙したのは事実だがね。けれど、君がやったことが消えるわけではない。君が自分の感情に従って柊由真を撃たずにいれば、あるいは、私に従うことを良しとしなければ、この事態は回避できたのだから』

 理不尽だ。けれど間違いはなかった。私が闘う道を選んだなら、由真に前に進むことを諦めさせようだなんて思わなければ、由真は。

 声はもう聞こえない。闇が更に深まって、私自身の姿さえ見えなくなっていく。けれどもうどうだってよかった。由真のいない世界で生きる必要なんてない。まして由真を殺してしまった私なんて、このまま消えてしまっても構わない。

 私が全て悪かったのだ。けれどもう何もかも私の知ったことではない。目を閉じたところで闇の濃さが変わらない世界の中、私は私自身の意識を手放した。


 けれどそのとき、私の名前を呼ぶ由真の声が聞こえた気がした。

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