Day22「Deadline」/遥かな

 あと一時間で花火が上がる。寧々と梨杏はその準備を終えて私たちの分の食料や飲み物を買い出しに行っている。買い出し班を決めたのはハルさんだ。

 理由はわかっている。ここからの話は、寧々と梨杏には聞かせられない。あまり隠し事はしたくなかったけれど、こればかりはどうしようもない。

「――調子は?」

「何とか。あ、あれありがとうございました」

「所詮焼け石に水だけどね。私にできることなんてその程度だ」

「ハルさんも、私と同じ状態なんですよね?」

 何となくだけれど、確信があった。ハルさんの立場ならもっとこの世界に干渉できたはずなのに、どうしてそれができなかったのか。

「生まれたときからその状態なのと、後からその状態にさせられたのを一緒にしちゃいけないよ。私はどちらかというとこうやって人の姿を持っている方が異常なんだから」

「それは……寧々がいたから?」

「君は時々妙に冴えてるね。その通りだよ。寧々は……旧世界カリュブディスなら霊感のある人って扱いになったのかな。世界に遍在する、形は持たないけれど意思のようなものをもつ存在を感じ取ることができる。ただ、寧々はそれを人の形として認識したから、私はこの形に固定された」

「いまいちよくわからないけど……ハルさんがハルさんでいられるのは、寧々がいるからだっていうのはわかりました」

 寧々が私を見つけたときも、きっと同じようなことが起きていたのだろう。けれど最初から形がなかったハルさんと、形を傷つけられた私は違う。この状態でいられる時間が長くないことは私でもわかる。

「……私としては、そんな状態になってまでやる必要はないと思うんだけどね。君がやろうとしていることは、自分の限界を早める行為だよ?」

「それは――」

 デッドラインが近付いていることはわかっていて、自分でそれに近付こうとしていることも感覚でわかっている。けれど今進まなければ、もっと大きなものを喪ってしまう。窮屈な世界で死んだように生きることに何の意味があるのだろう。それなら死んだ方がいいとまでは言えないけれど、私は生きながら死んでいたくはない。

 けれど寧々たちはそうは思わないのだろうということは理解している。だからこそ私が選ぶ道のことは、今はハルさんにしか言えない。

「君の生き方がこの世界を変えてしまうことを期待する私は残酷なのかな。寧々が知ったら悲しむし、怒ることはわかっているんだけど」

「……私も、逆の立場ならきっとそう思う」

 もし寧々や梨杏や或果がこの道を選ぶなら、私は反対してしまうだろう。誰にもいなくなってほしくはない。けれどそれがその人の選んだことなら、行かせるべきなのかもしれないとも思う。気持ちが想像できるからこそ、心はいつでも揺らいでいる。

「でも――このままで死にたくはない」

 その思いだけで、あの森を抜け出した。何か覚悟があったわけでも、大きな目標があったわけでもない。ただ、このままではいたくなかった。それが自分を蝕む言葉だとしても、未来の幸福を壊すとしても、叫ぶしかなかった。

「私は私にできる限りの助力はする。けれど第零地区に入ってしまえば、私には何もできなくなる」

 私は頷いた。そろそろ寧々と梨杏が帰ってくる頃だ。

「それと、力はあと一回が限界だろう。それは忘れるなよ」

 あと一度、花火とともに始まる時間。それが私に残された最後の舞台だ。一度に全てを懸けて、遥か遠くの第零地区への穴を穿つ。

 私に世界に干渉する力があると言われても、未だにそれを信じきることはできなかった。何かの間違いだと今でも思っている。けれど誰かのために、そして自分のために、自分の全てを燃やし尽くすまで立っていようと思う。



「大丈夫?」

 あと一分で花火が上がる。その瞬間が刻一刻と近付くごとに、自分の手が震えているのがわかった。寧々に言葉を返す余裕もなかった。

「由真」

 寧々が私の頭を抱え込むようにして、私を抱きしめる。心臓の音が近い。それは私のものと同じように少し速くなっていた。

「はい、深呼吸だよー?」

「子供扱い……」

「由真はまだ子供でしょうが」

 寧々だって同い年のくせに。そう言い返そうにも、有無を言わさず深呼吸をさせられてしまう。

「大丈夫だよ、由真。『なんびとも一島嶼にてはあらず』って言うじゃない」

「ごめん、初めて聞いたんだけどそれ」

「えー? 名作だよ? しょうがないから帰って来たら教えてあげる」

 もしかしたら帰って来ることはないかもしれない。私は寧々に曖昧な笑みを返した。寧々はゆっくりと頷きながら私の手を握る。

「……怖い、よね」

 夜に溶けそうな声で、ぽつりと寧々が言った。

「……うん」

 今まで、怖くないことなんてなかった。自分に力があると言われても、何故だか体が動いても、心だけはいつも置き去りだった。今だって、これが始まることを考えると手が震える。けれど、否応なく時間はやってくる。

「大丈夫、いけるよ」

 行こう。遥か遠くの、この世界の中枢へ。

 デッドラインがあることはわかっている。だからもう、止まることはできない。

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