Day20「日が昇るまで」/地球産

「――これ、ハル姉から」

「何これ?」

旧世界カリュブディスの映像。これがオリジナルだって」

 風に吹き飛ばされそうな小さなチップに、私の人生を変えた映像が入っている。これがなければ私は今でも不満を抱きながらも普通に生きていたかもしれない、と思う。

 けれど後悔はしていなかった。前に進まなければ、それは死んでいるのと同じだから。でも夜の中にいると、色々と考えてしまう。私の我儘で巻き込んでしまった人のことや、壊れてしまった穏やかな日々のことを。

「それがあれば、また第零地区に入ることができる。それだけじゃなくて、旧世界カリュブディス産のものがあれば道を強引に繋げられるらしいけど」

「でも、これ……ハルさんにとって大事なものなんじゃ」

「ハル姉的には、それを使ってハル姉がやるべき役目は果たしたんだってさ」

 その小さなものが私の存在を繋ぎ止めている。もう一度世界の中心に行くために、そして少しでも時間を延ばすために。きっとハルさんは私がどういう状態にあるのか、私自身よりわかっているのだろう。

 ――残された時間はあとどれくらいだろう?

 浜辺を歩く寧々の後ろを手を引かれながらゆっくりとついていく。長く白いスカートが風でゆらゆらと揺れていた。

「……由真」

「何?」

「私は、由真のことが好きだよ」

 振り返りながら、寧々が言う。どうして今そんなことを言うのだろう。ふわりと花のように寧々が笑うから、言葉が溢れて止まらなくなる。

「私のせいで、或果は傷ついた」

「……うん」

「別に、みんなを率いて世界をどうこうしようとか、そんなことまで考えてなかった。むしろ自分にそんなことできないって思ってた」

 世界に干渉する力なんて大それたものが自分にあったなんて、今でも信じられない。創造物が造物主を超えてしまう可能性を示す力だと言われても、実感なんて持てないままだった。けれど立ち止まる時間もないほどに嵐が巻き起こって、過ぎ去っていった。

 私は私に正直に生きたかっただけだった。それなのに、そんな単純なことが何一つうまくいかなかった。生きるためには抗わなければならなくて、抗えば抗う程に自分自身が軋んでいった。

 世界スキュラと相対する度に、足が震えていた。けれどそれが自分自身と、誰かのためになると思ったから、その感情に耐えながら立ち続けた。自分自身が内側から壊れていきそうになるのを見ないようにして、そうしなければ勝てないと思っていた。

「……おいで、由真」

 掴まれていた手首を強く引かれて、バランスを崩して寧々の胸に倒れ込む。おいでと言うわりに強引じゃないかと言う余裕はもうなかった。寧々が私の体をきつく抱きしめると、ふわりと花の香りがする。それは寧々に合うと思って買った入浴剤の香りに似ていた。一日天日干しした毛布に包まれているみたいで安心する。

「私は、由真に会いたかったから由真を探したんだよ?」

「……寧々」

「ただそこにいてくれるだけで、私は嬉しいよ」

 閉じていた瞼に光を感じて、私はそっと目を開ける。空が白みはじめて、夜明けが来ることを告げていた。

 また歩けるだろうか。あと少しだけでいい。私の世界を変えてくれた寧々やハルさん、ずっと傍にいてくれた梨杏や或果に恩返しができるまで。この世界に一太刀でもいいから報いるまで、ほんの少しだけでも。

「由真……?」

「何でだろう。今、すごく――」

 昇り始めた朝日が私の感情を照らしていく。何かに立ち向かうのは怖くて、それでも嘘は吐きたくなかった。それは誰かの嘘が怖かったからで、この世界の全てが嘘だったとわかったあとは、何もかもが信じられなくなった。それでも今、私と寧々の間にあるのは本物のような気がしているのだ。

 ハルさんが持たせてくれた小さなチップも本物のひとつなのだろう。この中には、私を大きく変えた少女の映像が眠っている。その中に、少女の傷に私が求めていたのは何だったのか。

 ――私はただ、幸福よりも、本物が欲しかっただけだったのに。

 話が大きくなってしまって、沢山の人を巻き込んで、現実はどんどん膨れ上がっていく。でも私が欲しいものは本当に小さなもので、それを手に入れるためにもう少しだけ、私の我儘で闘うことを――そして去ることを赦してくれるだろうか。

「……寧々」

 この言葉を聞くのは寧々だけでいい。もしかしたらあとで寧々を苦しめてしまうかもしれないけれど、本当の言葉は、今言わなければ消えてしまうようなものだから。

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