Day12「バスルームトラベル」/ふわふわ
お風呂の時間が一日で一番力を抜ける。しかも今日は満を持して誕生日に由真がくれた入浴剤を使って泡風呂を作った。
寧々に合いそうな匂いだと思って、と言われた入浴剤は花の甘い香りとシトラスの爽やかな香りがする。入浴剤にもトップノートとラストノートはあるんだろうか。それならこのラストノートは由真の香りだ。由真がいつも少しだけつけている香水の匂いに似ている。
誰もいないことをいいことに頬が緩むのを止められない。だって由真が私のプレゼントを選ぼうとしてくれた段階で嬉しい。たとえ自分の買い物のついでに三秒で選んだものだったとのちに発覚しても、その価値が揺らぐことはない。それを手に取ったその瞬間には私のことだけを考えていたのは事実なのだから。
「はぁ……極楽……」
そんなことを呟きながら、目を閉じて湯船に浸かっていると眠気が襲ってきた。ちゃんと閉めてなかった蛇口からたまに水滴が落ちるリズムもちょうど良く眠りを誘う。由真は今頃何をしているんだろう。由真もお風呂の時間だろうか。由真は髪が短いから、髪を洗う時間も乾かす時間も短いと言っていたっけ。
そうしているうちにふわふわと体が浮いているような気がして、これは夢なのか現実なのかと思う前にお湯の渦の中に体が吸い込まれていった。栓が抜けていたのかもしれない。嫌なことは全部流されて、泡のような幸せだけが残る。
排水管なんて綺麗なはずはないのに私は透明なウォータースライダーに乗っていて、管の向こうの景色は薄桃色の綿菓子のような雲が浮いて、ジェリービーンズで飾り付けられたお菓子の世界だった。
昔ピアノで弾いた曲があった。タイトルは何だっけ。確か子供用の曲集で、お菓子の曲ばかりがあって、その中の一曲。発表会で同じくらいの歳の子が弾いていているのを見て、私も来年あれを弾くんだって言って――あれ、これも夢だったっけ?
そういえば由真は小さな頃にピアノを習っていたと言っていた。そんなに上手くないよ、と言っていたけれど、今度お願いしたら聞かせてくれるだろうか。絶対嫌、とか言いそうだな。
このままこの世界を通り抜けたら、由真のところまで行けたりしないかな。行けたらきっとびっくりするだろうな。驚いたときの由真の顔はわりと子供っぽくて好きだ。でも由真は食いしん坊だからこの世界のお菓子をつまみ食いしてしまいそうだ。そんなことしたら、きっと悪い魔女に怒られる。でも悪い魔女じゃなくても、お菓子を食べられたら誰でも怒ると思うんだけどな。
それにしてもこのウォータースライダー、いったいどこまで続くのだろう。もしかして海まで行ったりするんだろうか。雲が綿菓子なら海はブルーハワイのゼリーかな。でもかき氷のシロップって実は全部同じ味なんだって。由真が「あれ全部同じ味じゃない?」とか言うから悔しくなって調べたのに、実際は由真の方が正しかったのだ。由真はこの世界の裏側どころか常識さえも知らないのに、たまに正鵠を射るようなことを言うのだ。
ここに由真がいたらもっと楽しいのに。そんなことを思いながら目を閉じると、遠くから誰かが私のことを呼ぶ声が聞こえた。
「おーい、寧々」
お風呂場の扉が開けられる。私はその瞬間に現実に引き戻された。泡はもう半分くらい消えてしまった。
「お風呂で寝るなってあれほど言ったじゃん」
「いい夢だったのに……ハル姉のいけず」
「あとでぬるーい風呂に入らなきゃいけない私の気持ち考えてくれよ……」
「追い焚きすれば?」
「そんな金の余裕はありません。ほら、早く上がって」
「仕方ないなぁ……」
泡をシャワーで洗い流して、お風呂場を出る。まだ体にあの入浴剤の匂いが残っている。このまま寝ればあの夢の続きで由真に会えたりするだろうか。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます