Day8「二人セゾン」spring & summer/幸運
由真と出会ったのは一年前の春だった。高校に入学したけれど、私みたいな暗くて目立たない人に話しかけてくる子なんて誰もいなくて、かといって自分から誰かに話しかけるのも面倒で、イヤホンをして、好きな音楽を聴いて日々をやり過ごしていた私の目の前に突然、柊由真が現れたのだ。
由真だって多分私と同じで、イヤホンはしていなかったけれど窓の外を見てぼんやりしていて、誰かと仲良くなろうとしている気配はなかった。けれど特に寂しさを感じてもいなさそうで、それよりはここを飛び出して何処かに行きたがっているような、気が付いたらいなくなってしまいそうなその気配が気になっていた。
そんなある日、由真が校庭の片隅の桜の木の片隅に佇んでいるのを見つけた。由真の端正な横顔には白い桜の花弁が良く似合っていた。それはまるで一枚の絵のようで、私は由真に気付かれないようにその様子をずっと眺めていた。花見と言うには思い詰めているようで、だからといって今すぐそこで首を括るつもりには見えなくて、どうするかわからないからずっと見てしまう。暫くすると、由真は意を決したように桜の木を登り始めた。
高校生にもなって木登り――その行動は意表を突いた。由真は軽い身のこなしで太い幹を登っていき、幹が二股に分かれたところに腰掛けて上を見た。そんなことをしたら怒られてしまう。いや、子供みたいなことをして、と呆れられるのか。しかも制服のスカート姿なのに。少なくとも私には絶対にできないことだった。
私の足は誘われるように桜の木まで進んでいた。木の上でぼんやりしている由真は私に気が付いているのだろうか。その瞳に映っているのは花と空だけ。黒いはずの瞳が真っ青な空の色を映して、少しだけ青く見えた。
暫くそのままでいたけれど、さすがに自分でも自分の行動がわからなくなってその場を立ち去ろうとした瞬間、少し低くて、どこか甘えたような声が降ってきた。
「降りられなくなっちゃった」
そこまで切羽詰まった様子ではなかった。けれど眉は少し下がっていた。
「登るときはいけると思ったんだけど」
「……梯子とか取ってこようか?」
自業自得だと放り出すこともできた。けれどそんなことをするつもりはなかった。そもそも自業自得なんて思えなかった。
「うーん……多分こっから跳べるとは思うんだけど、不安だからそこにいてほしいなって」
「いるだけでいいの?」
「うん、そこにいてほしい」
ただいるだけでいいのなら。私は木から降りようと体をずらし始めた由真を見上げた。
「――せーの!」
そんな掛け声と共に、由真の体が宙に浮いた。結構な高さがある。本当に大丈夫なのかと気にしなければならない場面のはずなのに、私は本当に空が飛べるんじゃないかと思えるくらいに身軽な由真に目を奪われてしまった。
――天使がいるなら、こんな姿をしているのだろうか。
由真は見事に着地したけれど、勢いを殺しきれずにそのまま数歩進んで、私の胸に飛び込んできた。ほのかに柑橘系の香りがする。それが由真がつけている香水の匂いだと気付いたときには、煩く鳴り響く鼓動を止めることができなくなっていた。
「ありがと。えっと、名前なんだっけ?」
「……
「或果って、綺麗な名前だね」
その薄紅色の唇が私の名前を形作る様から目が離せなくなる。――それが紛れもなく、私の恋の始まりだった。
春が巡ってくる度に、由真と出会った日のことを思い出す。私が知る一番美しい季節と出会ったあの日のこと。それはたとえ由真がいなくなった世界でも変わらずに煌めいているのだ。
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