第5話


 その光景は、もはや人が引き起こした光景とは言えない。

 普通の人間が、素手で車を粉々にできる訳がない。


【その拳術…、その髪…、まさか君は…龍子のアムールか?】

「・・・その名前を他人の口から聞くのも久しぶり…」


 アムール…?

 その名前を頭に思い浮かべると、ズキッと痛みが走る…。

 頭の中を、無いはずのモノを有ると信じ、記憶の底を何度も何度も探し出そうとひっかいてるような感覚だ。



【だが…だがあり得ん…。アムールは、勇者の…前世での片翼の名…。勇者ありきでしか存在できぬお前が…、勇者として覚醒していない片割れの横に立つなど…、そもそも何故…君は記憶を…前世の記憶を所持しているのだ? 輪廻転生の輪に溶ければ…、必然としてその記憶も魂から洗い落とされるはず…】

「私の事よりも…さ。いい加減、姿を出したら? 人と話をする時は面と向かって目を合わせながら…てお母さんに教えてもらわなかったかな? それとも、神様を名乗って長々と1つの生を行き過ぎたせいで、産みの親の事も忘れちゃったの?」

【・・・】

「そう…、じゃあいい…。そんなにかくれんぼがしたいなら、見つけてあげる…と言っても、どこにいるのかわかってるのに、かくれんぼも何もないんだけど」


 そう言って、愛佳姉ちゃんは溜め息を吐く。

 そして、学園の方…その塀の一点に視線を向け、ジッと…何かを待ち続けた。


「すべては偶然だと思ってる? 神である自分が、他人に見られる訳が無いって…。私の目が見てるのは、はったりで…、本当は何も見えてないんだって…思ってるの?」

【・・・】

「笑止…。そうやって言葉を返す事もしないのは、肯定しているのと同じよ?」


 瞬く間に目の前から姉ちゃんは消えた。

 気づけば、姉ちゃんは…さっきまで見ていた塀の場所まで移動し、突き出した左腕で、人の首根っこを掴んでいる。

 それと同時に、石のように固まっていた体に自由が戻った。

 四つん這いだったにも関わらず、脱力感が体を襲い、その場に倒れ込む。


【な…なんだ…。アムール…、君にそんな力は…な…無かった…はず…】

「力…か」


 脱力する体で、何とか体を起こす…、姉ちゃんが掴んでいたのは、スーツ姿の男の人…、それは、さっき校門を抜けた時に目にした人だ。


「どの事を言ってるの? アムールとしての…極限…拳闘士としての力…? それとも…万物を捉え…逃す事のない獣王の眼の事? それとも・・・誰よりも…如何なるモノよりも速い足…瞬脚の事?」

【何故…君が、その能力の事を知っている? それはどれも君のモノではない…、眼は君より3代前の片翼が到達せし極限の1…。その足は…5代前の…、いずれも君が持ち得ぬ力だ。記憶と同じだ…、輪廻転生の輪に落ちた魂が、来世で引き継ぐモノなど何もない。…無いはずなのだ】


 姉ちゃんが掴んでいた男の体は霧散して消える。

 その時、今度は路線バスが僕に向かって突っ込んできた。

 体を縛るモノはもう何も無いけど、体に力が入らず、立ち上がる事すらできない今の僕では、それをどうにかする力は無い。

 この状況を理解できる頭を僕は持っていないけど、これだけはわかる…アレに突っ込まれたら…僕は死ぬ。


「理解できないモノを相手にするのはイヤ? それにしたって強硬手段が雑じゃない?」


 歩いてくる…走ってくる…、僕の前に来る手段なんていくらでもあると思うけど、愛佳姉ちゃんは10メートル以上離れた僕の目の前に、一瞬で現れる。


「唸れ竜魔ッ! 轟け虎咆ッ! 穿てッ! 龍虎剛拳ッ!」


 僕の知る限り、姉ちゃんが格闘技の類を習っていた…なんて話は聞いた事がない。

 でも、僕の目の前の姉ちゃんは、よくわからないけど、まるで演武でもするかのように、柔らかな体の動きを見せる…、すると…、こっちに突っ込んできたバスが青い靄のようなモノに包まれたかと思えば…、その速度を落とす…そして、姉ちゃんは、そんなバスに突っ込み、見事に腰の入ったパンチを打ち込んだ。

 結果…、一瞬にして…まるでバスに鉄球を何度もぶつけたかのように弾き返されながら、粉々に…元が何だったのかわからなくなる程の残骸へと変えた。


「私を見ろッ! あなたの相手はこの私だッ!」

【なにッ!? このッ!!】


 再び、何かに操られたかのように宙に浮いた車が突っ込んでくる…。

 でも、今度は僕の方じゃなく、その車の目標は姉ちゃんの方に変わっていた。


【その力は…、偉大なる愚者の案山子ッ!? それも私に影響を及ぼすほどの効果を持つモノを…、拳闘士ごときが使えるはず…。見えん…、君ではないのだ…私が見るべき相手はッ!?】

「やっとたどり着いたこの奇跡…いいえ、自分の私の力で成し遂げたそれは…現実に存在するコレは、もはや奇跡にあらずッ! あるモノは決定されていた運命そのモノッ! なら…、私はその運命を守り抜くために、自分が持っている全てを使い潰すだけッ!」

【邪魔だあぁーーッ!!】


 愛佳姉ちゃんが何かをする度に、その声の主の機嫌は酷くなり、口調も荒々しくなっていく。

 この状況を作り出したその声の主は、そんな事ができるのだから、何でもアリな力を持っている…、それを出し惜しむ事を止めたのか…、ゴゴゴッと地鳴りを響かせて、地面を揺らす。

 その光景はまるで、RPGのラストバトルステージのように、地面は割れ、宙に浮く、さっきまで僕達がいた場所は、校門前の見慣れた光景は、見る影もなく、まるで1つの別世界へと変わった。


「周りに割いていた余分なリソースを、全部私を消す方に回す…て感じ?」


 この状況に、混乱の末、頭こそ冷静さを残しているものの、僕の体は恐怖のあまり、ゲームのコントローラーのように震えた。

 でも、こんな状況ですら姉ちゃんは動じる事無く、むしろ、どこから湧くのか…その自信が溢れんばかりに胸を張った。



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