第3話


…ゴメン、部活の助っ人でもう少し時間かかりそうなの、だからお願いっ、もう少し待ってて。絶対だよ? 一緒に帰るんだから、先に行っちゃやだからね…


 そんなメールを愛佳姉ちゃんから受け取った僕は、何気なく足をグラウンドへと伸ばす。

 女子のサッカー部の練習試合…、愛佳姉ちゃんは、その部員の中に混じってボールを追っていた。

 そこまで強くない部活だから、部員も少なく、それでもできる限り試合には勝ちたいから…て、助っ人として呼ばれたらしい。

 他の人なら適当な理由を付けて断る事にも、積極的に協力する。

 運動部の部活から、運動系以外なら生徒会とか、その手を伸ばす方向も多く、学園への入学後、中等部の頃からそんな事をしていたと知って、僕は驚いた。

 聞いた事ないし、そういう事をしてる素振りとか…疲れを見せる事もなかった。

 あちこち動いてるのに、時間が合う時なら、必ず僕が通ってる小学校まで、学園から直行してた…、あの頃はまさかそんな忙しい日々を過ごしているとは思う訳が無い。

 断らないからと周りも姉ちゃんを頼りにし過ぎだ。

 僕が学園へ入学してからは、同じとこに通う以上まだマシだけど、それでも逆に助っ人とかを目にするようになって、心配な事が増えた。



「さすがに運動中は眼鏡取るか」


 他の部員たちよりも、頭1つ分抜けた動きをする姉ちゃんは、眼鏡を外し、最近では見る事の少なくなった素顔を晒している。

 一昨年だったっけ、あの眼鏡をプレゼントしたのは。

 眼鏡と言っても、実際の所、あの眼鏡に度なんて入っていない。

 そもそもアレはPC眼鏡で、常につけるようなモノじゃないんだ。

 昔から一緒に居る事が多くて、テレビゲームで遊ぶ事が多かったから、学園に入学した時、ちょっと大人びた事をしたいと思って、誕生日にプレゼントしたのがアレ、まさか、それ以来毎日肌身離さず付け続けるとは…、その時の僕は思っていなかった。


 僕は姉ちゃんにコレと言って、特別な事をした…て記憶は無い。

 自分がそう思ってるだけで、他人からしたら…お前変だぞ…と言われるような事をしてたとしたら、もうそれはどうしようもないけど、やっぱり思い出す範囲には無い。

 普通に考えておかしいだろ…て事と言えば、基本は向こうからしてくるのだ。

 周りの目を気にせず抱き着いてくるのも(さすがに学園内ではさせないけど…)、この歳になって一緒にお風呂に入ろうとするのも(入らせないけど…)、僕からではなく姉ちゃんから…。

 なんでそんなに、僕に対して好意的なのか…、それは一生かかっても解明できない謎かもしれない。



「さむ…」


 終わりに近いとは言え、まだまだ冬が運んでくる風は肌を刺す。

 首に巻いたマフラーに顔を埋めながら、再びグランドの方へと視線を向ける。

 練習試合は後半…、もうすぐ終わる頃合いだ。

 こんな寒い中、体を激しく動かすからと言っても、ユニフォーム姿で走り回っている姉ちゃんの姿は、自分まで冷えそうな寒々しい姿…。


「しかたない…」


 空はもう夕焼けを通り越して夜を作り始めている。

 最近、あったかくなってきたから…と、調子に乗って手袋を持って来なかったのが、ちょっとだけ仇になった。

 指先から痛みを覚え始め、我慢しきれなくなってソレをコートのポケットへとしまう。

 そして、僕は校門を抜けた。


「ん?」


 時間も時間なだけに、部活動を終えて帰路に着く学生がまばらにいる中、校門前、道路を挟んだ反対側に自然と目が行った。

 特に何の変哲もない住宅街だけど、その歩道に学園を見続ける男性が1人…。

 パッと見、スーツ姿にコートを着て、それっぽい鞄を持った…多分サラリーマンの男性…、特にオカシイ事もないはずなのに、なぜかその瞬間だけ、その男性の姿から目が離せなかった。

 なんという事は無いはずなのに、何故だか体に緊張が走る…、ついでに言えば、恐怖さえ感じたかもしれない。

 男性と目が合いそうになるその刹那、見るな見るな…と、必死になって視線を背ける。

 その後からは、何故かその人の事が気になるという事はなかった。


 今向かっているのは、一番近いコンビニまでだけど。


 コンビニについた頃には、赤く焼けた空は真っ暗な闇へと変わって、コンビニの街灯に眩しさすら感じる。


「肉まん2つください」


 ホッとココアに肉まん…、その組み合わせは、我ながら食べ合わせとしてどうかと思うけど、そこはまあいい…、腹を空かせて、体を冷やした姉ちゃんに差し入れをする…、それが目的であり本命だから。

 まぁ肉まん1個、僕が食べるんけど…。

 言われた通り、律義に待つけど、それだけでも悲しきかな…お腹は空くんですよ。

 買った肉まんをペロッと平らげて、腕時計で時間を確認してみれば、もう試合は終わって帰る準備を始めてる頃合いだ。

 時間調整は完璧である。

 今朝の寝坊はともかく、普段から時間には正確であれ…と、耳にタコを作りながら姉ちゃんに言われ続けた賜物と言うモノだ。

 タイミング的にも、買ったモノをあったかいまま届けられる状態で、なかなかにできて自分が誇らしい。

 そんなどうでもいいような些細な事でも、何故だか嬉しくて、学園へと戻る自分の足は弾み、意味も無くテンションを上げ、差し入れをした時の姉ちゃんの顔を想像すると、自然と頬も緩んだ。


 外は街灯を頼りに進まなければいけない程に暗闇が溢れる中、校門近くの交差点に差し掛かった所で、横断歩道の前に立つ姉ちゃんの姿を見つけた。


「姉ちゃん?」


 いつも校門近くで待っている自分を探してたりしたのか?

 でも、今の姉ちゃんは学校の方ではなく、自分がいる方で信号を待っている。

 背中をこちらに向け、僕と同じ方向から学校に向かっているような立ち位置だ。

 いくら姉ちゃんでも、僕の姿が見えないからって学園外まで探しには来ないと思うんだけど…。

 それでも、姉ちゃんの行動には予測不可能な点がいつもあるし、今回もその中の1つ…と自然に自分の中で消化してしまう。

 なんにせよ、本人がそこに居て、赤信号が変わるのを待っている…、校門で待ち続けたり、最悪探しに行ったり…、そういう事をする必要が無くなったのは嬉しい限りだ。


「愛佳姉ちゃ~んッ」


 僕は小走りに姉ちゃんの方へと近づいて行く。

 こっちの声に気付いたのか、姉ちゃんを振り返った。


 違和感を覚えた。


 いつもの元気な笑顔を向ける姉ちゃんだけど、その時の顔には、元気の欠片すらなく、まるで、感情と呼べるモノが無くなったかのように、静かなモノだった。

 助っ人がそれだけ疲れたのか…、それとも、少しコンビニに行っていた事を怒ってる?

 愛佳姉ちゃんのその雰囲気に、違和感は徐々に不安へと変わっていく。

 そして、そんな僕の心境を、さらに悪化させるかのように、姉ちゃんは前を向き…ふらっと動き始めた。

 僕の方ではなく、道路の方へと…。


「姉ちゃん? ・・・姉ちゃんッ!?」


 最初はどういう事なのか理解できなかった。

 暗くなっていたとしても、車の行きかう道路だ…、場合によっては運送業の大型トラックだって通るのに、何を血迷ったのか、その道路の方へと歩き始める。

 赤信号の横断歩道を行くのを、理解できない…、わからない…。

 小走りだった足も、気づけば本気の走りへと変わり、姉ちゃんの方へと手を伸ばす。

 怖いぐらい…、姉ちゃんの体は車のライトで照らされる。

 間に合う…間に合う…。


「姉ちゃんッ!」


 状況を理解できなくても、その行動を理解できなくても…、自分がやらなきゃいけない事は…、頭で考えるよりも早く、体がやってくれる。


 ふらふらと歩く姉ちゃんの手を、僕は掴む。

 視界の端の車のライトは眩しく、頭の中では、早く早く…と姉ちゃんを歩道の方へ動かせと、自分の心の声が叫び続けた。


 でもできなかった。


 その手に掴んでいたはずの姉ちゃんの手は、まるで霞みでも掴もうとしたかのように消え、逆にその僕の手が掴まれる。

 そして、僕の体は道路の方へと引き寄せられた。

 完全に車道へと出た体は、今度は動けなくなるぐらい重くなる。

 嫌だ…嫌だ…。

 僕の体を照らすこの明かりは…、決して道を照らす街灯なんかじゃない…。

 半ば転びそうになって、堪えはしたものの体勢は崩れて、僕は車道に膝を付く。

 もう、手を掴まれているような感触は無いけど、何がどうなっているのか、これは夢か何か?

 僕はそこに存在しないモノでも見ていたっていうの?

 体が動かないのは何?

 腰でも抜かした?

 立ち上がる所か…、体を支えるために地面についた手すらも…動かない状態が?

 分からない…分からない…。


 自分に迫る車のライトで視界が狭まる中、そんな中でも夜の闇のおかげか…はっきりと見える歩道の赤信号…、そしてもう1つ…、さっき校門を出た時、妙に気になった男性が、僕の方を見て…、笑っていた。


 その瞬間、ドカンッ!ガシャンッ! …と、普段聞く事のない…聞き慣れない音が、あたりへと響いた…。



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