第7話 ありがたくない現実 (3)
(ん……?)
それはかなり小さくて、人形の両腕とドレスの襞に囲まれていたために見えなかった。今は片腕が投げ出され、その隙間から何かが見える。上部に丸い取っ手があり、黒色の笠部分があり、四面の分厚いガラスがあり……そこまで見て、達哉の中である情報がつながった。
「……ランタンドール……」
「え、なんだって? 達哉君?」
「ほう、知っておったか」
にらみ合っていた二人から異なる反応が返ってきた。疑問と確信、それは達哉をさらなる混乱に陥れた。
「え、どうして、これ…? 嘘、だろ?」
「達哉君、こっちを向いて。ランタンドール? て、なんだい?」
「あれは、ネットの噂でしか、ないはずなのに。そんなことって」
「達哉君!!」
両肩をつかまれ、ゆすぶられて達哉は正気に返った。必死になった一馬の顔のドアップが正面にある、その衝撃が凄すぎた、という方が事実かもしれない。
「ランタンドール、だっけ? それは何の話だい?」
「俺もネットの中で聞いただけで…道に迷った人間が、夢の中で出会うと道を指し示し、それに従うと迷いが晴れる、そんな噂がある…としか」
「ふぉっふぉっふぉ、小僧の方が知っておるとはな。やはり儂の目に狂いはないの」
「どういう意味ですか、それは」
かみつくような勢いで一馬が問いただす。対して安西翁は涼しい表情だ。
「西洋に流れる伝説のひとつで、『ランタンを抱えたビスクドール』というのがある。道を踏み迷い、行き先を見失ったものの前に現れる、アンティークドール。その手にあるランタンから光が伸び、指し示す方向には希望がある、とな。ただ、どのような条件で現れるのか、対価が必要なのか、何もわかっておらん。そんな人形が実際にあるのかも、な。だが」
安西翁の目が達哉を見る。獲物を見つけた猛禽類のようだ、と内心冷や汗ものだ。
「どうやら小僧がその目印のようじゃな」
その後、食事をごちそうになった二人は、来る時と同じ車で返された。一馬の店の前で降りた時、陽はすでに西へと傾きかけており、ドライブ先がかなりな遠方にあることをうかがわせた。
「桐生様、これを」
道路に降り立った時、案内してきた男性が目の前へ差し出してきたのは小さなキーホルダー。無言で見下ろす一馬に、
「大したものではありません。連絡用です」
「何のために?」
「もちろん、何か起こった時の報告のためですよ。主に報告があるときはボタンを押してくださればお迎えに上がりますので」
一馬の手に握らせると一礼して車に乗り込んだ。見かけは普通の車影を見送り、二人して家に入る。一階の奥の小部屋は連れ出された時のまま、時が過ぎていた。
無言のまま達哉は腰を下ろし、隣に人形を置く。一馬もまた声を出すことなく動いてお湯を沸かし、お茶を入れ始めた。
手順を踏んで入れられた紅茶は薫り高く、のどを通る熱さに疲れが溶けた。今朝の巻き戻しに思わず笑いがこぼれる。見れば一馬も同様だ。
「やれやれ、大変な一日になってしまったねぇ」
「すみません、一馬さんを巻き込んでしまったようで……」
「いやいやいや、元はと言えばあの展示会に引っ張っていったのが原因だろ? 僕の方が巻き込んだんじゃないか。謝ることはないさ。けれど、きっかけは何か、判明してないよね」
「それなんですけど、俺、何も思い当たることがなくって…」
「うん、まあそれはこれからの話だね。何にせよ、まずは兄さんたちに連絡を取って見るか」
店舗用の電話を手にすると、一馬は連絡を取り始めた。
「…もしもし、あ、義姉さん。ご無沙汰してます。……ええ……そうです……いえ、こちらが達哉君をお借りしたんですから……そんなことは……ああ、はい……あ、今夜もちょっと……いいですか?……え?今は僕の店ですよ。ついさっき戻ってきたので……あ、代わりましょうか?……そう、ですか……はい、わかりました……じゃ、そうします。はい、兄さんによろしくと伝えてください」
達哉は椅子の上でだらけていたが、やり取りが終わったタイミングで振り向くと、手の中の電話を微妙な表情で見つめる一馬を目にした。
「一馬さん? どうしたんですか?」
「ああ、いや、相変わらずだな、と思ってな……」
「一馬さん……」
「あいつらが何て言ったのか知らないけど…家にいるはずの子供が見当たらないのに、電話もかけてこない。声を聴くことすらしないなんて、何やってるんだとむかっ腹がたったよ」
「兄貴が心配なんですよ、二人とも」
「……昨日も言ったけど、君も二人の子供だよ。優先順位があったらおかしいんだ」
「それでも、です。俺は五体満足で、元気ですから。兄貴があの部屋に入ってからもう一か月近くになるんです。その意味、分かりますよね?」
「タイムリミットが近い、って事か」
「この間、副医務長に呼ばれて聞かされたそうです。最終的な覚悟をしておいてほしい、と」
いかに最新の治療機器であろうとも、人体の限界はある。脳死判定ができないからこそ、かえって難しいのかもしれない。
「頭部の治療は済んでるんだよね?」
「それはもう。だからこそ余計にわからないんだとか」
「多分、精神的なものなんだろう」
「兄貴に悩みなんかなかったけどな」
「それは違うよ、達哉君。壮一君にもあったんだ」
一馬の言葉に驚いて顔を見ると、
「もう、かなり前になるけど。街で偶然会って飲んだことがあったんだ。その時にちょっとね」
壮一の顔色が良くなかったので、軽くショットバーで付き合ったらしい。
「息が詰まりそうだ、と言っていたな」
「兄貴が、ですか?」
信じられなかった。いつも穏やかで有能で、仕事をバリバリこなしていた壮一はあこがれだった。何の悩みもなく、毎日を楽しく過ごしているとばかり思っていた。
「周囲からの期待が重すぎて息が抜けない、どこまでやったらいいのか上限がわからない。そう言って寂しそうに笑っていたよ」
「………」
「特にご両親からの期待が大きすぎてつらかったようだ。どれだけやっても喜んでもらえず、逆にキミ…達哉君を追い込む原因になっているんじゃないかと心配していた」
「そんな……兄貴が…?」
「それは僕にもわかる。兄さんも義姉さんも偏りすぎだって、何回か伝えたんだけど、ね。あの二人にはわからなかったんだろうな」
「……」
「一体何がきっかけになったやら。あの時無理にでも聞きだしておけばよかったなぁ」
「兄貴……」
達哉にはわからなかった。だが、確かに昔を思えば、二人していたずらをしたこともあったのに。それがいつの間にか、優等生で模範生の兄になっていたのだ。
「俺が気が付かなきゃいけなかったのかな」
「それは言いっこなしだ。みんなで受け止めることで、独りが引き受けることじゃない。まだ時間の余裕があるんだ。もう一度考えてみよう、な、達哉君」
「はい…そうします」
「うん。じゃ、そうと決まったら、今夜はここに泊っていくといい。義姉さんにも了解を取ってあるし。疲れちゃったしな」
そういって立ち上がったタイミングで電話が鳴りだした。
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