第5話 ありがたくない現実 (1)
一馬は椅子から飛び上がるように立ち、机に両手を突いて人形を凝視した後、その目を達哉へと移した。
「た、確かにこれはあのときの展示作品だと…思う。端っこしか見えなかったけど、髪の毛や衣装からして間違いないね。で、でも、君…これを、どうしたん、だい?}
「ソレが分からないから俺も困ってるんすよ。なぜ、家にあるのか」
「言ってる意味がそもそも分からないよ? まるで、朝起きたらそこにあった、みたいな」
「それ、ドンピシャです」
「……マジで?」
「マジです。哀しいことに」
「…………」
「訳わかんないのは俺もです。あれからすぐに寝て、今朝、目の前にあるものだから、もうパニクっちゃって。ここまでとんで来るのがやっとだったんです」
何とか経緯を説明した後、沈黙が落ちた。
顔をしかめて人形を見やった一馬は、ゆっくりと椅子に腰をおろす。
「人形がひとりでに動いて、君のところにきた、のか。何を馬鹿なことを…と言いたいところだが。けれど、骨董品を扱ってると、説明のつかない事が起こるのもまた事実だからねぇ。ただ、問題はなぜ君のところへ来たのか、だよ」
「俺のところへ来た、理由…」
「きっかけは間違いなく昨日の展示会。だが、そこで出来た繋がりなら、僕だって…いや、あそこに来ていた全員が同じ条件のはずだ。なのに、現れたのは君の家。それも、寝ている君のそばときたもんだ。一体何がそこまで呼んだんだろうか」
「全くです。そのわけを知りたいのですよ、こちらとしても」
「「??!」」
突然割り込んできた声に振り向いた先には…
「お邪魔させていただきますよ、桐生一馬様。それと、甥御さま、でしたね?」
「あなたは……昨日の…?」
そこにいたのは展示会場の前で確認をしていた男だった。世間的にはまだ早朝といえるこの時間に、見事なまでにきっちりとスーツを着こなして、あまつさえ、手にあるのはシルクハットならぬピストルが。
「お目に入ってますよね、これが。おとなしくおいでいただけると助かります」
「………」
「いえいえ、別に乱暴なことをするわけではありませんよ。いわゆるボディランゲージです」
「それ、言葉の使い方間違ってると思うんだけど…?」
「ですから、『いわゆる』ですよ。一般的ではないと存じてますから」
「…一馬さん、これ、逆らっちゃダメな展開だと思う、よ」
「奇遇だね。僕もそう判断した」
「賢い選択をして下さり、ありがとうございます。ではお二人ともこちらへ」
顔を見合わせてため息をひとつこぼし、席を立つ。二人に選択の余地はない。
穏やかだが有無を言わさぬ誘導で外に出ると、黒塗りのリンカーンが横付けされた。
「さあ、どうぞ」
促されて後部座席に収まる。こんなシチュエーションじゃなきゃ高級車にもときめくんだろうなと半ば現実逃避をしながら、達哉は抱えてきた人形を自分の横に座らせたのだった。
スモークの張られたサイドガラスにカーテン(それも黒…)のため、どこを走っているのか二人にはわからなかった。クッションが効いているので体が跳ねることはないものの、かなりの長距離を移動していることは感じられる。ゆったりした車内ではあるが、声を出すこともはばからせる雰囲気があった。
二人を案内の名目で拉致してきた男性は助手席に乗り、同じような男性がハンドルを握っている。前部とは仕切りがあり、後部の窓もカーテンが張られているためはっきりとはわからないが、どうやら追随してくる車もいるようだ。
(どんだけ警戒してるんだよ……)
心の中で毒舌を吐きながらもその重厚な警備に恐れを抱く。一体どのくらいの資金力を持っているのか想像がつかない。そんな相手がなぜ…?
(まあ、理由ははっきりしてるよな…)
ちらりと自分の横を見下ろす。一馬との間に挟まっているソレ…ビスクドールが原因に決まっていた。
と、唐突に、
「どこに行くのか、教えてもらえますかね?」
一馬が声を発した。前部の二人に聞こえたような気はしないが、そのまま言葉をつなぐ。
「僕は一人暮らしだから特に問題ないけれど、達哉君はご両親と暮らしてる。今朝にも戻ってきて達哉君の姿がないと心配すると思う。せめてどこにいるのか、何時ごろに戻れるのかくらいは連絡したいんだが」
そのまま無言が続く。かと思いきや、
『その点は心配いりません。この車に移動された時点で、各方面への手配は終了しております』
二人の中央付近にある位置から、案内してきた男性の声が聞こえてきた。おそらくその辺りにスピーカーが設置してあるのだろう。
「ああ、そう……ちなみにどこに行くのかは秘密かな?」
『…いえ、そうですね。それくらいは大丈夫かと。今から向かうのは総帥のおられる別荘です。もうしばらくかかりますので、お楽にどうぞ。このスピーカーの下にドリンクホルダーがありますので、のどを潤しながらお待ちください』
「はぁ~、至れり尽くせり、てところかな。どれ」
(慇懃無礼、の間違いだと思うけど…)
そうおもいつつも、一馬の渡してきたペットボトルを手にする。その時、
(飲むんじゃないよ。フリにしときなさい)
耳元でかすかに響いた声に手元のボトルを見ると……ふたに細工がしてあるように見えた。
これはいただけない。達哉はそのままボトルを目の上にあてた。
「眠いのかい、達哉君?」
「あまりの展開に少々頭痛がするんすよ。これ冷たくてちょうどいいですからね」
「そうだね、それは言えてる、かな」
横目で一馬をうかがうと苦笑が返ってきた。どこに盗聴器が仕込んであるかわからない以上、ここでまともな話は期待できない。文字通り、沈黙は金、だ。
会話が途切れる。誰もが押し黙ったまま、車はどことも知れない場所を目指してひた走った。
体感時間で1時間ほど移動しただろうか。今、車は鬱蒼とした森の中を走っている。濃い緑の樹々に遮られ、陽射しが落ちてこない。そのため、スモークのかかった後部座席は一段と暗かった。
達哉はボトルを首筋に乗せた。時間経過による温度上昇で最初のような爽快感はなくなったが、ひんやりとした冷気が首から広がって意識がはっきりした。
薄闇に沈んだ世界ではともすれば睡魔に囚われそうになる。ここで眠りにつくのは悪手でしかない。隣の一馬も気を紛らわすように首を回したりしている。
周りの様子を見ているうちにふと、夢の光景を思い出した。
ここのような薄闇ではない、漆黒の闇。その中に浮かぶガラスケースと外れていくチェーン。そして相対したドール……。
(あれ?)
内心で達哉は首をかしげる。何か違和感があった。たかが夢だと思うものの、その違和感は強烈で…。
(確か、この人形の瞳…濃い緑色、だったよな? でも、夢じゃ深紅だった……)
解けない謎を見出したようで達哉はげんなりした。何より相談相手の一馬と話すこともできない今の状況にいらだちが募る。有無を言わさずに連れ出され、何の情報も与えられずにどことも知れない場所へと移動していることに、叫びだしたいほどの焦りを感じた。
その時、車が揺れた。石でも踏んだようなわずかな振動だったが、思わず座席に置いた達哉の手に軽く何かが触れた。
下を向くと、そこには人形の手があった。握りしめた手の上に、まるでなだめるかのように乗った小さな手。偶然、かもしれない。だが、その有様に圧力が高まっていた達哉の心が静まった。
深呼吸して前を向くと、緑のカーテンがまくられたかのように前方が明るくなった。ウィンドガラス越しに建物が見える。あそこが到着地点だろう。横の一馬が大きく息を吸ったのが聞こえた。
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