第4話   夢と現の邂逅

 ふと、誰かに呼ばれた気がして、達哉は目を開けた。


(って、うぉぉっ!?)


 そこは、闇。

 夜、ではなく、塗り潰したかのような、闇一色。

 自分が自分でいられるのかすらも定かではなくなるくらい、濃密な世界にいた。

(どこだ、ここ……? 俺、何してるんだ…?)


 確か、二人で食事して、家に帰り着いて、それで寝たんだよな、そうだよな。

 現実逃避してあわあわしていた達哉の前に、何かが現れた。


 ぼうっと、蛍火のように、写し絵のように。

 もしくは……影絵のように。


 それはゆっくりと、着実に、立体感を持ってひとつの像を結んだ。

(え? これって……アレ、だよね? 今日見てきた、あの作品…?)


 四方に赤外線センサーを張り巡らし、チェーンで封印されたガラスケース。

 記憶にあるままのそれに、余計に混乱する。

(え、俺って夢に見るくらい、アレに惹かれてたの? イヤイヤイヤ、俺にロリコン趣味はないぞ? ない…はずだ。ない………よな? そんな、うそぉん)


 気づいていない性癖に目覚めたかと一人パニックに陥った目の前で、事態はさらに動く。

 何も触れた様子がなかったのに、甲高い音を立てて頑丈な南京錠がはずれ、やっと中が見通せるようになった。


 そこにあったのは、優美ないすに腰掛けたアンティークドール。クラシカルな衣装に身を包み、金髪を波打たせた精巧なビスクドールだが、華奢な肢体にすら銀色のチェーンが幾重にも巻きつけられた有様は異様だ。


(あの時は一部しか見えなかったけど、衣装やいすの肘掛部分から見ると同じものだよな。へえ、目が瞑れるようになってるのか。相当手間掛けてる作品……って、手に持ってるのってあれ…何だ?)

 目を細めてよく見ようと一歩踏み出したとたん。


 金属的な音を響かせた後、チェーンはジャラリといすの足元に崩れ落ちる。

 とどめとばかりに、ガラスケースの前面がかすかに軋みをあげて揺らぎ、ゆっくりと外側へ開いていく。

 踏み出した足をそのままに硬直した達哉。その目線の先にあるのはビスクドール。

 閉じられたまぶたが徐々に持ち上がり、達哉とビスクドールの視線がぶつかった。


(……深紅の…瞳…?)

 瞬間、達哉は紅の世界に包まれた。


 と言ってもそこに熱さはなく、きらめいて揺れ動き踊るそれは、いつか見た秋の山を思い起こさせた。

 全山が紅葉で覆い尽くされ、黄金色の陽射しに照らされる。かと思うと、冬の先駈けとなる北風にあおられてどよめく。子供心にも強烈なインパクトを覚えたが、今回は更にその上をいく衝撃だった。


 思わず後ずさったが、その色彩は一瞬で消えてしまう。気がつけば、ドールが自分を見つめて目の前に立っていた。

(え……動いたぁ? まじで?!)

 衝撃に次ぐ衝撃で思考が意味を成さなくなり、引きつったまま達哉はドールを見つめた。


 すると…不思議なエコーのかかった声が響いた。

『やっと見つけた…クロノス。…そして…お主が保有者じゃな…』


 ドールの口元が動いてVの字になったところで、達哉の神経が焼ききれた。


(…も、だめ、俺……限界…)


 これ以上のショックを回避するために、ブレーカーを落として意識の闇に文字通り転げ落ちていく。もうお腹一杯だった。




「う? ま、まぶしい…」


 まぶたにちらつく光を手でさえぎりながら辺りを見回す。カーテンの隙間から入ってきた朝日がまともに当たったようだ。

 おまけに節々が痛い。あのまま寝入ったのがまずかったか。


「ふぅ、おかしな夢を見たもんだ。やっぱ刺激が強すぎたかな~」

 一般の高校生には縁遠い世界だったからな、と大きく伸びをする。パジャマにすら着替えずにいたことに苦笑いがこぼれた。


 今日は学校も休み。いつもなら夜遅くまでネットにもぐっているのだが、昨夜の経験はやる気をごっそり奪うほどの疲れをもたらしていた。

「さてと、朝メシでも作るかな。何があったっけ……ん?」

 弾みをつけて起き上がった拍子に、違和感を感じた。


 自分の部屋なのに、何か違う……?


 首をそろりと巡らせて確認……するまでもなく、ソレ、はあった。

「!!き、昨日の、は、夢、じゃ、なかったっ?!」


 窓に向けておかれた机の前。

 帰宅したままに投げ出されたカバンが乗った椅子に。

 ビスクドールが、座っていた。

 深い森林の瞳が朝日のなかできらめいていた。




 ドンドンドン!どんどん!

「か、一馬さんっ!俺です、達哉です!起きて下さいっ!!」


 ドンドン!!ドンドコドン!!


「ふゎい~~? って、達哉君~? 一体どおしたってぇ?こんな朝早くに。しかもさあ、その大荷物はなに……家出でもする気かな~?」


「すみません、一馬さん。でも、どうしていいのかわかんなくて」

「?? ま、何にせよ、中に入って。話を聴くよ~?」


 新町にある『アンティークショップ 雅(みやび)』。一馬は一階を店舗に、2階を居住用にしている。もっとも、趣味で集めている骨董品が居住区にまで雪崩れ込んでいるため、店舗との境界があいまいになっているが。

 一馬は一階の奥にある小部屋へ達哉を誘導した。営業時間中にはここが一馬の待機もしくは休憩場所となる。作業用の机と工具置き場、修理中の小物があちこちにあって雑然としているが、達哉はこの部屋の雰囲気が好きだった。


「ごめんよ、散らかしてるけど、そこらへんに座って待っててくれるかな」

 電気ケトルが軽快な音を立てて湯気を上げる。普段とは違う繊細な動きで茶葉を量り、ポットにティーコジーをかぶせてタイマーを仕掛ける。早朝の陽射しがカップのふちにたまり、香りが広がっていく。金色の輪のできたカップを二つ机に載せ、一馬は達哉の正面に座った。


「さあどうぞ。まずは落ち着いて一杯、だね」

「いただきます」

 温度調節された紅茶がのどを潤してじんわりと通り過ぎ、目覚めてからの焦りを溶かしていく。


「さて、少しは落ち着いたかな。何事だい?」

「……昨日行った『安西コレクション』でおかしな展示物があったの、覚えてますか」

「たぶん、クサリが巻きついていたアレのことだよね」

「そうです。中身が何か、見てますよね」

「うん、不思議な展示だったね。ビスクドールだとは思うけど、形状は詳しく分からなかった」

「それで、ですね…」


 そこでおもむろに持参したバッグを開け、両手でソレを持ち上げて自分の隣に置いた。

「これ、だと、思うんです」

「え? は? た、達哉、君……それって、えええぇぇっ?!」


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