第2話   おかしな展示会 (1)

 夕闇が迫りつつある町の商店街を抜けるところで、達哉は知った顔を見つけた。

(あれは…)

 家に向っていた足取りがコースを変える。道を横切って左手の児童公園に近づいた。もともとそんなに大きな公園ではないのだが、時間が時間だけに子供の姿はもう見られない。


 ブランコの横でなにやらカップルがもめていた。横を向いた女性に男性が何か頼み込んでいるように見える。

 達哉が公園に入ったとき、女性の声と音が響いた。


「…だから、無理って言ったでしょ!? 駄目なものは駄目なのっ!!」

 達哉が思わず木の陰に隠れてしまうほどの迫力を持っていた。

 そのまま女性は反対側から出て行ったようだ。そっとのぞいてみると、頬をなでながら男性は肩を落としている。


「一馬さん」

「うおおぉっ!?」

 かけられた声に慌てたのか、よろけながら振り向いた顔にはしっかりと張り手の痕。

「また何やってるんですか、こんなところで」

「お、驚いた、達哉くんか。えらいところ見られちゃったなぁ」

「毎度の事でしょ、この程度は」

「そう言われると返す言葉がないけどね」


 照れくさそうに頭をかく男性は桐生一馬きりゅうかずま。達哉の叔父でもあるのだが、まだ独身でもあるせいか妙に言動が子供っぽい。叔父さんと呼ばれることに猛反発し、初対面から名前を呼べと主張してきた癖がいまだに抜けずに達哉は「一馬さん」で通してきている。


「また蛍子さんとけんかですか」

「はは、そんなつもりはなかったんだけどねぇ」

「いい加減にしないとほんとに振られちゃいますよ」

「そ、そ、そう、かな~」


 今しがたまでここにいた女性は桂川蛍子かつらがわけいこ。一馬とは大学の先輩と後輩で知り合ったとかで、長い付き合いになる。

このふたりが何故結婚しないのかはよくわからないが。


「今回の原因はなんなんです?」

「ん~、それがねぇ…って、そうだ! 達哉君!!」

「はい?」

「女になってくれっ!!」

「……は?」




「何度も言いますけど、俺、女装の趣味ないですよ?」

「わかってるよ。今回だけは特別だって。それにしても…君、似合うねぇ」

「……帰らせてもらいます」

「わわっ、冗談、冗談だよ」


 小声で囁きながらホテルの廊下を進む二人。その前方には受付が見える。

 真っ白なクロスがかけられたテーブルの向こうで礼服を決めた若者が前に立つ人々の何かを確認していた。


「ったく、どういう暇人なんですか、ここの責任者は」

「達哉君は知らないかな、安西三善左衛門を」

「さあ……聞いた事ないっすね」

「じゃ、安西グループは?」


「それって、『揺り籠から棺おけまで』とかいうコンセプトで事業を展開しているあの安西コーポレーション…?」

「ああ、そうだよ。三善佐衛門はそこの総帥を…今風で言えばCEOを勤めてるんだ。今回の展示物のほとんどは彼が出品している」


「要するに金持ちのコレクション自慢ですか…本当に帰りたくなったな」

「そういわずにさ、頼むから付き合ってくれよ」

「それで、何で俺が女装する破目になるんです?」


「展示会場に入るための条件になってるんだよ」


「へえ?」

「入場者はカップルのみ。ただし、どちらかは性別を変えた扮装にすること、とね」

「……何なんですか、その条件……」

「変わってるだろ? だからこそ面白いんだよ」

「変わりすぎですよ……」


 それは蛍子さんでも嫌がるだろーな。その思いが、ため息となる。

 彼女に男装が似合わないわけがない。逆に似合いすぎるからこそ、本人が拒否するのだ。

 3年間の女学校時代に彼女へのラブレターで靴箱が使えなくなったことを知っている自分だからこそ、うなずけた。

 そんな過去がある相手に男装を頼むとは。達哉は走り出さんばかりの叔父を半目で見る。


「……どーしてこんなよれよれ男がいいのかな、蛍子さんは?」

「達哉君、その言い方はひどいじゃないか。ボクへの偏見に満ちているよ」

「蛍子さんに同情しているんですよ、俺は」


 男女の仲って分からない。そう結論付けて考えるのをやめた。

 うつむいた拍子に、栗色の巻き毛が頬にかかった所為でもある。

 視線をずらせば、レースの縁取りがついた紺色のチュニックに同色のストレートパンツ、頭には黒いスカーフをめぐらせた帽子を載せ、同色の手袋を身に着けている。

 何のことはない、ふた昔前の未亡人コスプレである。これでも相当達哉は抵抗したのだ。

 連れ込まれた貸衣装屋の店員が面白がって、いろいろ着せ替えた中で何とか妥協できたのが今の状況だった。


(ったく、長いタイトスカートなんか持ち出してくるなよな、あの店員は)

 やや遠い目になったところで、受付にたどり着いた。


「いらっしゃいませ。安西の『ドリーム・コレクション』にようこそ。お名前を頂戴できますか」

「新町で骨董店を開いている桐生一馬といいます。こっちは甥の達哉」

「甥ご様…ですね。なるほど、当会の主旨をよく理解しておいでです。はい、歓迎いたします」

 そういって深々と一礼した後、二人にあるものを手渡した。


「これが会場では必要となります。お手を通して常時お持ちください」

「……」

 それは細い銀鎖で出来たブレスレットだった。それだけではなく、番号を付した小さなタグがつけられ、その横にミニのペンライトまで装着されている。


「桐生様にはナンバー7をお使いいただきます。会場内は展示物の劣化を防止する意味でライトを極力抑えているため、非常に暗くなっております。付属のペンライトで足元を確認しつつお回りください。なお、中間地点にてご休憩のスペースがご用意してありますので、カーゴ番号をご確認のうえ、ご使用願います。お帰りの際に、出口にて返却していただければ十分です。それではお楽しみくださいませ」


 馬鹿丁寧な物言いとしぐさに反論する気力も薄れ、指し示された方向へと進む。

 どっしりと垂れたドレープ状の緞帳どんちょうのなかでは光量ががくんと落ちたため、あわててペンライトをつける。ミニサイズではあるものの、しっかりとした光の輪があらわれたことに安堵した。


「かなり本格的な展示だね、ここ。アンティークの作品を保存する確実な方法だよ」

 骨董好きが嵩じて自身の店を持つに至った一馬から見ても、相当丁寧な展示方法のようだ。一馬の機嫌がぐんと上方修正され、かなりの好印象を持って迎えられている。そのためのルールが一般的に見ておかしいと思えることなどはるか彼方にぶん投げられたに違いない。叔父の発言にため息が出そうになった。


「俺に言わせりゃ何を大仰にしてるんだ、の一言でまとまるんですけど」

「ま、そういわずにさ。安西コレクションは見ておいて損はないと思うよ。国内の蒐集家でも一、二を争うといわれているからね。いやあ、楽しみだねぇ」

「ちょ、一馬さん、落ち着いてってば」

 やっと慣れた目で見渡せば、そこは一風変わった会場だった。


 普通の展示会では、広い空間の中で壁伝いに展示物が並び、入場者は横にある説明文を眺めながら巡っていく。ここは、視線をカーテンがさえぎっていた。入り口にあった重いドレープと同じカーテンが張り巡らされ、ただでさえ少ない光がさらに一段と薄暗くなる。


 入場者はペンライトの光を左右に揺らしながら、ゆっくりとカーテンの隙間を縫うようにしか動けない。そして曲線をめぐった先に、唐突なくらい突然に展示物が現れるのだ。

(まるで…まるでカーテンの迷路くぐり、のような?)

 現れる展示物は全て硝子ケースに収まり、間接照明に当てられて微妙な陰影をかもし出す。

 本にしろ、機械にしろ、それは奇妙な存在感を出していた。


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