ランタンドール ~時の迷い道~

晶良 香奈

出会い

第1話   ありふれた日常

 角灯を持った人形……ランタン・ドール。

 行く道の闇に迷った人にとって、それは希望の証し。

 降り積もる絶望と後悔の中、橙色の灯りがうずくまる人を立ち上がらせる。

 冷え切った心の奥底を暖め、明日への希望を芽生えさせる不思議な灯り。

 月光よりも柔らかく、星辰よりも鮮やかに。

 迷い路の闇の中に立つランタン・ドール。

 彼女がいつからそこにいるのか、誰も知らない。

 ドール本人すらにも……。

 


 深夜2時ともなると明かりのついた窓は少なくなってきている。

 遮光カーテンがかかっているだけかもしれないが。

 達哉は部屋を暗くしていた。明るいと両親が起きてきてしまうからである。


 唯一の光源はPC画面。今入っているチャットルームで仲間が3名、都市伝説のあれこれで盛り上がっている。

 参加してはいるものの、話題についていけない達哉はあくびをかみ殺しながら画面を眺めていた。

(そろそろ切らないとヤバイな)

 今日は数学の抜き打ちテストがあったはずだ。睡眠時間が4時間はほしい。

 ログアウトしようと伸ばした指が宙に浮いた。

「ランタン・ドール?」


  トッポ:それ、最近の話だと思うよ。今まで聞いた事ない。

  きおろん:そー思う? ところがところが、これが古い話なのよねん。

  空気男:おいおい、もったいぶるなよ。早くゲロしちまえって。

  きおろん:んまっ、情緒のないヒトねん。こーゆーのはね、小出しにするもんな       のっ。


  空気男:情緒なくて結構。どうせ情報少なくて尻切れトンボなんだろーが。

  きおろん:ん~、情報が少ないのは言う通りなのよねん。でもでも、この話って       ずぅっと続いててさ、わかってるだけで、明治にまでさかのぼるのよ       ん^^        

  空気男:明治たぁフカしたな。そのウソ、ホント?(笑)

  きおろん:うそじゃないってばぁ><


  トッポ:明治にもあったの、その話? やっぱりランタン持ってるって?

  きおろん:そーなのよん。共通してるのはね、何かを迷ってるヒトの夢にでてく       るってトコロ。暗闇の中でランタンを掲げ、目の前に開けた道を指差       すんだって。その忠告に従って進むと、もー、全然OKなんだって。


  トッポ:へえ、会ってみたいや。そのランタン・ドールってのに。

  空気男:会えないからこその伝説だろ? 止めとけよ。

  トッポ:もちろん夢さ。こういうのはいくつあってもいいもんだよ。

  空気男:へーへー、俺は夢も希望も持ってませんよ、悪かったな><

  きおろん:あらん、空気男さんてばぁ、すねちゃってカワイイ☆



「なんだ、作り話か」

 つぶやいてチャットから抜け、ログアウトする。PCの電源を落とすと、部屋は急にその闇を濃くしたようだった。


 ベッドに倒れこみ、眼をつぶる。眼球の奥が鈍い痛みを訴えていた。

「もう少し時間を短くしないといけないな…」

 出来ると思っていないことをつぶやく。達哉にとってネットの世界は生活の一部だ。切り離す事など考えられない。だが、このままだと成績にも響くだろう。両親がどういう反応をしめすかは手に取るようにわかっていた。


「兄貴のこともあるしな……」

 胸にも痛みを覚えながら、達哉は押し寄せる睡魔に飲み込まれていった。



  リーンゴーンカーンコーン……

 授業終了のチャイムが達哉のぼやけた意識を揺さぶった。


「はい、終了。名前を確認して後ろから前へ送ってきてください」

 つつかれて解答用紙を受け取り、自分の分を重ねて前へと回す。今日の授業はこれで最期のはずだ。みんな同じ思いと見えて大きく息をついたり背伸びしたりと、一気に緊張が緩んで騒がしくなったところへ、


「では皆さん、よい週末を。くれぐれも悪い事はしないでくださいね?」


 数学担当でクラスの担任でもある石末教師の言葉が突き刺さった。理科系のモヤシッ子に見えるのだが、実際はバリバリの体育会系だ。悪いことなどやらかそうものなら、後が怖い。


 ニコニコしながら繰り出してくる首絞めのお仕置きには定評があり、その洗礼を受けた生徒から口コミで広がった噂には、怖いもの知らずの高校生でもそれだけは避けたい、と思わせる迫力があった。


 教師の姿が廊下へ出て行くと、いったん静まっていたざわめきがよみがえった。遊びに行こうと呼び合う声や部活に駆け出す騒音の中、そそくさと荷物を抱えた達哉が教室を抜け出た。


 校舎中にあふれかえる熱気と叫びの渦をやり過ごして土間に降り、靴を履き終えたところでいきなり首に負荷がかかる。


 鞄を取り落としてのけぞった達哉の耳に脳天気な声が炸裂した。

「たっち~ん、どっこ行っくの~?」

「…お、お前、は、どっから、湧いて出たっ…」

「嫌だなあ、人をウジかぼうふらみたいに。ちゃんと待っててあげたんだよ」

「ウソつけ」


 達哉は一番に教室を出ていた。可能な限り急いで、下駄箱に直行してきたのだ。

 他の誰かに追い抜かれた覚えはない。


「要するにサボってたってことだな」

「まあ、そうとも言うね。人聞きが悪いから自主学習って言ってくれない?」

「性格悪いお前に使う言葉じゃない」

「あはは、さすがによくわかってるねぇ」


 悪びれることなくコロコロと笑うのは各務涼司かがみりょうじ、達哉の幼馴染で悪友だ。

 IQ285と自慢するだけあって、涼司の実力は半端じゃない。こうして授業をさぼっていても、テストになると学年10位から下がったことがなく、中学時代から引く手あまただった。


 父親が優良会社の社長であり、金銭的にも心配のない涼司が何故有名私立高校に行かないのか、その理由を正確に把握しているのは達哉くらいなものだろう。いわく、


「お前、親の敷いた路線にハマりたくないだけだろ?」

「ふっふ~ん♪」


 要するにワガママなだけだ。このお坊ちゃまは。

 落としたカバンを拾って校舎を出る達哉に涼司も肩を並べる。


「最初の質問に答えてないよね。どこ行くのさ?」

「どうしてお前に答える必要があるんだ?」

「たっちんのすべてが知りたいからに決まってるじゃないか、当然だよ」


「……」

「おや、そのリアクションの無さは何かな~?って逃げるかそこでフツー」

「帰るんだよ。たわごとに付き合ってる暇はない」

「つれないなぁ」

 口げんかをしつつも、ふたりは校門へむかう。


 帰宅組の生徒と同じように校門を出たあと、達哉は駅への道に曲がる。

「あ、あれ? バスに乗らないのかい?」

「…今日は病院だ」


「そういえば、金曜日だったね。なるほど。じゃ、また月曜日に」

「会いたくないがな」

「あはは、テレやさんだな、たっちんは。大丈夫だよ、君の気持ちは筒抜けだからね~」

「言ってろ」


 涼司と別れたあと、駅までの距離がやけに長く感じられた。



 清潔さのみが要求された区画。その廊下の壁に開けられた四角い窓までが達哉の行動範囲だった。分厚いニ重ガラスの向こう、手の届かないところに彼はいた。


 たくさんの機械に囲まれて。


(兄貴…)

 白い部屋で機器につながれた兄は生きているように見えなかった。

 ただ、静かに横になり、生かされているだけだった。

 見るたびに辛くなる。けれど来ずにはいられない。


「あんた、何が言いたかったんだよ」

 こんな状態になる前の日の夜。

 いつもと同じ、でもやや疲れた笑顔。

 交わされた言葉が今も心に残る。


「なんで俺のこと、うらやましいなんて言ったんだよ…」

 来るたびに問いかけずにいられない。

 答えが帰ってくるはずはないとわかっているのに、何度でも。


 ポケットに入れた右手を出して視線を落とす。

 銀色の丸い光沢が光をはじいた。古風な飾り数字が整然と円周上に並び、その上を針が動いていく。天頂部に小さな小窓がふたつある以外は何の変哲もない懐中時計だった。


 あの日、これを渡しながら兄、壮一は言ったのだ。

(時を戻せたら…そう思うことがないように頑張れよ)

「あんたは戻したい…と、そう思ってたってことか?」


 将来を嘱望されたプログラマーの兄がそんなことを考えていたなんて思いたくなかった。

 何かの気の迷いだと、疲れたのだろうと達哉は思った。一晩ぐっすりと眠れば吹き飛んでしまう事だろうと。


「あくる日にでも話そうと思っていたのに…」

 寝坊した達哉が起きてきたときにはもう壮一は出勤していた。会社で起きた事故に、壮一は巻き込まれて人事不省に陥ったのだ。

 ポケットに時計を戻し、達哉は窓に背を向けた。




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