#47 将棋、AI、アークナイツ
『機会カニバリズム』を読んで思ったこと。
将棋ソフトは一部の能力、つまり「勝つ」という能力においてはプロ棋士を凌駕し始めている。プロ棋士達はそのことを認めたり認めなかったりしながら、将棋ソフトを自分の戦術研究に活用している。その際の将棋ソフトとの距離感は棋士によって様々だ。あくまでソフトは道具であるとして、自分の頭で考える習慣を失わないよう、将棋ソフトの計算結果を鵜呑みにせず距離を取りながら研究する者。将棋ソフトの形勢判断や次の一手を見て、一連の戦術をくみ上げていく者。
私はアークナイツというゲームにはまっている。このゲームは、自分で選んだキャラクターを自分で考えて配置して操作することで敵を倒すというシステムになっている。このアークナイツ、使用するキャラクターを絞って挑戦するなどの「縛りプレイ」をするプレイヤーが非常に多い。攻略動画を投稿しているかそうでないかはあまり関係がない。ただ楽しいとか、キャラクターへの愛などからそうした攻略方法を好んでやっているのだろう。
そうした「縛りプレイ」についてのコメントで「このキャラクターだけで挑んでクリアできるかどうかだけでも、先に計算してプレイヤーに教えてほしい」というものがあった。これは先に述べた、将棋ソフトとプロ棋士との関係に少し似ていると思った。正か誤か、の判断は機械に任せ、その根拠付けやその結論に至るまでの「流れ」は人間が作る。役割分担をしているのだと思った。
どれだけ試行錯誤をしても、その先にクリアする未来がないのだとしたらこんなに虚しいことはない。だが、もし何時間も考え続けた結果クリアすることができればどれだけ気持ちいいだろうか。この前者のパターンを消してしまえるというところに、機械やAIの価値がある。
将棋の戦術研究でも、あるプロ同士の対局中に出てきた一手が好手か悪手かというのは、プロの棋士達が対局を重ねて、それぞれが研究し尽くして、何年も掛けてやっと結果がでてくるものだったりする。だが、その過程は一旦置いておいて、とりあえずどっちが正解なの? ということが分かっていれば研究のモチベーションは変わるのではないだろうか。良いほうに転ぶか、悪いほうに転ぶかは分からないが。
私はどれだけ将棋ソフトがプロ棋士を圧倒しようとも、プロ棋士同士の対局に心を惹かれる人間はいなくならないし、プロ棋士の仕事がなくなることはないと思っている。これは将棋に限らずどんなスポーツにも言えることだが、観客は勝ち負けだけを見ているわけではない。勝ち負けに至るまでの一手一手にはどのような思惑があったのか。その時の精神的興奮はどれほどのものだったのか。どう騙し、どう騙されたのか。そうした「流れ」が見たいのだ。勝ちと負けを根拠付け、意味づけるものが「流れ」である。人間は精神的にも実践的にも「流れ」の魅力から逃れることはできないのだと思う。
2022年1月22日
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます