#32 無音の無


 時々、自分が今無音の世界にいることに気付く。家の近くには大きな道路があるが、あまり車通りはない。だから屋外の音はほぼ入ってこない。テレビもエアコンも付けていない。静けさの中に沈む。耳に何かが貼り付いているみたいな感じがした。

 真っ暗な部屋に入ったときも、目に何か黒いものが一面に貼り付いているような気がしたことを思い出した。静かで見えない、巨大な手で顔中を覆われているみたいだ。

 どうやら「無」というものは意外とわずらわしいものなのかもしれない。

 近くにあるガラスのコップを指でたたくと心地よい音がした。透明なガラスの中に、天井の照明が細長く曲げられて映っている。 

 ふと、無音だと思っていた状態からさらに静かになる。冷蔵庫が出力を少し下げたらしい。なんだ無音じゃなかったのか。今度こそ本当に音がなくなってしまった。とはいえもう自分の感覚を信用することは出来ない。

 本当に「ない」ことなんてあんまりないんだろうなと思った。


2021年2月12日

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