第360話
世界はパズルみたいだ。
最初はばらばらのまっさらで、でも一つ一つのつながりが生まれる程に完成へと加速的に進んでいく。
もう魔力の匂いも分からなくなってしまった身体だけど、幾つもの光がありとあらゆる方向から一点へ収束するその光景を見れば、大半の理解は容易いものだった。
「さて、世界が未完成なうちに早く行かないと」
抱きかかえられたまま小首をかしげる。
「え? なんで?」
「完成したら壁が出来てしまうからね、今の僕たちに超えるのは無理だ。ほら、ダンジョンシステムだって世界の罅を埋めるために創られただろう?」
「あ、そっか」
そう、世界を超えるのは本当に大変な事だ。
狭間という極限環境自体もそうだが、世界そのものにも元々狭間と内側を分けるための概念的な壁が存在する。
今の私はもう魔法を使えないし、あんな大規模な魔法を使っていたパパだってそんな余裕はないはず。
距離も相当あるし体力も限界、ここはサクッと飛んで乗り込もう。
「そっか、じゃ戻ろ。パパ魔法お願い」
無言。
「パパ?」
上を見る。
笑顔だ。
すごく引き攣った。
「パパ? 嘘でしょ?」
まさかね? まさかだよね?
たらりと額を伝う汗。
この感覚、とてもよく覚えがある……私と同じ、取りあえず動いた結果失敗するあの感覚だ!
「……どうしよう、僕も魔力尽きちゃっていてさ」
「ええ!?」
嘘でしょ!? ここまで来て!?
首を捩じる。
飛び込んできたのは周囲の魔力を吸い上げつつ巨大化し、どんどん遠くへと進んでいく光星。
もはやそれとの正確な距離やサイズを測ることは出来ないが、さてじゃあ戻ろうだなんて出来る程近くは無いのだけは私でも分かった。
「い、急いで走って走って! どんどん遠くいっちゃう!」
「わ、わかった! しっかり捕まってなさい!」
が、止まってるわけにもいかない!
ぺちぺちとパパの二の腕を叩いて急かす。
けれどもう遅かった。無慈悲にもほどがある、その軽すぎる音で全てを理解した。
パリンッ
『あっ』
落ち……!?
「うおおおおっさああぁっ!!!」
「おお! やるぅ!」
がっ、そこですかさず跳躍するパパ。
さっきまでの魔法のせいで限界だったのだろう、どんどん背後の光る床が砕けていく。
それはもう既に私たちの後ろにまで!
「はぁっ、はぁっ! だ、だろう!? 僕はやれば出来るタイプなんだっ!」
「パパ、そんなことどうでもいいから後ろ後ろ! どんどん壊れて来てる!」
「どうでっ!? ……そっ、そうだった!」
慌てた彼が再び第一歩を踏み出そうと、体重をわずかに前方へと傾けたその時だった。
ガクンッ! と視界が下へ凹む!
『ひぁぁあああっ!?』
あ、足元も砕けたっ!?
まず――
「居たぞッ! 二人とも無事だッ!」
「『舞え』」
――くな、い?
輝く『世界』を背に、巨大な翼の影がばさりと降りる。
竜。力強く羽ばたく双翼に跨るのは、大小二人の人間で。
「別に重力もないし落ちたりはしないわ、何もしないと溶けるけど」
「……はあ、だから言ったではないですかブレイブ……いや、ユウキさん。我々も同行するので少しだけ待ってくださいと、その様子ならもう仲は取り戻したようですね」
体の周囲を光が包み込む。
この声は……
「……ナナン、ジンさん! どうしてここに!?」
「別に今すぐ説明してもいいけど、異世界人からしたら竜の背中より宙吊りの方が落ち着くかしら?」
肩をすくめる二人の手がこちらへと伸ばされ……
.
.
.
「ん、二人ともありがと」
「いやぁ……気が気でなくて、ね? ハハ、助かりました。いや本当に」
「まあ分からないでもないですけどね。私も近くに危なっかしい、似たような存在がいるもので」
「ちょっと誰の話!? 殴るわよ!」
「もう殴ってるじゃないかナナン」
杖でジンさんを殴りまくってるナナンを苦笑いで眺めながら、パパは軽く頭を掻きながら私へと顔を向ける。
「実は僕がここまで来れたのは、ナナンちゃんが助けてくれたからなんだ」
「ナナンが?」
確かにナナンはパパの家へと預けた。
けどそれとこれの何が関係あるというのか、つながりがまるで見えてこない。
「彼女はダンジョンシステムでレベルを上げたことがあるらしい」
「……子供のころ、間違って入ったから」
「今も子供じゃない?」
「喧嘩売ってるの!? アンタ今私が真面目な話してるでしょ、ぶっ飛ばすわよ!?」
不安定な飛竜の上で暴れ出したナナンをジンさんが慌てて抱きかかえる。
そうか、これで納得した。
初めてナナンと出会った時、ジンさんと彼女の態度があまりにかけ離れていたことは気になっていた。
同じ国、団長というほぼ同じ地位についているのなら基本的に手に入る情報はほぼ同じはず。
にも拘らずジンさんや彼の部下は私をモンスターだと思い、一方でナナンはあっさりと私へ接触してきた。
彼女はダンジョンについてある程度の知識を持っていたのか。
そしてその魔法もダンジョンでレベルを上げたからこそ、その年齢で圧倒的と言える水準にまで至ることが出来た。
彼女達は魔法の知識がなくスキルに頼らなくてはいけなかった私達とは違う、レベルアップは単純な魔力の増強になるのだから。
「ん゛ん、それで色々あってね。私個人で研究してたのよ、その一環で狭間での移動方法についても調べてたの」
「」
「……いざという時全然使い物にならなかったけどね。結局一人が出来ることなんて、国家単位の研究に比べたら微々たるものよ」
「そんなことない。二人が来なかったら私達は死んでた。天才だ、すごい」
この魔法。
私たちの身体を包んでいる光の膜は、きっとあのクレストが創り上げた空間と似たような効果があるのだろう。
濃密な狭間の魔力から守ってくる結界、それをナナンは恐らく一人で構築したのだ。
感心する私をよそに、ナナンの目が泳ぐ。
ボロボロになったこちらの白いコート、その端を軽く引っ張りながらあちらこちらへと視線を向け、それでも待ち続けると、悩んだ素振りで一言一言をつっかえながら紡ぎ始めた。
「その……もし世界に戻ったら、きっと全部忘れるわ。『再構成』が行われるのは私達だって例外じゃない」
「ん、そうなんだ。折角また会えたのに残念」
なるほど、確かにそれは悩むかもしれない。
折角また会えたし、色々知っている間柄なのにこれまでのを全部忘れてしまうのか。
まあ考えてみればアレは現在進行形で二つの世界の記憶をこう、いい感じに混ぜ合わせてるらしいし、そりゃそんなかに飛び込んだら私達の記憶も色々消えてしまうんだろう。
聞いてみたい事とかもあったのにちょっと残念だ。
「だからねえ……その、忘れる前に言いたいことがあるの」
ああ、そういうことか。
納得と同時にお腹へ手を当てる。
久しく感じていなかったこの感覚、いつぶりだろう。
そういえばこんな結界や狭間が近くにあるのに、何の匂いも感じない。
「うん、私もおなかすいた。異世界のごはんってどんなの食べるの? お肉ってどんなの食べてるの? 私の世界には鶏って言うのと、豚って言うのと、あと牛って言うのが良く食べられてて」
「は!? そんな下らない事話したいわけじゃないんだけど!?」
「え!?」
違うの!?
うろうろと虚空を彷徨う視線。
幾つもの言葉が幾つも零れかけては閉じられ……最後の最後、恥ずかしそうに彼女が口にしたのは、至って単純な内容だった。
「わっ、悪かったわ、色々言って……アンタが必死だったのは分かってたんだけど、その……」
なんだそんなことか。
「別にいいよ」
もう終わったことだし。
「い、いいの!? ホラもっと怒って怒鳴ったり、殴ったりは!?」
「もう終わったことだし、今更言ってもね。それに助けに来てくれたしさ」
ごろりと体を横たえ、ゆっくりと目を瞑る。
飛竜の羽ばたきに合わせて生まれる振動、僅かに伝わってくる鼓動。
固い鱗は決して寝心地が良いものじゃないけれど、未来が見えぬまま冷たい洞窟で寝るよりは何倍もマシだ。
どこまでも長く、深いため息をひとつ。
終わった。
正直……この先に何が待ち受けているのかは、予想すら出来ない。
新しい世界なんて言ってもやったら出来ただけ。私の理想や願いが全て叶ったなんてすばらしい世界じゃなくて、もしかしたらそこに広がっているのは地獄かも知れない。
無意識のままに両手を、ボロボロのコートのポケットへと突っ込み……指先からカサリとした感触が伝わって来た。
プラスチックの長方形、それも指で掴めるような薄い素材だ。
「これは……飴? いつ入れたんだっけ」
引っ張り出してみればミルク味の飴。
けれどきっと原因は戦闘の衝撃だろう。包みの袋はあちこち破けているし、中の飴に至っては粉々に近く大分ポケットの中で散乱している。
「あー、ばらばらだ」
もったない。
ぴっと開くもやはり中は粉々。
大口を上げ全部口に放り込もうかと思ったその時、ふと横を見ると興味深々でこちらを見るナナン。
袋の中身を掌に広げ、いくつか残っていた大きな欠片をひょいひょい摘み上げ、彼女の前へと差し出し小首をかしげる。
「いる?」
「……まあ貰うけど」
不思議そうに欠片を眺めるナナン、原型が分からないから彼女からしたら石か何かに見えるのか。
食べるようなジェスチャーをしてみると、ある程度眺め終わった彼女は欠片をひとつ摘み口に放り込んだ。
「……甘いわ。これ異世界、アンタの世界の飴?」
「多分」
「多分って。はあ、適当ね。でも興味深いわ、乳製品の利用はやっぱりあるのね。それに見たことのない袋、貰ってもいい?」
どうやら彼女にとっては飴より、それが入っていた袋の方が何倍も興味をそそられるらしい。
別に特別なものでもないので軽く頷くと、ナナンは一拍も置かずにそれを奪い取り好奇心の赴くままに引っ張ったり、杖の先から小さな火を出して炙ったりし始めた。
プラスチックの袋を知らない、じゃあやっぱりこれ私の世界から持ってきた飴なんだ。
「熱での可塑性がある。菓子の小包みに使われてるくらいだもの、加工性も高くて量産に向いているのね……そう言えば『箱庭』で幾つか似たモノを見つけた気がするわ。もしかして貴女達の世界ではこれが一般的なのかしら? 便利な素材ね、これなら包み紙の代用に……」
「あーうんうん、そうそう。凄い分かる、そうそう」
適当な相槌を返すもそもそも彼女は私の返答なんて聞いていないのだろう、文句も言わずひたすらに袋をいじくりまわしていた。
バツが悪そうに謝ったり、直ぐに何かに熱中したり、忙しい子だ。
もしナナンがどっかの天才と出会ったなら……きっと日が暮れても終わらない話し合いが始まるんだろうなぁ。
見てみたいような、うんざりする気がするような。
三人で互いに肩をすくめ、自分の手に余った飴の欠片を全部口へ放り込む。
「甘いなぁ……うん、あまい」
ミルクのほんのりとした香りが鼻腔をくすぐり、じんわりと漏れ出す甘さに閉じた目の奥が染みる。
甘さにはうんざりしていた気がしたけど悪くない。
まあ、未来が見えないなんていつだって同じか。
「突入するぞ」
ああ、近づいてくる。
.
.
.
「……て、待って、くれ……!」
砕けていく世界で声が木霊す。
「待ってくれッ……! 私がまだここにッ、いるんだッ!」
絞り出すような叫び声。
這う影が必死に手を伸ばすも、もはや振り返る者はいない。
誰もがその声を聴くことすらなく、男自身それを理解している。だが容易く諦めることなど出来ず、虚空へと叫ぶことを消してやめることは無かった。
力を奪われもはや自分で戻ることは出来ない。
次第に砕け、暗闇へと呑まれていく周囲と同化するしかないのか。
結界から飛び出た脚が溶け落ち、指先が塗り潰され、男の心が絶望の底へと深く、深く飲み込まれていく。
「クレスト様」
だが、最後の最後、彼の瞳に光が戻った。
「クラリス君……!?」
暗闇からぬらりと現れたのは、死んだとばかり思っていたクラリスだ。
しかし瑠璃色の衣服は
一体あの状態からどうして生き残ったのか?
男の脳裏へ小さな疑問こそ浮かんだが、まさに九死に一生の瞬間で現れた大きな綱、まさか飛びつかないわけもない。
「よく来てくれたッ! 戻ろう、私たちの世界へッ!」
手先の消えた両腕を必死に突き出すと、彼女は男を優しく抱きかかえる。
よし、よし!
クラリスさえいれば狭間を渡ることは容易だ! やはり愚かで可愛らしい女、あの時拾っていて正解だった!
間近でその優しい笑みに満ちた彼女の顔を見たクレストは、希望を確信した。
例え自身に埋め込まれた緋色の剣が一切の魔力を引きずり出す魔道具であったとしても、取り出すことが出来ないことなどあり得ない。
人間が作った以上必ず欠陥が存在する、ならば後はそれを突きさえすればいいだけの事。
「おい、おい待て」
だが、世界へ戻った後の算段を立てていたクレストの顔が僅かに固まる。
「なにをしている、そっちじゃあないだろう。どんどん遠のいているじゃないか……」
クラリスが進んでいく先は光と真逆、何処までも昏く、深い狭間の深淵。
別の世界へ向かっているのか? いや、そんなこと出来はしない。もしそんなことが出来るのなら、クレストやクラリスはわざわざあの空間を作ることなどしていないのだから。
胸の奥へ突如として湧いた一抹の不安、男ははたと見上げた。
「大丈夫ですわ、私がいますもの。一人は、寂しいですから」
「やめろ……」
クラリスのその表情は、今まで己が追い詰めてきた存在のそれとよく似ていた。
今自分は終わると知ってなお、どこか希望を持ち続ける忌々しい異世界の存在たちと!
「離せ……」
両手を、両足をじたばたと暴れ回すクレスト。
だが彼は自身の身体を強化する魔力すら搾り取られている、当然かつて王国にて魔法使いとして最高戦力であったクラリスにとって、それは小さな羽虫が暴れ回ることとさして変わりはしない。
「離せェッ!!!!!」
ぱちんと結界が弾けた。
クラリスが自分で解いたのだ。
空隙を満たす様に雪崩れ込んでくる濃密な魔力。
「本当に甘い子……でも、本当に強い子でしたわ。本当、少し光に酔ってしまいましたわ」
「わたしはッ! おれはッ! 俺はァァッ!!! クラリスッ……!! 畜生ォォォ……溶け……」
骨すら凍り付く恐怖、霧散する絶望。
「あら……もう、お眠りになられたのですね。まだ語りたいことが幾つもありましたのに」
ふと気が付くと、クラリスが掻き抱いていたはずの存在は既に姿を失っていた。
だが彼女は自分自身の心の内へ、さして陰鬱とした感情が生まれていないことに驚いた。
あの日、自分の心の底から湧き出していると思っていた憎しみのままに、カナリアが見つけた研究を差し出し、彼女が処刑されたあの日に比べれば。
途端に背後の光を失うことが惜しくなった。
「ああ、そう、か。私はただ……貴女と同じ景色が……」
ほどける。
彼女の誇りであった王から授けられた瑠璃のローブも、財を尽くした至極の杖も、かつて誰かに褒められた黒髪すらも。
ただ一つ。
傷だらけな木製のペンダントだけが最後にゆらりと宙を舞い……全てが黒へと塗り潰された。
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