第359話
「ん……」
まぶしい。
「あれ?」
て?
無くなった、よね?
「体の調子は大丈夫かい? どこか痛むところは?」
「あなた……は……」
成人の男、しかしあまり鍛えてはいないであろうひょろりとして狭い背中。
彼の着る、白衣にも似た服が風もない世界ではためく。
男が振り返ると同時に黒髪がサラリと零れ、メガネの奥で目が柔らかい弧を描いた。
「大丈夫みたいだね、よかった……フォリア」
「ブレイブ、さん……」
「君の身体は再構成した。ただ魔力と記憶はほとんどこれに吸収されちゃってるからね、もう戦う力はない」
何故、彼がここにいるのだろう。
ぼんやりとした頭で考える。
きっと、もう死んだと思っていた。
私は世界が砕けるその瞬間を見た。狭間へ出たその瞬間、真後ろの光が一瞬にしてぐちゃりと暗闇に叩き潰され、何もかもが見えなくなったあの瞬間を。
「君の展開した魔法は今僕が引き継いでいる、君はもう無理をしなくていい」
「まほう……?」
ふと掌を眺め、思い出した。
そうだ、魔法。
それに見たことのない魔法陣が幾つも幾つも並んで、恐ろしいほど莫大な範囲が数多の輝きによって埋め尽くされている。
その先には見覚えがあるような二つの光球……いや、端を確認するのがギリギリなほどのそれは、最早星だった。
まさか、この人はこの量の魔法全てを操って?
「すまない、色々話したいことはあるけど……今ちょっと手放せなくてね!」
刹那、激しい閃光が飛び散る。
「ぐぁっ!」
「ブレイブさん!?」
体がうまく動かないっ……!
駆け寄る事すら出来ず目前で光波に打ち貫かれた彼の指先が、ぼろりと崩れ落ち微塵に吹き飛ぶ。
ブレイブさんはしかし決して体の体勢を崩すことはなく、額から零れ落ちる程の汗をかいてなおも術の維持を続けていた。
「くっ、ぉぉっ」
苦痛にたまらず声が零れる。
その顔が歪むほどに、彼の膝の震えが酷くなるほどに心がざわめく。
だめだ。
例えブレイブさんが『復元』の本来の使い手だったとしても、それでも負担があまりに大きすぎる!
このままじゃ……!
「くぁっ、不味い……!」
彼の小さなつぶやきにハタと気付く。
「っ! 魔法陣から光が……逆流してきてる……!」
私が操っているときはあんなこと起こっていなかった。
巨大化したことでブレイブさんですら操りきれなくなった魔力が、魔法陣を通して逆流しているのだ。
今はまだじりじりと遅いが一度逆流して開通してしまえば、あれを操っている彼に直接大量の魔力が流れ込んでしまう。
もしそうなってしまえば……何が起こるかなんて、火を見るより明らかだった。
「二つ同時は不可能かっ」
「でも一体どうしたら……」
私の見える答えはただ一つだった。
仕方のないことだった。全てを救えるはずがない、どちらか一方だけでも守れたのだからそれでいいじゃないか。
むしろ一方でも守れたのだから誇るべきだ。
私たちの世界を救って、異世界は諦めよう。
単純な内容のはずなのに、口からその言葉が出てこない。
ちらついたから。ほんの一瞬だけ、ほんの数日だけ触れ合った人々の顔が。
「諦めるなっ!」
「っ!?」
鮮烈な一声だった。
「ここまで一人で絶望に抗い続けてきたんだろうっ! 辛くても耐えてきたんだろうっ! なら諦めるなっ! 今は僕もいるっ!」
「ブレイブさん……」
「出来ることはまだある! 諦めるのは死んだ後でいいっ!」
まだ、この人は諦めていない。
真っ当な手段で打てる手ならもう使っているはず。しかし苦痛に歪み、汗を零し、全身を震えさせながらも彼の目はまだ死んでいなかった。
「正直どうなるかは分からない。でも、二つの世界を形作ったのが共通の記憶だとするのなら、きっと」
「きっと……?」
私の疑問にブレイブさんが返したのは沈黙。
忙しなく指先を動かし魔法陣の調整を続ける中で、彼は何度も思い悩むように口を開きかけ、噤むことを繰り返した。
やはり、正攻法ではない。
もしかしたら失敗する可能性の方が高いまであるのか。
張り詰めた空気の中下唇を噛み締め、額に皺を寄せた彼の言葉は想像の遥か上を行く内容だった。
「二つを、融合出来るかもしれない。時間は無い、やるなら今だ」
「ゆう、ごう?」
融合って、二つを混ぜ合わせるってこと?
そんなことが可能なのか? いや、融合できたとして世界はどうなるんだ!?
幾つもの疑問が脳裏を過ぎる。
だが時間は私が理解や呑みこむことを許す暇もなく刻一刻と過ぎ去り、真球に近かった光はあっという間にその姿を歪ませていく。
ブレイブさんの言った時間がないというのは本当なのだろう、のんびり考えている数秒すら惜しいのは分かる。
だがあまりに無茶で性急過ぎる!
「ま、待って! そんなの無理だよ!」
「このままじゃ僕の手でも制御が効かなくなるっ! なら可能性がある方に賭けるしかないっ!」
私の制止を聞かず、彼はその両手を近付け始めた。
光球たちが近づくほどに弾ける閃光、絶えず自壊し再生する無数の魔法陣。
危険や限界なんてものじゃない。溢れ出した光で周囲は昼間のように眩く照らされ、遂には足元を支えていた巨大な結界すらもが悲鳴に似た音を立て走る亀裂達。
どうにか暴走だけは食い止めているようだが、相当の無理をしているのは明らか。
しかもあちこちから漏れだす魔力の閃光はあまりに危険だ。今は結界を貼り防いでいるものの、この光球たちが暴走すれば飛び出すのは今の比ではない。
「くっ、ぁぁァァアアアアッ!」
「もういいよ……! これ以上はブレイブさんの身体が」
どうにか足元まで這い寄り、ズボンのすそを必死に引っ張る。
「嫌だっ!!」
叫び。
震えあがる心からの叫び。
「ここまで
「ブレイブ、さん……」
何か、魔法陣の輝きを受け輝くものが彼の足元へと幾つも零れ落ちた。
「君があの日、下巻を抱えて家を出た時僕は……正直安心した。僕は僕の役目を果たしたんだって、だからもう何かをする必要はないんだって。情けないけど僕はそういう人間なんだ」
俯いた顔は見えない。
「……だけどまるきりダメだった。別の事を意識して考えれば考える程に息が詰まった、底知れない恐怖に溺れそうになったんだ。君が今どこで何をしているのか、どれだけ苦しんでいるのか。僕が暢気に食事を、睡眠を、研究を行っている間にすら君の負っているだろう苦しみが脳裏を過ぎって、延々と手の震えが止まらないんだっ!!」
目の先が歪む。
「もしここで全てを君に任せていたら、僕は二度と『
気付いたら、私の頬にもなにかが伝っていった。
「フォリア! フォリアッ! 今更遅いかもしれないっ! 態度、発言、君の全てが僕を許せていないだなんて分かってる! 今から言うのがただひたすら僕にとって都合のいい言葉だなんて分かってる、でもっ!!」
温く転がる雫がいくつも、いくつも、いくつもいくつもコートへ染み込んでいく。
「もう一度だけでいい……たった一回だけでいいっ! 君を失望させたままでいたくないっ! もう二度と君たちを諦めたくないんだッ! だからっ……!」
音が消えた。
吹き荒れる風も、砕け散る結界も、なにもかもがこの時だけ口を噤んだ。
ただ一人、必死に勇気を振り絞った彼の為だけに。
「――だからっ、もう一度だけ君の父親になってもいいだろうか……っ! もう一度だけ君に信じてもらえないだろうかっ! 僕に全部を託してくれないだろうかっ!」
ゆっくりと立ち上がる。
ゆっくりと抱きしめる。
ああ、温かい。
「――ずっと、くるしかった」
「うん、うん。ごめんね」
「ずっとつらかった」
「ああ、本っ当に悪かったっ!」
つらかった。
くるしかった。
いやだった。
たえられなかった。
ずっと、ずっと、ずっとずっと!
「でも、ずっと頑張ったよ私。ずっと、ずぅっと耐えたよ私っ! なんも分かんないのにっ、何も知らないのに嫌な事ばっかりでっ! どうしてこうなっちゃったんだろうって! どうして誰も助けてくれないんだろうって! でも全部やって来たの! 私しかいないからっ、私以外に出来ないからっ!!! やだよ! もういやだっ! 全部全部いやだっ! 私はただ普通に幸せになりたかっただけなのにっ!!!」
違う。
私が言いたいのはただ、本当はひとつだけ。
「ねえ、助けて……パパ」
目を閉じた私の頭に、大きな手が添えられる。
くしゃりと不慣れな手つきで、ぎこちなくも優しく撫で――
「――当然だッ!!!!」
彼は四肢へと一層力を漲らせ、声高らかに叫んだ。
「くお……ぅォォォォォオオオオオオッ!!!」
祈れ。
祈り続けろ。
「あと少し、あとすこしなんだ……あとほんのちょっとだけなんだッ!!」
たりない、のか。
魔力が、記憶が……!
お願い……上手く行って……!
ただひたすらに祈る。
信じて、パパが成功させるのを祈って……待てよ。違う、違うだろ。
今まで私が知ったことって何? 辛くても絶望的な状態でも祈り続けること?
違う、祈ってる間に死が近づくのが私の戦いだった!
祈るんじゃない、私もなにか出来ることをするんだ! 限界の限界まで、最期の瞬間まで抗い続けるんだっ!
なにか……何かできることをっ!!
空間を、物を、自分自身を、何もかもを利用してでも勝って来た、それが私だろ!
「なにか……何か……!?」
カツン。
崩壊しつつある結界の中で、小さな金属音が私の足元から聞こえた。
それはちっぽけな金属棒だった。
ちっぽけっていっても私からしたら結構大きい、両手で握りしめて丁度いいくらい。
鈍い銀の輝きを静かに湛えたそれは……
「……カリバー」
一年間色んな敵と戦ってきた。
無数の壁をぶっ飛ばして来た。
固有武器。
私の魔力で再構築された、どんな衝撃にだって耐えられる心強い相棒。
もしかしたら。
「ごめん……」
ゆっくりと眺め、強い輝きが目へ飛び込む。
偶然か。
正面で輝く魔法陣にたまたま照らされただけだったのか。
でも私にはまるで、今まで無言で支え続けてくれた相棒が何かを語りかけているようにも思えて。
グリップを握りしめるいつもの音が聞こえた。
「そう、だね――――ありがとう」
これなら。
「パパっ!」
「それはっ……バット?」
「ずっと使ってきたんだ、だからっ」
「なるほど、固有武器かっ! 魔力で再構成されているなら……!」
靴底を引き摺る疾走。
新たな魔法陣がパパの横に生まれる。
無言の頷き。
「覚悟は?」
「出来てる」
手を伸ばす。
全てが光に溶けていく。
私たちの想いが重なり合う。
とどけ。
「流石ママの子だ、行くよフォリア」
「おっけー」
とどけっ
「頼む……っ!」
「お願い……っ!」
届けッ!!!!
『届けえええええええええぇぇぇッ!!!!!!!!!』
「――お疲れ様、よく頑張ったね」
「……うん」
気が付くと私は彼に抱きかかえられていて、魔法陣が連鎖的に砕け散ったその先で光は球を保ち成長していった。
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