第358話
突き出した両手の先へ
基点。それはまだ小さく、どんな記憶にも汚染されていない純粋な魔力の集積体。
「……っ、落ち着け。だいじょうぶ」
少しでも意識を逸らしてしまえば霧散してしまいそうなそれへ、ぐっと下唇を噛み締め意識を向ける。
それらは実に瓜二つな見た目であった。
しいて言えば渦巻く方向だけがほんのちょっとばかり異なるだけで、それが一体どんな変化を生み出すかなど誰にも理解は出来まい。
そう、瓜二つ。
私の世界とカナリアの世界。隣り合った異世界同士、人の意志によって滅び砕け散った世界の原型。
私は私の世界さえあればいい。
ママがいて、友達がいて、大切な人たちがいて、アホ猫がいて。
ただでさえ成功するかなんて分かんないのに、それを二つ平行でやらなくちゃいけないだなんてあまりに考え無し。
「ほんと、私ってばか」
これめっちゃきつい。
なんでやっちゃったんだろ、既に胸の大半を占める後悔にひとりごちる。
私が取り入れた記憶の中には、私の世界とは全く異なる風景や人の記憶があった。
見たことのない服、見たことのない言語、呼吸のように操られる魔法や奇妙な景色。
そう。きっとそれは異世界の記憶。クレストの手によって命を落とし、削られ、世界からすら忘れ去られてしまった儚い存在たち。
けれど本質は何も変わりはしなかった。
私が、私の世界でこの一年間見続けてきた物と、異世界の人々。その間に違いなど何一つありはしなかった。
悪意はあるだろう。誰かを傷付けようとする人はいるだろう。誰もが善人で、誰もが誰かに優しくあるだなんて嘘だ。
……それでも、絶対にいた。
誰かを思いやれる人が、誰かに手を差し伸べられる人が。
一人や二人じゃない。数えきれないほどの人々が、種族を、世界の壁を跨ごうと! それをまじまじと見てきた!
「――なら無視、なんてできるわけないし!」
硝子の細工師が吹き竿へ空気を流し込むように、慎重で、しかし力強く大胆に。
基本はブレイブさんの固有魔法である『復元』だ。
二冊の本が魔力の流れや動きを制御してくれるので、私は何も考えない唯の魔力タンク……とはいかない。
本能的に分かる、少しでもこの光球たちの一方が大きくなってしまえば、一瞬でもう一方は引き込まれバラバラに砕け散ってしまうだろう。
そうなってしまえばまた一から……などと言っている余裕は、もはや私には残されていない。
決して一方に流れ込む魔力量が偏らぬよう、常に張り詰めた神経で全身へと意識を向けなくてはいけない。
一回だ。
一回で完璧に決める、失敗は許されない。
「っ!」
甲高い音を立て周囲の空間が砕けた。
光球の魔力に耐え切れなかったのだ。
堕ちているのか、それとも昇っているのか。
何も見えやしない。
上下などという概念すらも闇に溶け込んだ世界の中、唯一残った砕けかけの床の上でひたすらに光球たちへ魔力を注ぎ込み続ける。
魔力は同じ記憶同士で引き合う。
だから一定以上の引力を生み出せる魔力をその場に用意さえすれば、例え狭間に散らばってしまったそれらですら引き合わせることは出来る。
まるで小さな磁石たちのように、集まれば集まるほどその力は増し……一つに収束するはず。
でも、一定の引力って?
一体どれだけの形にしたならこれは終わるの?
本当に今の私で足りているの?
何も分からない。
これはゴールすら見えない、精神と体力を絶え間なく削り続ける終わりのないマラソンだ。
「――きた」
どれだけ経っただろう。
静寂を保っていた光球たちが、突如として飛躍的な増大を始めた。
結界が砕かれ直接狭間と触れているのもあるだろう、引力によって周囲の魔力を吸収し始めたのだ。
待ちに待ち続けた瞬間。限界を超え朦朧とした意識の中、溢れ出す喜びに両手を握りしめ――
「くっ、あぁっ……!?」
直ぐに再び光球へと両手を添える。
一秒にも満たない、ほんのちょびっとだ。
瞬き一回もしないほどの僅かな一瞬に手を動かした、ただそれだけで光球たちは奇妙な振動を始め、霧散を始めた。
終わった。
喉が嫌に締まり、手足の先が恐ろしいほどに凍え上がる。
全身から、もう出はしないと思っていた汗が噴き出す。
きえちゃう。 ここまできたのに、なくなっちゃう……!
「――ぁぁぁあああああアアアッ!」
折れかけた心を繋ぎ直す金切り声。
まだ諦めるなっ! まだ折れるなっ! 最後の最後まで目を閉じるなっ!
「はぁ……っ! はぁ……っ! っく、よし……」
激しく暴れ出す様に崩れ始めた世界の赤子たちが、長い時間をかけ次第に落ち着きを取り戻す。
これなら――
「え」
うでが、おちた。
「あ」
あしが、くずれた。
「うそ」
くらやみにたべられていく。
からだが、くだけていく。
「うそ……うそ、うそっ。 なんでっ」
たりなかった。
きおくが、まりょくが。
ここまできたのに?
あ。
「ごめんね、遅れてしまった。でも、もう大丈夫だから」
瞼を閉じる直前、すぐ後ろから低く優しい声が聞こえた。
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