第350話

「何故君がその魔法を使えるッ!? その固有・・魔法は――剛力のものだろうがァァァァッ!」


 極光が、男を叩き潰した。



「ガ……あァ……」


 引き裂かれた男の両腕、胸元に深く刻まれた傷。

 大きく穿ちぬかれた地面の奥底で倒れ伏した彼、だが近付きはしない。


 彼が先ほど私に刺してくれた・・・短剣を軽く親指へとあて、真っ赤な鮮血が滲むのを眺めながら声を張る。


「時を戻しなよ、どうせまだ意識はあるんでしょ」

「くっ」


 一度の瞬き、既に私と彼の間には大きな距離が生まれていた。

 地へ刻まれた切り傷も、当然彼の全身も元へと戻っている。


「はぁ、やっぱりそれズルい。禁止にしても良くない?」

「ありえない……ありえない……何故だ、何か魔道具でも準備していたのか……?」

「あり得るかどうかを決めるのは貴方じゃない、目の前にある現実でしょ」


 これで確信が持てた。


 親指をぺろりと舐め・・・・・・・・・、結晶のざらりとした感覚に眉を寄せ肩をすくめる。


「貴方のおかげで踏ん切りが着いた、自分でやるのは……少しだけ怖かったから」

「私の、おかげだと?」

「私は魔力と親和性があるらしくてさ、すごい魔力が身体に吸収されやすいらしいんだ。だからレベルアップもあり得ないくらい早かったし、今こんな体になってるんだけど」


 指先の傷からまた、ぷくりと血液が盛り上がる。


「魔力の吸収……? 馴染む……!? っ、まさかっ」

「貴方の性格が悪くて良かった。もしあのまま廃憶核をどっかに投げ捨てられてたら、本当に不味かったから」


 不思議な気持ちだ。

 体も、世界も限界なのに何でだろう、今、私は凄い冷静でいられる。

 怒りが無いわけじゃない。むしろ今滾々と、心の奥底から溢れ出してくる感情は間違いなく激情の類だ。


 なのに、こんなに透き通っている。

 体は鉛のように重く、膝は震えていた。ちょっとでも突かれたら今にでも意識が飛んでしまいそうなのに、この人生の中で経験したどんな時よりも私の意識は目覚めてる。


「――まさかっ! 廃憶核を取り込んだのか!? あ、あんなものを……まさか魔天楼を狙っていたのは怒りや復讐などではなく、全てそれを狙っていたのか!?」


 男の疑問に答える必要はない。

 それは未知故か、己の想像していた未来が完全に捩じり潰されてしまった故か、それとももっと別の、表現し難い感情故か。

 けれどただ、無言で一歩、更に一歩と近づく度、クレストの表情は苦悶と恐怖に歪んでいく。


「そっ…………そうかっ! ならば時を戻せばいいだけの事ッ! 犬死ににも拘らず未だ諦め悪く世にこびり付いた屑共の意思などッ! 唯風の前の塵に等しいことを知るがいいッ!」


 絶叫。


 血走った目でクレストが地面を激しく叩き付けると同時、巨大な魔法陣が浮かび上がり――


「――『遡れ』ッ!」


 閃光が世界に満ちる。






「『覇天七星宝剣』」

「なっガ!?」


 空中に浮かんだ男の左腕へ、長く、鋭い黄土色の刃が突き刺さる。


「終わったと思った?」


 私の背後に無数の土剣が浮かび上がった。

 元が土ゆえに金属質の輝きは無い、だが決して侮ることなかれ。

 このスキルで作られたものは決して砕かれず、決して鈍ることもない。


 それを、私は誰より一番知っている。


「なっ……なんだその数は……!? なんだその力はっ!? 何なんだ貴様はッ!!!?」

「私ね、不思議だったんだ。私がカナリアに逃がされた時、何で貴方は時を戻さなかったんだって」


 この世界に私が逃がされてから、私の行動は彼に監視されていた。

 つまり警戒されていたのだ。


 じゃあなんであのタイミングで時を戻さなかった?

 さっさと戻して死にかけの私に止めを刺してしまえばいい。無駄に監視やこうやって追い詰められることもなかっただろう。


 なら答えはただ一つ。


「違う。貴方は時を戻さなかったんじゃなくて、時を戻なかった。貴方の魔法は世界を超えることは出来ない」


 この仮定から遡れば今までの疑問が解決した。

 まずあの時に魔法を使って私を殺さなかったこと。


 次に私の世界では魔天楼が生まれて三十年程度しか経っていないのに、こちらの世界では既に五十年近く時間が経過している事。

 世界が三度、合計で十八年間分戻されたのならぴったりだ。


 そして私自身の記憶だ。

 体自体は時を戻される度元に戻っていたが、記憶は何故か書き換えられなかった。


 それはきっと密度の問題なのだ。

 体はまだ置き換わっていなかったが、魔力と密接に関係している記憶は一定以上の密度に達してたから彼の魔法の影響を受けなかった。

 そして世界と世界の間には濃密な密度の記憶を保つ次元の狭間がある、だからそれを超えきれず各世界はクレストの影響下に置かれなかった。


 なら。

 なら自分の身体に、狭間と同等かそれ以上の記憶を蓄えたら?


「今の私は廃憶核から大量の魔力と記憶を蓄えている。だから貴方にも書き換えられない」

「ふ……ふっ、巫山戯るなァッ! ならば何故記憶に押し潰されないッ! 自我を書き換えられないッ!」


 『覇天七星宝剣』は全てを自由に操れる。

 クレストを突き刺した刃はその切っ先が丁字へと変化したまま中空へ固定され、男は必死に体を捩じり逃げようと試みるも動くことが出来ないでいた。


 藻掻き、血反吐を吐きながら喚く彼の疑問を鼻で笑う。


「確かに普通の無秩序な狭間の魔力だったら、今の私は欠片も存在してないかもね――でも、無秩序な記憶じゃないとしたら?」

「は、はぁ?」


 私が語る言葉を彼にはきっと想像もできないだろう。

 誰かを乏し、誰も信じず、ただ一人で生きてきた彼には。


「今、この世界が吸い上げているのは次元の狭間の魔力。でもこの世界の近くにあったのは?」


 すう、と空気が胸へ雪崩れ込んだ。


「――私たちの世界だ!」


 ――苦しい。


 痛覚も随分薄れたはずの身体に、何故こうも痛みが走るのだろう。

 出会ってきた一人一人、或いは一匹を思うだけでこんなに苦しい。


「魔天楼が吸い上げているのは狭間の魔力かも知れない、でもその狭間の魔力に最も含まれてるのは、当然一番近くにあった私たちの世界の記憶だッ! 私の出会ってきた人たちの記憶が! 更にその人たちの出会ってきた人達の記憶がっ! いくつも、何個も、何人も何十何千何万人もッ! 全部が今の私を支えてくれているッ!」


 私はずっと一人だった。

 何も知らないバカだし、誰かを心から信用なんてしなかった。

 だから気付かなかった。


 確かに廃憶核の中には悲しい記憶が多かった。

 裏切り、失敗、怒り、別れ、そして 死。

 でもそれ以上に暖かな記憶だって無数にあった! 誰かを愛し、信じ、託してきた人々の悲しくも前を向き続けてきた記憶があった! だから私は絶望せずに身を委ねることが出来た! これならきっと未来は良いものになる、きっと不幸以上の幸せがあるって信じることが出来た!


 私の本当の固有魔法は自分の力を重ねる力じゃない。

 誰かの力を重ね合わせる力だった! 記憶に抗うんじゃない、全てを信じて重ね合わせるべきだった!


「犬死に? 違うね! 立ち上がり! 誰かを信じ、繋げ諦めずに戦ってきた人たちの想いは決して無駄じゃなかった! 幾つも重ねられてきた想いがっ、明日への希望が今ここにあるッ! 私のこの力で芽吹いたッ!」


「クレスト、全てを終わらせよう! ――『断絶剣』ッ!!!」


 幾百、幾万、いや、きっとそれ以上あるだろう。

 空中に浮かんだ無数の剣達が波のように犇めき、ありとあらゆる色や輝きによって満ちていく。

 これは全てのスキルだ。私たちの世界で戦い続けてきた人の努力が、苦しみが、そして何よりも想いが乗った全てのスキルだ。



「そんな……馬鹿な話があっていいわけない……! 無茶苦茶じゃあないか……! 意味が分からない……頭がおかしくなりそうだ……!」



 逃げることすら忘れた男が呟き――純白の奔流へと呑みこまれる。


 鮮烈な輝きは彼の影すら掻き消し全てを呑みこんでいく。

 空を割り、雲を切り裂き、遂に魔天楼すら粉々に砕いて弾け飛んだ。


.

.

.



「夢、だ……これは夢だ……何か悪い、そうだ、こんな事……あっていいはずがない……」


 虚ろに空を眺める上半身だけの身体。

 魔天楼の残骸だけが残るその中で、男は自身が巨大な魔法陣の中心にいることに気付いた。


 それは魔天楼の基礎の基礎、狭間から魔力を汲み上げる動力部。

 更にその中心には過去に討伐された源龍種のものである超巨大な魔石があり、何重にも掛けられた結界のおかげでその大半は未だに無傷であった。


「魔力……マリョクだ。殺されてしまう前ニもっと、もっともっと力をつけなけれバ……!!!!」


 這いずり近付いた男は躊躇もなくそれへと舌を伸ばすと、べろりと大きく舌を這わせた。


 肉が盛り上がり、新たに生まれた幾つもの翼が歪に盛り上がる。


 がちりとかみつく。

 己の歯が砕けることすら気にせぬ素振りで何度も、何度も口蓋を擦り合わせる度、削れた魔石が不愉快な音を立て口内へと満ちていった。


 肉の奥底から新たな黒々とした臼歯が生まれる度彼の歪んだ顔は喜色に染め上げられていく。

 膨張した身体は人のそれを遥かに上回り、本来あるべき筋肉とは全く異なる歪な変異が全身へと進んでいくにも拘らず、ソレは己の歯であったものを噛み砕く快感に酔いしれる


「うグっ、クハ……はははっ、ハハハハハハハハハハハハッ!」


 満ちる。

 満ちる満ちるみちるみちるみちていく素晴らしい力が!

 ああ、空をこれだけ広い範囲で見るのは初めての気分だ! ちょっとばかり残ったカスみたいな大森林の巨木も、今は草と見分けがつかないほどに矮小な存在!

 前も後ろも上下すらも全てが見えるじゃないか!

 あの不愉快なガキも! 岩に乗ってこちらに飛んできているッ!


「――堕ちたね」

『――夢は終わらなくてはいけなイ。心地の良い目覚めのためにっ、消えろ過去の亡霊がァッ!!!!!!!』

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