第348話

「もう遅い、これでもう止めることは出来ない。作動装置は元から『存在しなかった』!」

「あ……」


 脳が理解を拒む。

 妙に視界が赤く、激しい火花が幾つも散っている様に感じるのは一体何故なのか。

 引き攣った喉がただ言葉にもならない一音を零し続け、発作にも似た繰り返しの果て遂に感情の限界へと到達した。


「貴方って人はッ!!!」


 やりやがった!

 この人はっ!


 今までのように間接的な関係のとは何もかもが違う。

 こいつはギリギリのところでどうにか保てたものを、自らの意思で、自らの手で突き落とし、挙句の果てに戻れる可能性すらも潰した。


「そこまでして集団自殺がしたいの!? 誰も彼も巻き込んで! 何もかもを犠牲にしてっ!」


 これが。

 これが。



 怒りか。


「ばっかじゃないの!?」


 脳が沸き上がりそうだった。

 どれだけの言葉を尽くそうと私の今、この心から吹き出す赤い感情を表すことは出来そうになかった。

 ただ、今まで僅かにでもあった枷が砕ける感覚があった。


 こいつだけは。

 

 しかし私の激昂とは裏腹に、装置を消滅させ得意げな表情を浮かべていた男は不意に、だらりと腕や首から力を抜き幽鬼の如く全身から精力を失う。

 不調か? それとも誘っているのか?

 釣り餌にしてはあまりに大きすぎるものであったが、今の私にはどうでもよかった。


 飛び上がり、襲い掛かる。

 その無防備に晒された首を、叩き潰す。


「あァ? あハハ、好きに受け取りたまえ。だが――」


 ギィンッ!


 金属音と共に飛び散る火花。


 操り人形のように手を、首をだらりと垂らしていたクレストだったが、全て見えているかのように頭上からの一撃を片手で受け止め、ぎろりと虚ろに開いた瞳で睨みつける。


「やった価値はあったようだ。随分と先ほどまでの威勢が殺がれたじゃあないか。 疲れたのかい? それとも何か気になるものでも……あるのかなぁっ!」


 強い……!?


 踏み込んだ先、これ以上に足を動かせる気がしなかった。

 いや、足だけではない。腕ですらもう彼の顔に一ミリすら近付けられる気がしない。

 もし何かスキルを発動するため、ほんの少しでも腕の力を緩めでもした瞬間、喉元を掻っ切られる鮮明な未来が見えた。


 力が更に増している……片手でもはや私の全力が押し返されるほどに!


「っ、負け……ない……!」

「これで均衡が破れるか。ふむ」


 冷静な観察、彼にはそれをする余裕すらあるのだ。

 噛み締めた奥歯が嫌な音を立てる。長い緊張を続けた腕の筋肉が音もなく、しかし明確に切れる感覚を味わいながら溢れ出す汗の冷たさが不愉快だった。


 両手ですら抑えるのが精一杯なこちらを嘲る目つきで眺めた男は、胸元から一つのものを取り出す。

 注射器だ。だがその中に満たされているのは蒼く輝く今まで見たこともないような液体。

 彼はそれを一切の躊躇もなく己の首元へと突き立てると、表情一つ変えず全てを注入した。


「それ、は……!」

「一本辺り、我が国が一年豊かに暮らせる程度の純化魔力さ。既にニ十八本投与した、これで合計二十九本目。ようやく君を上回れたようだ」


 張力ギリギリのコップの縁まで盛り上がっていた水が無慈悲なまでに溢れ出す様に、彼と私の均衡はあっけないほど一瞬でひっくり返された。

 ずしりと全身へ掛かる膂力が、こんな小さな一本のナイフによって私へ伝わっているなどと、一体誰が信じられるだろうか。


 足元の蒼い床が悲鳴を上げ、著大な蜘蛛の巣のように周囲へ罅が走っていく。


「それにしてもどうした? 大森林へ戻らないのか? 君の脚力なら今からでも間に合うかもしれないよ? 一体誰がいるんだいあそこにはァ?」

「……っ」

「そんな悲しまないでくれよ! どうせ君が魔天楼を停止させていなくても末路は変わらなかったのだから……さァッ!」


 押される。

 ああ、もうこんなに近くにまでナイフの鈍い輝きが! 

 斬られ、る……!



 バキィッ!!



「っ、はぁッ!!」


 へし折れたナイフの切っ先が、凄まじい回転をもって背後の壁を突き抜けていく。

 同時、クレストの顔面を蹴り飛ばし背後へと跳躍、前髪が張り付くほどに噴き出した汗を拭う。


 助かった……!


「本当に脆くて困るな」


 面倒気に額へ皺を寄せ柄を投げ捨てるクレスト。


 その顔に疲労や苦悩は無い。

 二度、確かめる様に手を握りしめ、こちらをニヤリと見やる。


「――『スキル累乗』、対象変更……『スカルクラッシュ』」


 もう手遅れなんじゃないんか?


 心の隅に住み着く悪魔が囁く。


 黙れ。


「『アクセラレーション』」


 最大の力を、最速で。


「ハアアアアッ! 『スカルクラッシュ』ッ!」


 極限の緊張は、極限の反発を生み出す。

 筋肉というバネが引き千切れるその瀬戸際、解き放たれた唯一無比の一撃。


 ドッ





 オオオオオオオオオォォォォォッ!!!!!!!!


 踊り狂う暴風がクレストを突き抜け、背後の壁すら砕き吹き飛ばしていく。


 だがたった一階程度の崩落では止まらない。

 連続して抜ける床。砕け散り、私達すら互いに認識できないほど満ち溢れる蒼の輝き。

 純粋な蒼に満たされた世界を堕ち続けたその先――全身を貫くすさまじい衝撃と共に一瞬意識が吹き飛び、自分の足が地面を踏みつけている感覚で取り戻した。



 目前には両腕を十字に構え、カリバーを真正面から受け止める男の嘲笑。



「受けっ、止めた……!?」

「変わった力だ。そうか、それが君の固有魔法か。成程、自身の魔力波長を重ね合わせることで飛躍的に攻撃力を増しているわけだね。」


 漆黒の翼からいくつも突き出した槍のようなナニカ。

 それらは彼の身体を支えるために地面へと突き出しており、その為に男は姿勢の一つすら崩すことなく平然と受け止めていたのだ。



「っ、『アクセラレーショ……っ」 


 逃げる時間は無かった。


「がっ、ハァ……っ!?」


 影を見た。

 スキルを発動するより疾く首に生まれた圧迫感。

 足元にあった大地という感覚が消え去り、宙吊りのまま手足だけが男に届かず藻掻くだけ。


「クレネリアスで切るより直接殴り付けた方が早そうだ」

「や、め……」


 どうにか目に入ったのは、男の拳が自分の腹へとめり込むその瞬間だけ。


 それは打撃というにはあまりに乱雑過ぎた。

 適当で、暴力的で、あまりに一方的過ぎた。


「っか……」



 思考が白く染まる。

 何も考えられない。

 痛いのかすら分からない。


 ただ、理不尽なまでの『力』そのものだった。


「どうした? 戦わないのか? それとも怖気づいてしまったのかな?」


 一言を話す度放たれる浅い一撃を身に受ける度、意識が掻き消されていく。

 私の身体を突き抜けなお消えぬ衝撃波が魔天楼へと伝わる度、この恐ろしいほど巨大な塔すらもがばらばらと屑をまき散らし悲鳴を上げる。


 かてない。

 いまのわたしには、もう。


「さっきみたいに、何か偉そうな言葉の一つでも言ったらどうなんだいッ!!!! ええっ!!?」


  感情の頂点に達したのだろう、一際強烈な一撃が腹に捩じり込まれ同時に吹き飛ばされた。


 幾つもの木々をへし折り、何棟もの家を叩き砕き、地面を抉り、ゴム鞠のように跳ね――止まる。


「ぷぁ……」


 瞬き定まらぬ視界。

 けれどもその中に人の影が見える。一人じゃ二人じゃない、何人も、何十人も、もしかしたらもっとか。

 これは……王国軍の人達だ。

 彼らの場所にまで飛ばされてしまったのか、私は。


 騒めき、口々に空から堕ちてきた私への困惑を漏らす人々。

 だが彼らの頭上から、見る間に近付く黒い影に私の意識は奪われてしまう。


 クレスト。

 嗜虐的な笑みを浮かべこちらへきている。


「やあ、少し力を入れ過ぎてしまってたよ。興奮してしまってね」


『国王様か?』

『いや、でもなんだか様子が……』


 音もなく着地した彼だが私に話しかける途中、周囲の声が気に食わぬ様子で顔を歪める。


「五月蠅いな……」


 ばさり、と翼が展開された。

 同時に広がる甘く濃密な魔力の匂い。


 うるさい?

 まさか……



「逃げ……っ!」

「少し静かにしていてくれよ、私が国のために戦っているんだからさァ!」



 斬ッ!



 たった一度、その黒い翼を羽搏いただけ。

 それだけで、今の今まで息をしていた人々は息絶えた。




 だが私だけは見た。

 その翼から無数の羽根が音もなくしかし豪速で射出され、周囲を斬り捨て彼方へと消えるのを。


「あ、貴方っ、自分の国のっ人達を……っ!」


 鈍く、重いナニカが転がり落ちる音がぽつ、ぽつと生まれる。


「君を今殺すのは簡単だが……そうだな、ここまで不愉快な思いをさせられてただ殺すのも気持ちがよくない。君が世界を破壊され私へ復讐するように、私も何か一つやってみれば案外悪くないかもしれないな」



 本当は今、敵の前でやりたくなかった。

 でも――やるしかない。


「くそ……『アイテムボックス』」


 倒れ伏したまま『アイテムボックス』から小袋を掴み上げ、ゆっくり立ち上がる。


 震える足が情けない。

 痺れ、吐き気、蛞蝓の如く遅い動きしかできなかった。


 そして……腕が止まる。

 私の意思じゃない、乗っ取られるかのように暴れ出す。


「うっ……ぇふぇ……っ」


 こんな時に……っ!


 脳裏を過ぎるひどく鮮明で現実的、けれど『結城フォリア』では知りえない景色。

 焼ける空、耳にへばり付く鋭いサイレンの音、異国の土地で、異国の姿で、意識が塗り潰される。


 口、目から溢れ出す深紅の液体。

 コートの胸元を染めていく。


 抑えたと思ったのに……!


.

.

.



 突如として倒れた少女。

 彼女が取り出し何か行おうとしていたのは、小さな袋であった。


 中からは数個の黒い石が零れている。


「これは……ほう」

「かえ……せ……」


 再び意識を取り戻した彼女が、地面を這いずり男の手へと掴みかかるも軽く払い除けられる。

 そして地面に転がったそれを摘み上げた瞬間、男の指にも拾ったものに似た黒の結晶がびっしりと張り付く。

 彼は冷静に、しかし素早く指を離すと、今度はそれが入っていた袋でそっと摘み上げじっくりと観察し、口角を僅かに上げた。


「今の私ですら急性の魔蝕症を発症するとは、膨大な記憶の集合体だ。フォリア君……これは魔天楼の廃憶核だね?」

「……っ!」

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