第347話

「なァ……ぜぇ……っ!?」


 まるで死にかけた蚊のように男はフラフラと空中を舞ったかと思うと、背後から襲ってきた巨大な岩・・・・によって地面へとはたき落とされた。

 その疑問は今自分を襲った攻撃に対してか、それとも勝利の確信があっさりと破られた為か。


 一層、彼を押さえつける岩の力が増す・・

 悲鳴を上げる様に床には罅が幾つも走り、男の肺からは絞り上げるような吐息だけが微かに漏れた。


「ダンジョンの消滅現象は魔天楼に起因してる、貴方なら分かるでしょ?」


 イメージするなら次元の狭間は大量の水で、世界はそこに沈められている空気の入ったボールだ。

 もし世界に罅が入ったら狭間の魔力が大量に流れ込み世界が崩れる、これがカナリアが最初に予想した内容だ。


 しかし現実に起こった消滅現象は逆で、狭間に世界が吸い取られてしまう。

 これは魔天楼によって世界の周囲に存在する魔力を吸い取っているため、ひびが入った所から外側に引っ張られてしまっているという複雑な状況。


 しかしならば、魔天楼の大半を止めてしまえば?

 複雑な現状を引き起こしている原因さえ取り除いてしまえば、そこにはひどく単純な現象だけが残る。


「それが一体! ――まさか」

「現在世界に存在する魔天楼はここ以外全部機能を停止させた……もう、消滅現象は起こらないよ」


 均衡状態というやつだ。

 この魔天楼一本が世界の周囲の魔力を汲み上げ、それが次元の罅から雪崩れ込もうとする魔力の圧力と釣り合っている。

 まあ私の予想だと多少魔力が漏れてモンスターが出てくるかなとか考えていたが、今回は運が良かったようだ。


 もう、消滅現象は起こらない。

 ダンジョンが崩壊しようとモンスターは外に溢れないし、誰にも知られず誰かの大切な物が消えてなくなることもない。

 世界はもう、崩壊しない。


「何故……! 貴様は……大森林から移動してないはず、いや待て……協力者か……ッ!」

「貴方達は魔力で私を追ってたんでしょ。そしてこの三日間、一番警戒するのは私だと思った。……やっぱり、他国にまでは意識が行かなかったんだね」


 これは賭けだった。

 もしクレストが抜け目なく他国の状況を探っていたら、私の打てる手は無し。詰みだ、このまま世界の滅びを眺める以外にすることは無かった。

 だが今の態度で確信した。彼は私だけが今存在する唯一の敵であり、他に警戒する必要はないと気を緩めていたのだ。


 勝てる。

 私達はまだやれる。


「――人は人の手で滅びる? 私はそうは思わない」


 岩に押しつぶされ、差し出されたかのように飛び出している男の頭へ、一本の影が降りる、


「貴方の過ちを正すために一体どれだけ多くの人が戦ってきたと思う? いや、貴方のだけじゃない、今まで幾つもの人たちが無数の過ちを犯してきて、さらに多くの人の手によって正されてきた! だからこそ『今』がある! そしてきっとこれからもそれは変わらない、今の過ちはいつか必ず誰かの手で正される! それが人、それが未来への希望!」


 

 


「――おおおォォォっ!舐め……るなァッ!!!!」

「っ! まだそんな力が!」


 だがクレストの野太い一喝と共にその前身は激しく振動を繰り返し、どうにか操っていた・・・・・・・・・巨岩が遂には大空へと弾き飛ばされてしまう。


 男の全身からは激しい蒸気が噴き上がり、烏のそれに似た翼はより大きく、羽の一つ一つがまるで負の感情に悶える人間の腕のように伸びていった。

 しかし彼は気にも留めず二本のナイフを再び取りだし構えると、更に一段階増した速度でこちらに飛び掛かり絶叫する。


「化物ごときが善悪を語るとは片腹が痛い! 正しいから勝つのではない……勝者が正義を定義するのだ! そして私の悪事とやらを捌く存在は全て死に絶えた、定義された正義の前にッ!」


 目を大きく剥き、もはや常時の演技がかった態度は無い。

 狂気だ。

 今私の前にいるのは、もはや人間ではない。理解すら出来ない理論の元に動き続ける、狂気の怪物だ。


 重い。

 怖い。痛い。辛い。苦しい。

 ずっと心の奥底でじっと座り込んで、恐怖が消えるのを待っていた私が頭を覗かせる。

 小学生のあの日から私の傍で私に囁いていた存在が、また囁き始めた。


「私がいる!!!」

「……!」


 でも……負けない……!

 私がここで彼の攻撃にやられてしまえば、一体誰がこの先に進めるというのか!


 震えあがる心を押さえつけ、心の奥底へとまた押し込む。

 泣くのは今じゃない。愚痴を漏らすにはまだ早い。


「貴方に届かなかった意志を、刃を、私が全て今背負ってやる! 私が希望だ! 最後の希望だ!」



 小さな声だった。

 くつくつと、沸々と。

 軽蔑、憎悪、憤怒。幾つもの激情にもはや男の顔はどの表情を貼り付ければいいのか理解できず、歪な笑みをどうにか取り繕っている。

 しかし抑えきれなかったのだろう、不出来なおもちゃのように肩を大きく振るわせ、何処までも広く続く魔天楼へと男の嘲笑が響き渡った。


「クク……ハハハハハハハハハッ!!! 舐めるなよクソガキがッ! 希望や善悪など三流宗教の世迷言で! 長年の私の計画を覆されてたまるか! っバカバカしい!」


 斬ッ!


 己の握りしめたナイフを不意に地面へと差し込んだクレスト。

 一呼吸も置かず彼は両手を恐ろしいで勢いで振り回したかと思えば……刹那、彼の姿は消え去った。


 逃げた!?

 違う! 床を切り裂いて下へ逃げたんだ!


「待てッ!」


 穴へと駆け寄り勢いそのままに飛び降りる。

 着地するその一瞬、通路の奥へ恐ろしい勢いで逃げ出す男の影を睨んだ。


 なんでだ。

 ここまで追い詰められて、何でまだ笑っていられるの。

 

 一体どれだけ追いかけただろう。

 もしかすればたった十数秒の逃走劇だったのかもしれない。しかし一瞬だけ見えた逃げる彼の顔の、少しばかり前とはまた違う不気味な笑みのせいだろうか、その時間が恐ろしく長い物に感じた。


 走り抜けた先、遂に道が途切れる。


 構えていたのは鳴動するかのように点滅する巨大な扉。

 一体その材質が何で出来ているかは分からない。一見するとガラスにも見えるが、こんなにも青く透き通っているのに扉の奥が見えない不思議な材質を私は人生で一度たりとて見たことはない。


 だが直感で理解した。

 彼はこの先にいる。


「『ストライク』ッ!」


 一瞬の抵抗感。

 瞬時に生まれる無数の魔法陣が激しい回転と共に私の方向へと展開を開始し……耐え切れなかったようで扉と共に砕け散った。


「鬼ごっこは終わり」


 扉の奥にいたのはやはりクレスト。

 しかし彼が浮かべるのは追い詰められたことによる恐怖でも、こちらの言葉に対する怒りの表情でもなく……ニヤリといやらしい笑み。


 やっぱり何か変だ。

 何か企んでいる、下らないことを。

 踏み込むのは危険か? いや、でも……


 僅かな躊躇に一歩を悩んだ私が目にしたのは、彼が何かマイクらしきものを掴み上げ口を開く姿だった。


「全軍に告ぐ……モロモアスを大森林へ投擲せよ、源龍に対して先手を打て」

「無駄! そんなことをしたってもうあの爆弾は……」


 作動しない。

 そのはずだった。


 ふと冷静に周囲を見回すとこの部屋、なんだか随分とごちゃっとしている。

 見慣れぬ文字だが半透明の膜に浮かぶ無数の文章、入力するためのキーボードに似た装置、それに壁などあちこちには様々なサイズにタイプのスイッチ。

 

「魔天楼はまだ存在する……ここに、ねェッ!」


 ガン、と男が何かを力任せに殴りつけた。


 瞬間、私の周囲に浮かびあがる幾何学的な光の模様。

 壁に、床に、天井に、光の明滅が行き交い脈動を始める。


 何か似ている。

 そうだ、それはまるで先ほど私が破った扉みたいだ。

 待てよ。


 あれが魔法陣の起動状態だとしたら、今クレストは何かを起動したのか。

 摩天楼はまだ存在する、ここに? 今私達がいる魔天楼の事か?

 クレストが打てる起死回生の一手が関係しているのか?


 まさか。


「吸引力が足りない? 均衡状態? そんなに足りないなら増やしてあげようじゃあないか! 私は優しいからねぇ! 最大出力さ!」


 まさか、魔天楼を今以上に稼働させたのか……!?

 最大出力とはそういうことなのか!?


「ク……クレストォッ!!!!」


 飛び掛かろうと足に力を入れたその時、彼は小さな黒い石片をカタリとつい先ほどまで己が弄っていた装置の上へと置き飛び退く。


 一度の瞬き。

 たったそれだけの時間で、その機械は私の視界から……いや、世界から消えた。 


「もう遅い、これでもう止めることは出来ない。作動装置は元から『存在しなかった』!」


 以前と比べれば小さな消滅現象。

 だがそれは魔天楼の過動によって再び均衡状態が破られ、世界の崩壊が再開した証拠。


 それは動き出せば最後、誰にも止めることが出来ない終焉へのカウントダウンが始まった瞬間だった。

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